アニメ様365日[小黒祐一郎]

第52回 『あしたのジョー2』(TV版)

 『あしたのジョー2』については、昨年、「アニメージュオリジナル」とBlu-ray解説書で原稿を書いており、それ以前にもDVD-BOXの解説書などで書いた事がある。今回の原稿は、多少それらの内容と重複する事になる。
 原作は少年マンガの金字塔「あしたのジョー」。高森朝雄とちばてつやの作品であり、高森朝雄は梶原一騎の別名だ。1970年に虫プロダクションによってTVアニメ化されたが、その最初のシリーズは、内容が原作の連載に追いついたため、途中で終了してしまった。10年後に、東京ムービー新社の製作でスタートしたのが『あしたのジョー2』だ。放映されたのは、1980年10月13日から翌年8月31日。ただし、物語のつながりとしては、旧TVシリーズの続編ではない。1980年3月に旧TVシリーズを再編集した劇場版が公開されており、その続きという位置づけとなっている。演出(監督と同義)は、旧TVシリーズも手がけた出崎統。キャラクターデザインと作画監督は、やはり旧作にも参加していた杉野昭夫だ。
 1980年当時、『あしたのジョー2』は間違いなく一番格好いいアニメだった。ドラマもキャラクターも、アニメーションとしても、素晴らしく格好よかった。たとえば、最初のオープニングは、TVゲームのような映像で構成されており、通常のキャラクターが登場しない。そういったクールな感覚にも痺れた。
 格好いいだけでなく、リアルなアニメだった。描かれてる世界も、人物像も、ビジュアルも、リアルだった。リアルと格好よさはイコールで結ばれていた。リアルである事は、すなわち格好いい事だったのだ。それは『あしたのジョー2』に限った事ではなく、当時のマンガやアニメの常識だったように思う。リアルだったのは、世界観やビジュアルだけではない。例えば、ホセ・メンドーサをはじめとする一部の外国人のキャラクターは、劇中で英語を喋っており、翻訳字幕を画面に出すという形式だった。今でもほとんどのアニメで、宇宙人や異世界人が平気で日本語を喋っているのに、『あしたのジョー2』は30年も前にそういったところにこだわっていた。
 演出も作画もシャープだった。「1970年の旧TVシリーズからの10年間に何があったのだ?」と思うくらいにタッチが変わっている。洗練されていた。深い陰影の美術も、特撮の域に達している撮影も素晴らしい。「華麗な映像美」という表現が決して大袈裟ではない。『あしたのジョー2』は、出崎・杉野のゴールデンコンビ、高橋宏固撮影監督、男鹿和雄美術監督、選曲の鈴木清司という「出崎チーム」の代表作でもある。劇場版『エースをねらえ!』で、彼らのアニメーションのスタイルが完成したとするならば、そのスタイルを駆使して作った作品が『あしたのジョー2』だ。
 映像美に関して印象的なのは、ジョーがテンプルを打てないで苦しんでいる頃の事だ。出崎監督は、ジョーの嘔吐物を、透過光でキラキラと光らせた。これはインパクトがあった。当時、ツービートのたけしが「だって、ゲロが光るんだぜ」と漫才のネタにしたくらいだ。勿論、単純に美しく描きたいと考えて、透過光で光らせたわけではないだろう。出崎監督には他の演出意図があったと思われるが、それよりもまず、ジョーの何かを表現するのに、嘔吐物すらも使おうとしている点に注目したい。
 物語の途中で、バシンと画面が止まって、セルだったキャラクターがイラスト調の静止画になる。それは出崎監督が得意とする「ハーモニー」と呼ばれる手法だ。あえて、絵を止める事によって、そのドラマやキャラクターの印象を強めるわけだ。『あしたのジョー2』ではハーモニーを使ったカットは非常に多い。数えたわけではないが、全出崎作品の中で、最もハーモニーの頻度が高いのが『あしたのジョー2』だろう。しかも、それが効いていた。ジョーのパンチが炸裂し、絵が静止画になり、♪チャチャンチャ、チャンチャ、チャンチャーンと曲がかぶる。その瞬間が、背筋がゾクゾクっとくるほど格好よかった。映像自体もいいのだが、やはり演出のセンスに感動していたのだろう。選曲も素晴らしかった。『あしたのジョー2』のフィルムを、シャキッとしたものにしていたのは、鈴木清司の選曲の力でもあるはずだ。
 技法的な話が先になってしまったが、むしろ、この作品の最大の魅力はドラマにある。大人の筆致で描かれた、大人のアニメだった。同年輩の『あしたのジョー2』ファンは、同じような感想を抱いているのではないかと思う。『あしたのジョー2』には、格好いい大人の男が大勢登場した。しかも、それをいたずらに理想的なものとはせず、弱さや惨めさも含めて描いていた。当時の自分の周りには『あしたのジョー2』に出てくるような大人はいなかったが、「本当の大人の男というものは、こういものなんだろう」と思って観ていた。今では自分も大人になって、やはり大人というものがそんなに格好いいものでない事が分かっているのだが、それでも『あしたのジョー2』を観ると「大人の男というものは、ああいうものかもしれないな」と思ってしまう。高校生の時は、カーロス戦や金竜飛戦。あるいは減量の話や、金竜飛の過去の話に熱中して観たが、大人になってからは、ボクサーとして挫折したゲストキャラのエピソードや、ジョーと段平の何気ない日常的な描写がいいと感じる。
 残念なのは、シリーズ終盤になって、ビジュアルのテンションがやや落ちてしまう事だ。実は『あしたのジョー2』は、同時進行で同じスタッフが劇場版の制作をしていた。劇場版『あしたのジョー2』の公開は、TVシリーズ放映中の1981年7月18日だった。制作の進め方も複雑で、劇場版の序盤から中盤までは、先行して作られていたTVシリーズの素材を使い、逆に、TVシリーズ終盤は、劇場版で新作した素材を使っている。TVシリーズと劇場版の同時進行という信じられない制作状況が、仕上がりに影響を及ぼしたのだろう。ただ、ファンであるがゆえの、贔屓の引き倒しであるのは分かっていて言うが、ジョーがハリマオ戦前後で「野性を失ったのではないか」と言われ、パンチドランカーの疑いが浮上していく展開に、あるいはホセ戦を前にしたしんみりとしたドラマに、制作的な体力が落ちていく感じが、不思議にフィットしているように見える。物語とフィルムの印象が、シンクロしているように思えるのだ。ビジュアルのテンションが落ちた事すらも、意味があるのではないかと思えてしまう作品だった。

第53回へつづく

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(09.01.26)