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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第81回 『ケモノヅメ』始末記

 あまり人に話していないが、副業でアニメの企画のお手伝いをしている。大抵は企画書の作成をする仕事だ。裏方の仕事なので、その企画が実現しても作品でクレジットされるとは限らない。『ケモノヅメ』も最初はそんな関わりになるはずだった。
 考えてみると『ケモノヅメ』というタイトルとは長い付き合いだ。湯浅さんに新作の企画を考えてもらうところから参加している。勿論、企画書も作った。企画書のデザインはうちの事務所の女の子が担当している。紙も凝って、ちょっと豪華な作りのものにした。「帰ってきた! 週刊ユアサ」第1回のイラストは、企画書の表紙で使ったものだ。
 企画書が完成したところで、自分の仕事はオシマイになると思っていたのだけれど、色々な事情があって、その後もずっとお付き合いする事になった。最初の頃は、シナリオ打ち合わせだけでなく、設定打ち合わせ、美術打ち合わせ、制作スケジュールについての打ち合わせにも参加していた。『ケモノヅメ』の美術は変わったやり方をしている。先に写真を撮って、それを加工して背景を作っているのだ。劇中に踏切が出てくれば踏切の写真を撮り、繁華街が出てくれば繁華街の写真を撮る。そのカメラマンの手配も僕がやった。「この人に話を聞きたい」で写真を撮ってもらっている平賀正明さんだ。初期には大勢のイラストレーターを起用して美術をやってもらうというプランがあり、そのためにイラストレーターを集めたり、あるいはタイトルロゴを制作するデザイナーに声をかけたりもした。
 僕が働いたのは、主には今年の1月から3月。その間は、早朝に自分の事務所に入って、昼過ぎまで本業の仕事をやり、夕方はマッドハウスに行って打ち合わせをこなし、夜は事務所に戻るという二重生活だった。スタジオ内に作画机をもらい、その机でキーボードを叩いた。長い事、アニメの仕事をやってきたが、作画机で仕事をしたのは初めてだ。
 僕のメインの仕事は文芸だった。湯浅さんを補佐するかたちで、アイデアを出したり、プロットをまとめたり(他にも、メインストーリーのプラン作りに参加したスタッフはいるのだが、それはまた別の話)。最初の頃はコンテ打ちにも同席した。自分で脚本を書く時には、荻窪七のペンネームを使った。これは荻窪にあるマッドハウスの7階で『ケモノヅメ』班が仕事をしていたので、そこからつけた名前だ。「阿佐みなみ」や「善福次郎」の系譜につながる中央線沿線ペンネームである。放映が始まってからは毎回アフレコに顔を出したり、公式サイトを運営し、人手が足りなくなるとアニメーター集めのお手伝いもした。

 湯浅監督は企画書の段階から「今回は画に凝らないで、ドラマに力を入れたい。濃いドラマをやりたい」と言っていた。「濃いドラマ」という部分には素直に共感できた。文芸の立場としてはなるべく濃く、ハードな話になるように心がけた。そう思っていただけに、謎キャラクターであるサルの大活躍にはちょっと当惑した。「今回は画に凝らないで」というのは大嘘だった。いや、監督自身はセーブしていたのかもしれないけれど、シリーズ通じて凝りまくりだった。それは制作スタッフの頑張りのお陰でもある。僕が予想したよりも、ずっと作画的に充実した作品となった。作画マニアの方々にも楽しんでいただけたのではないかと思う。
 作画と言えば『ケモノヅメ』には、毎回30秒のアバンタイトルがある。ここは本編のドラマとは基本的に関係ない。大半が人間として暮らしている食人鬼がその正体を現して、人を襲うというものだった。昨年の秋だったか、シリーズ全体の構成が見えてきた頃に、食人鬼がメインモチーフの作品なのに、食人鬼の強さ、怖さを描いている余裕がない事が分かってきた。だったらオープニングの前に、本編と関係ないミニドラマをつけて、そこで食人鬼の活躍を描くのはどうだろう。その部分は色々なアニメーターに依頼して、そのアニメーターの個性でまとめてもらうのも面白いのではないか。これも言い出しっぺは僕だ。僕はよくそういう思いつきを口にするのだが、こんなふうに実現する事は滅多にない。アバンタイトル部分は、担当アニメーターがコンテからやったものもある。脚本はなく、内容は基本的に担当した人にお任せだったはずだ。
 勉強になったのは、シリーズ構成案→シナリオ→絵コンテ→アフレコラッシュ→完成品と、内容が膨らんだり変化していく過程を、内部スタッフとして見られた事だ。過去に関わった『少女革命ウテナ』や『機動戦艦ナデシコ Martian Successor Nadesico』でも近いポジションにいたのだけど、今回は作画以降の作り込みが多いスタイルだったので、絵コンテ後の変化が面白かった。アフレコラッシュの段階ではラフ原画だったものが完成品で実写になったり、アフレコラッシュでコンテ撮だった部分が超絶作画で動いたりして、そういった部分は楽しかった。自分自身の事で言えば、シナリオやコンテの段階で選曲をイメージするという事も、ようやくできるようになった。
 実写のムービーを加工して使うのも『ケモノヅメ』の特徴で、制作の若い人達がチェーンソーを買ってきてそれを撮影したりしているのは、まるで自主制作映画を作っているようだった。僕も素材として撮影されてしまったのだけれど、それについては次回お話しする事にする。

 最終回を迎えた後で振り返れば、最初にイメージしていたよりも、ずっと不思議な味わいのフィルムになった。視聴者の立場からすると、カルト的な作品になっているのではないだろうか。文芸をやった自分が言うのもナンだけど、ドラマ的にも面白いフィルムになっていると思う。「湯浅監督が思ったとおりに作る」というのが、この作品の目的のひとつであり、監督自身がどう思っているかは分からないが、それは達成できているはずだ。
 たったひとつ残念な事がある。『ケモノヅメ』は、自分が視聴者だったら、是非とも取材したいタイプの作品だ。どんな意図でああいった内容になったのか、どんなふうに作ったか、気になってたまらないだろう。最終回の展開についても、是非、監督に聞きたいと思ったはずだ。だけど、制作過程は大体見ているし、脚本は決定稿になるまでお付き合いしている。聞きたい事もあるけれど、それはほんの少しだけだ。雑誌編集者としては、そこがちょっと残念だ。


 

■第82回に続く


(06.11.09)

 
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