「どうしてシャアは、あの時……」と、時々考える。ファーストガンダムの赤い彗星の事ではなく、『Z』のクワトロ・バジーナの事でもなく、『逆襲のシャア』のシャア・アズナブルの事だ。
『逆襲のシャア』は1988年に公開された劇場作品で、アムロとシャアの物語の決着を描いたものだ。公開から数年経って、僕の周りで(主には、庵野秀明監督を中心にして)『逆襲のシャア』のブームが起きた。富野作品で言うと『F91』から『Vガンダム』が発表されていた頃の事だ。
正直言って、初見では『逆襲のシャア』はよく分からなかった。大変な映画である事は理解できたが、それをどう受け止めていいのか分からなかった。当時はそれを、多くの情報が詰め込まれているためかと思っていたが、実は観客である僕の年齢のためだったのかもしれない。『逆襲のシャア』の印象は、自分が年齢を経るごとに変わり続けている。
『F91』や『Vガンダム』の頃、業界やアニメファンの間で“作家・富野由悠季”が話題になる事はあまりなかった。そういう時期だったのだ。やっぱり富野さんは凄いんだ、『逆襲のシャア』はかつてなかったアニメなんだ、という想いで、僕らは『逆襲のシャア』や富野さんを話題にした。細々とであったがアニメ雑誌で記事を組み、庵野秀明さん達と『逆襲のシャア』同人誌を作ったりした。口幅ったい言い方になるが“富野由悠季・再評価”という意識があった。「なぜ、お前達には『逆襲のシャア』のよさが分からん!」みたいに思っていた。
『逆襲のシャア』の何がいいって、キャラクターが生々しく、存在感があるところだ。富野さん自身の言葉を借りれば「肉づきのあるキャラター」になっている。血肉が感じられる。例えば、ギュネイがクェスに言った「大佐のララァ・スンって寝言を聞いた女は、かなりいるんだ」というセリフがある。このセリフひとつで、シャアが女性と寝て、寝言で昔の名前を言ってしまった事、それを女達が吹聴している事、ギュネイのような小僧までがそれを知っている事がわかる。下世話だが、それがいい。
この作品の見どころは、やはりシャア自身であり、一挙一動に彼の“気分”がよく出ている。それを富野監督の“気分”と言っても差し支えないだろう。この場合の“気分”とは、その場の感情という意味だけではなく、生活感や人生観を含んだものだ。『逆襲のシャア』について語り合っていた頃、よく僕らはその“気分”という言葉を口にしていた。
シャアは、政治家としての仕事もやってみせ、同時にパイロットとしても前線に出る。見えすいたウソをついて、クェスやギュネイを働かせる。大人として汚れて疲れ、愛人でもあるナナイに甘える。しかし、そのナナイも彼の心を癒やす事はできない。
シャアは自分のところにあったサイコフレームの情報を、アムロ達のロンド・ベル側に回している。それは性能の劣ったモビルスーツに勝っても仕方がないと考えたからだ。最新の技術を渡して相手に充分な力をつけさせて、その上でアムロを叩きつぶす。ネオ・ジオンの総帥として作戦を成功させ、宿敵も倒す。それがシャアが目論んだ完全勝利だったのだが、結局、パイロットとしてアムロに勝つ事はできなかった。その哀れさも人間らしくていい。
映画中盤で、彼はアムロに対して「私はお前と違って、パイロットだけをやっているわけにはいかん」と言う。このセリフが一番好きだ。政治家とパイロットを両方やっているのは、自分で選んだ事だろう。それなのに「お前と違って」なんて、言いがかりみたいな事を言う。正義感だけでモビルスーツに乗っているアムロの単純さが腹立たしかったのだろう。その気持ちはよく分かる(正確には、ちょっと前に「よく分かるぞ!」と思っていた)。アムロに対する気持ちではなく、そういう事を言ってしまうシャアのフラストレーションがよく分かる。
映画後半で、アムロが「革命はいつもインテリが始めるが……」などと言って、シャアを責めるところがある。あれは政治などには縁遠いアムロが一所懸命に考えて、難しい事を言っているのだろう。彼が言う事の青臭さ、自分からは何かの行動を起こしはせずに文句を言っているところも、シャアは嫌だったに違いない。そんな風に彼らの気持ちを考えるのが愉しい。ギュネイの鬱屈や、クェスのエキセントリックさもよい。「そんな事を言うから若い男は嫌いなんだ」とかね。ハサウェイは「ハッチを開いて。顔を見れば、そんなイライラすぐに忘れるよ」なんて言う。その歯の浮きそうな感じは、いかにも勘違いした子供が言いそうなものだ。印象的なセリフを拾い出したらキリがない。
シャアの本当の目的が人類の粛正なのか、アムロを倒してララァについての悔しさを晴らす事なのか、そのどちらなのかがよく分からない。シャアの最期のセリフは「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」という衝撃的なものだ。最初にこの映画を観たときには、そっちが本音なのかと思ったけれど、後で考えてみると、そうでもないのかもしれない。そのあたりについては、いまだに考えている。
場面のひとつひとつ、セリフのひとつひとつを噛みしめると、ますますアジが出てくる。それが『逆襲のシャア』の面白さだ。こんなにもキャラクターの事を深く考えていたのか、こんなにも1本の映画に想いを込めたのか。観返したり、思い返したりするたびに感心してしまう。そして、「どうしてシャアは、あの時……」と考える。まるで実在する人間について考えるように、シャアについて考えてしまう。これは他の作品ではない事だ。そんな風に考えるのは、富野監督の全ての作品のなかで『逆襲のシャア』が、もっともキャラクターの肉づきのある作品であるためなのだろう。
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