第83回 『さよなら銀河鉄道999 —アンドロメダ終着駅—』
『さよなら銀河鉄道999 —アンドロメダ終着駅—』は、劇場版『銀河鉄道999』の続編として製作された作品だ。公開されたのは1981年8日1日。りんたろう監督、小松原一男作画監督、椋尾篁美術監督のトリオは前作同様だ。生身の人間と機械化人の戦いが続く中、鉄郎はメーテルからのメッセージを受け取り、再び999号に乗り込む。
この作品に関しては、どこの劇場で観たのか、誰と観に行ったのかも覚えていない。作品周辺の印象が希薄だ。雑誌記事で「劇場版『銀河鉄道999』の続編が作られる」と知った時には、「えー、そんなものを作るの?」と思ったはずだ。前作は、続編の作りようがない終わり方をしていた。『銀河鉄道999』は鉄郎がメーテルと共に、機械の身体をくれる星に行くまでの物語だ。劇場版の終盤で目的地であった機械化母星メーテルに着いた。そこでの冒険も終わり、メーテルとも永遠の別れをした。「青春の旅立ち」を描いた物語は完結したのだ。なぜその続きを作るのか? そもそも続きが物語として成立するのか? そう思った。
初見での印象はよく覚えている。「なんで、こんなふうになっちゃったんだろう」だった。いいところも沢山ある。画づくりは前作よりも丁寧になっている(好き嫌いで言えば、前作の画の方が好きなのだが)。特に鉄郎と再会する場面での、メーテルの美しさは素晴らしいものだ。美術もいいし、撮影も凝っている。役者もいい芝居をしている。音楽だって、前作より聴き応えがあるのではないかと思うくらいだ。序盤で、老パルチザンが999号に乗った鉄郎を見送るシーンも、そこだけ取り出せば名場面だ。だけど、作品全体としてはガッカリした。
ガッカリした一番の理由は、前作とあまりにも違っていた事だ。前作はエネルギーに満ちていてたし、夢や希望に溢れていた。それに対して『さよなら〜』は重たくて、溌剌としたところがなかった。話もギクシャクしていた。前作ラストで、メーテルはこれから昔の身体に戻るつもりであり、鉄郎に「いつか私が帰ってきて、あなたのそばにいても、あなたは私に気がつかないでしょうね」と言っていたのに、何の説明もなく同じ姿で出てきたのは、納得できなかった。鉄郎が父親である黒騎士と戦わなくてはいけない理由もわからなかった。黒騎士はルックスも、立場も「スターウォーズ」のダース・ベイダーを思わせるもので、それも嫌だった。前作で死んだクレアの代わりに、同じ透明な身体のメタルメナというウエイトレスが出てくるのだが、それも趣味の悪いパロディのように感じた。前作は観ている間、自分も999号に乗って旅してきたような気がしたが、今度はそんな事はまるで感じなかった。
初見時には、『さよなら〜』で鉄郎が黒騎士と戦うのがどうして嫌だと思ったのか、自分でも分からなかった。その理由は、ずいぶん後になって気がついた。要するに僕は、鉄郎の「父離れ」は前作で終わっていたと感じていたのだ。ちょっとフロイトっぽくなってしまうが、前作『銀河鉄道999』は「母離れ」の話であり、「父離れ」の話だった。前作には、鉄郎にとっての母親的イメージのキャラクター、父親的イメージのキャラクターが大勢出てくる。鉄郎がそれらと出逢い、乗り越えていく物語であったはずだ。母親的なキャラクターは言うまでもなく、鉄郎の母であり、彼女の姿をコピーしたメーテルであり、その母親であるプロメシュームだ。父親的なキャラクターで言えば、アンタレス(=よき父親のイメージ)が彼をかばって死に、また、鉄郎は母親の敵である機械伯爵(=自分から母親を奪った悪い父親のイメージ)を倒している。さらに、メーテルの父親であるドクター・バンの魂が入ったペンダントを、メーテル星の中心に投げており、ドクター・バンを殺したかたちになっている。メーテルが母親的イメージのキャラクターであるため、この行為も、エディプスコンプレックス的なものに感じる。ハーロックやトチローは、いつか鉄郎が肩を並べるべき兄的なキャラクターなのだろう。前作でそのように多重的に「父離れ」と「母離れ」を描いているのに、どうして今さら父親との対決なんてものを描かなくてはいけないのか、と思ったのだ。
ロードショーで観て以来、『さよなら〜』に対して、作品として真剣に向き合った事はない。この原稿を書くために、改めて観た。仕事の合間にチラチラと観たので、今回も真剣に観たとは言い難いが、とにかく観た。それで分かったのは、第1作と『さよなら〜』は、まるで違う映画だという事だった。作り手が、意識して「別のもの」として作ろうとした作品だ。第1作は「これから大人になろうとしている少年」の主観に沿って描かれたファンタジーであり、だから、エネルギーに満ちていてたし、夢や希望に溢れていた。『さよなら〜』は「その後」の物語だ。夢に胸を膨らませた冒険は終わった。鉄郎はもっと酷な世界で戦う。だから、『さよなら〜』は重たい物語になっている。だから、ワクワクする感じがない。勿論「その後」の物語だったとしても、ストーリーに関する疑問はあるのだが、どういった方向性の作品を作るかという事に関して、作り手の意図ははっきりしている。重たい話を作ろうとして、重たいフィルムにしたのだ。その意味で、演出的なブレはない。無理をして、夢に満ちた映画を作らなかったのは、むしろ、前作のドラマやキャラクターに対して、誠実だったといえるかもしれない。
第84回へつづく
さよなら銀河鉄道999 —アンドロメダ終着駅—
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(09.03.11)