第5回 『宇宙戦艦ヤマト』
かつてアニメには「ロマン」があった。『宇宙戦艦ヤマト』第1シリーズが始まったのは1974年10月。僕は小学4年生だった。よく話題になる事だが、東京地方では『ヤマト』の裏番組が、『アルプスの少女ハイジ』とSFドラマの「猿の軍団」だった。僕は『ハイジ』派で、時々浮気して「猿の軍団」を観ている感じだったので、『ヤマト』は本放送ではほとんど観ていない。クラスメートの1人が熱心に僕に『ヤマト』を勧めてくれた。「とにかく観ろ」というのだ。試しに一度観てみたところ、昆虫型の宇宙人が登場し、アナライザーにスポットが当たるビーメラ星の話だった。運が悪かった。反射衛星砲の話とか、七色星団の話とか、血湧き肉躍るエピソードだったら、きっと翌週も続けて観ただろう。だけど、その時はあまり惹かれる事がなく、翌週からは観なかった。
だから、ちゃんと『ヤマト』を観たのは再放送だった。最初の再放送だったのか、数度目の再放送だったのかは覚えていないが、1話から観た。最初から熱中して観た。夕陽に沈む戦艦ヤマトの姿や、沖田十三を始めとするキャラクター達も格好良かったし、何よりも地球滅亡まであと365日しかなく、主人公達が人類を救うために旅立つという悲壮感に痺れた。ヤマトと古代達の勇猛果敢な活躍に胸を熱くした。凝ったメカ描写、SF的な描写も新鮮だった。波動砲ひとつ撃つために、いくつもの段取りを踏むのにリアリティを感じた。ワープ航法を説明するのに、アインシュタインの閉じた宇宙論を持ち出すあたりも「おっ、なんか凄い」と思った。そういった部分にも見応えを感じた。『ヤマト』を観てから相対性理論について知ろうと思って、ブルーバックスを買って勉強した。これは後に『新世紀エヴァンゲリオン』で、ファンが死海文書について調べたのと同じ感覚だ。歴史は繰り返される。当時はオタクという言葉はなかったが、後にオタクと呼ばれる人が熱中するようなマニアックな魅力が確かにあった。それもふんだんに。あるいは、こういう言い方もできる。『ヤマト』は作り手の熱意が込められたフィルムだった。その熱さに反応していたというのもあるはずだ。
そして、ロマン。僕が『ヤマト』で一番惹かれたのはそれだ。ロマンとは、何かに対してうっとりする事だ。人類を救うために14万8千光年の彼方まで銀河の海を旅する。そして、宇宙の彼方には地球を救ってくれる女神がいる。そういった物語の大枠にもうっとりしていた。そして、個々のエピソードやキャラクターの言動にもロマンを感じていた。オープニングとエンディングの歌詞に「ロマン」の言葉があるのも、『ヤマト』=ロマンの印象を強めているのだろう。ロマンは『ヤマト』の専売特許ではなく、かつてはロマンのあるアニメ作品は多かった。だが、今ではアニメにすっかりロマンがなくなってしまった。ひょっとしたら、僕が気がつかないだけで、形を変えてロマンは今もあるのかもしれないが、少なくとも『ヤマト』のようなタイプのロマンを、強く押し出した作品はない。ロマンがないのはイカンとは言わないが、こんなにもきれいさっぱりなくなるとは思わなかった。
第6回へつづく
(08.11.10)