アニメ様365日[小黒祐一郎]

第263回 柏葉英二郎について

 今日は、僕の極めて個人的な思い入れについての話。いつも個人的な事を書いているけれど、今回は特に個人的な話。どうして個人的かというと、自分以外に柏葉英二郎に感情移入して『タッチ』を観ている人がいると聞いた事がないからだ。
 柏葉英二郎は、達也達の3年時に、西尾監督の代理として明青野球部の監督になった男だ。サングラスに口ひげというルックスで、どう見ても堅気の人間ではない。実は西尾監督が、代理に選んだのは、彼の兄である英一郎だったのだが、手違いがあったようで、彼が赴任してきた。彼も兄の英一郎も学生時代に野球をやっており、明青野球部のOBだった。兄がバイク事故を起こし、その罪をかぶった事をきっかけに、柏葉英二郎は高校野球からリタイヤ。野球を憎むようになったようだ。監督代理になってからは、明青野球部ナインに厳しくあたり、試合ではどう考えても勝てそうにない采配をした。達也とナインにとって、柏葉英二郎は、甲子園出場を阻む大きな壁であった。
 柏葉英二郎(以下、柏葉と記す)のドラマは、『タッチ』の後半において、かなりの比重を占めていた。達也と南のドラマに次ぐぐらいの扱いだった。達也は、弟の和也の夢を引き継いで、甲子園を目指している。それをポジとするならば、兄のために野球を捨て、その後、転落の人生を歩んだらしい柏葉のドラマはネガ。あだち充は、達也達と対照的な柏葉を描く事で、作品のテーマを強調したのだろう。それは原作連載時から理解はできた。理解はできたけれど、それでも僕には、柏葉のドラマが挿入された事が、連載を引き延ばすための水増しのように思えて、ちょっといやだった。こっちは達也と新田の試合が見たいたんだよ。おっさんのドラマなんか興味ないよ。20歳前後の僕はそう思っていた。アニメ版でも、本放映時には、柏葉のドラマはあまり楽しめなかった。
 ところがだ。数年前にCSで放映された『タッチ』を全話観た。全話を観直したのは、久しぶりだった。その時に、柏葉のドラマに対する印象がガラリと変わってしまった。日が流れて、僕の年齢は達也達よりも、柏葉に近くなっていた。その時の視聴では、柏葉の気持ちが、凄くよく分かった。
 柏葉は、明青野球部を叩きのめす事で、野球に対して復讐しようとしていた。「野球に情熱をぶつける青春」を否定したかったのかもしれない。しかし、本人も自覚していなかったが、彼の中にも野球を愛する気持ちは残っていた。達也以外の明青ナインは柏葉の過去を知らず、彼の厳しさを自分達のためだと勘違いしていた。試合を重ね、自分を慕っているナインの気持ちに触れるうちに、柏葉の気持ちは揺れはじめ、達也の不器用な説得もあり、遂に須見工の決勝で勝つための采配をしてしまう。それが柏葉のドラマのクライマックスだった。決勝戦では、彼が明青野球部それぞれの選手の得手不得手、クセまで記憶していた事が判明している。
 厳しく明青ナインに接していたつもりの柏葉が、自分の甘さや、野球を愛している事に気づいていく過程がやたらと面白かった。うわっ、なんでこんなに面白いんだろうと、驚くくらい面白かった(一番面白かったのは、野球部部長に「選手に対して優しい」と言われ、虚を突かれて「ハッ」と驚くところだ)。そして、柏葉の事を信じている孝太郎達が、メチャメチャ可愛く思えた。知らず知らずのうちに柏葉に感情移入して観ていた。僕は、達也や孝太郎達を、柏葉の目線で観ていたのだ。
 繰り返しになるが、『タッチ』では、ダメ兄貴だった達也が、死んだ弟の代わりに甲子園を目指す。ナインの気持ちもひとつだ。家族も幼馴染みも応援している。いい話ではあるが、いい話でありすぎるかもしれない。達也達の障害となる柏葉の存在は、リアリティのないものになりかねない『タッチ』の物語に、真実味を与えるために必要なものでもあった。「世の中そんなに甘くないぞ」という事を示すために柏葉が登場したわけだ。
 そして、柏葉は、上杉兄弟のアンチテーゼであるだけでなく、一部の読者や視聴者の気持ちを代弁する存在でもあった。絵に描いたような爽やかな青春を体験した人間なんて、ほんの僅かしかいないはずだ。だから、『タッチ』を読んだり観たりして「こんな理想的な青春があるわけないじゃないか」と思っている人達が少なからずいただろう。柏葉は劇中で、達也と明青ナインの「明るくて、ひたむきな青春」を否定する立場の人間であり、正反対の立場である「暗くて、鬱屈した青春」の代表でもあった。明るい青春の物語で、主人公達の前に、暗い青春が障害としてが立ちふさがったというかたちだ。柏葉が、達也達の「いかにも青春らしい青春」を嫌っていたのは、須見工との試合が終わった後での、病室での達也達との会話でも分かる。
 「暗くて、鬱屈した青春」の代表という事は、つまりは「こんな青春あるわけないじゃん」と毒づくような読者や視聴者の気持ちを代弁する者でもあった。しかし、達也達は柏葉を倒すのではなく、彼の中のポジティブなものを呼び起こす事で、そのドラマに決着をつけた。『タッチ』はいくつものドラマの積み重ねを経て「明るくて、ひたむきな青春」が「暗くて、鬱屈した青春」に勝利する物語でもあったわけだ。そういった物語の構造についても、僕は、原作連載中に頭では分かっていたのだろうが、自分の身に染みる感じではなかった。CSで放映された『タッチ』を観て、僕が柏葉のドラマを面白いと感じたのは、中年になった僕が、柏葉と同じように、劇中で描かれた青春を「こんなのは絵空事だよな」と思っており、柏葉と一緒にその気持ちを打ち砕かれたからなのだろう。
 柏葉のドラマは、原作とアニメ版とで、あまり違いはない。ではあるが、どういうわけかアニメ版の方がずっと面白い。それはメディアの違いのためかもしれないし、アニメ版の語り口のためかもしれない。

第264回へつづく

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(09.12.04)