今日はビミョーな話を書く。多分、第67回の「第1次アニメブームは虫プロブームでもあった」という話も若い読者にはピンとこない内容だったろう。今回は更に分かりづらい話だと思う。同年輩のアニメファンの人と話すと「ああ、確かにそうかもしれないね」と、うなづいてもらえる話なのだけれど、あの時代にリアルタイムで観ていないと、よく分からない話だろう。ここで言う「あの時代」とは、1980年から1984年頃の事だ。
第67回でも書いたようにアニメブーム期に、宮崎駿は「アニメ的」というよりは「マンガ映画的」な作品を作っていた。当時の他作品と比べれば、確かに『未来少年コナン』も『カリオストロの城』も、あるいはその後の『名探偵ホームズ』もマンガ映画的な作品だった。
ところが、宮崎駿の作品史として見ると、1980年から1984年頃、彼の作品は「アニメ」に寄っていた。そうではないかと思えるのだ。勿論、この場合の「アニメ」とは「若者のための刺激的な娯楽」という狭義の定義による「アニメ」である。具体的なタイトルを挙げれば、『新ルパン』の「死の翼アルバトロス」「さらば愛しきルパンよ」、それと『名探偵ホームズ』と『風の谷のナウシカ』の事だ。
「アニメ」に寄ったのは内容と映像の両面についてだ。「死の翼アルバトロス」は飛行機アクションが山盛りの内容で、「さらば愛しきルパンよ」は新宿を舞台にした過激な戦闘シーンが見せ場。しかも、美少女がロボットに乗り込むというアニメチックなプロットだ。「死の翼アルバトロス」も「さらば愛しきルパンよ」も、核や軍事産業をモチーフにしている。それ自体をアニメ的だとは言えないかもしれないが(また、過去にも宮崎駿は社会的テーマを扱った作品に参加してはいるが)、少なくとも、それはマンガ映画的ではない。
『名探偵ホームズ』はクラシカルなマンガ映画の世界だが、アクションは過剰なものだ。一画面内で沢山のものを同時に動かす場面も多い。些末な事と思われるかもしれないが、『名探偵ホームズ』では他の宮崎作品にはない派手な(しかも一風変わった)光の描写があり、それも印象的だ。ハドソン夫人が19歳の未亡人という設定で、劇中でアイドル扱いされている事や、彼女があっと驚く大活躍をする事を、アニメ的だとするのは強引過ぎるだろうか(少なくとも「ドーバー海峡の大空中戦!」でハドソン夫人が銃をクルクルと回すカットは、完璧にアニメだ!)。
一転して『風の谷のナウシカ』は未来を舞台にしたSF活劇だ。血生臭いと評してよいほどの、ハードな内容であり、決して大らかなマンガ映画ではない。それ以降も宮崎駿はマンガ映画的でない作品を作っていく事になるのだが、特に『ナウシカ』の内容は「非マンガ映画的」だ。主人公の自己犠牲的な部分とその復活のドラマに、アニメブーム期の独特のノリが感じ取れなくもない。スタッフに目をやれば、作画監督に小松原一男、原画に金田伊功、なかむらたかしの名前があるのは、宮崎作品としてはかなり異色だった(金田さんは、その後、宮崎アニメの常連となるが)し、金田さん、なかむらさんの原画の個性はしっかりと画面に残っている。まるで劇場『銀河鉄道999』か『幻魔大戦』だ。
また、当時、彼は出版物のために『カリ城』等の版権イラストを描いているが、微妙に劇画タッチというか、「格好いいアニメ」のような画風になっているものがある。それを見て「あれ? こんな画を描くんだ」と思ったものだ。
そういった傾向が、宮崎駿自身がアニメブームや、当時の流行を意識したために生まれたものだとまでは断言できない。前にも書いたように、宮崎駿は東映長編系のスタッフの中で、一番「アニメ」な人物である。その趣味性やサービス精神がエスカレートして、たまたまそのように見える時期があっただけなのかもしれない。
僕のアニメ史観で言えば、ずっと「マンガ映画」や「TVマンガ」を作ってきた宮崎駿が、1980年から1983年頃にちょっとだけ「アニメ」に浮気をした。アニメを作ったと言うよりは、アニメ風味が入った「マンガ映画」を作ったというべきか。その「アニメ風味のマンガ映画」は、ファンにとって美味しいご馳走だった。そして『ナウシカ』の後に宮崎駿は「マンガ映画」でも「アニメ」でもない「宮崎作品」を作っていく事になる。その変遷はとても面白いし、機会があればもっと検証したいと思っている。
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