アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その11 ホルスの大冒険

 高校時代、私は人生を決定づける2本のアニメ映画と出会っています。
 東映動画の『太陽の王子 ホルスの大冒険』と、リバイバル上映されたウォルト・ディズニーの『白雪姫』です。
 『ホルス』は、実は当時、私は映画館では観ていませんが、通学のバスの窓越しにポスターを見た記憶はしっかりと焼きついています。
 『ホルス』を観たのは映画館ではなく、同じ年に、子供会を中心対象に開かれた夏休み映画会でした。場所は高崎市の群馬音楽センターホール。実写映画『ここに泉あり』(1955年、今井正監督)にも描かれた、市民のための交響楽団ゆかりの会場です。今でも、映画館のない地域の子供たちに向けて、公開期間中の映画をホール上映するということはありますが、当時、市内に東映直営館はありましたし、それ以前も以後も、こうした催しの覚えはないので、『ホルス』の、その成り立ちから労組の支援活動が盛んだったことを思えば、この映画会もそうした意図で企画されたのではないかと思っています。
 結果として、他の併映作品に時間を取られることなく集中して、しかも、歌と音楽が重要な要素であるこの作品を、オーケストラのための音響設備が整ったこの会場で観られたことはむしろ幸運だったと思います。
 さて、時刻表などあってなきがごとき田舎のバスの運行はその日も遅れ、私が会場に入った時、すでに映画は始まっていました。暗闇の中で、目の前のスクリーン一杯に広がっていたのは、大カマスが倒され、暗く沈んでいた村が明るい希望の色へと変わり、村人たちがワッと走り出す、まさにその瞬間でした。今まで見たこともない演出効果と、躍動する画面。激しい衝撃を受け、席に着くことも忘れて、私はしばしその場に立ちつくしていました。
 そしてヒルダの登場。謎めいた微笑み。人間と、悪魔の妹との間で揺れ動き、葛藤する心。哀しくも恐ろしい歌詞をもった竪琴の歌。いくつものダイナミックな群集シーンと、前衛的な心理描写、高らかに謳い上げられる「団結」のテーマ。画面から吹き寄せる、凄まじいばかりの熱気。
 アニメーションで、こんなことができるのか!
 こうして書いていても、あの日の衝撃がまざまざと甦ってくるようです。
 呆然として家に帰り、2日連続の催しの、次の日もまた出かけ、午前と午後と、2回観ました。作品そのものの感動と、アニメーションの持つ可能性の大きさに、胸の内はたぎるようでした。以前の回で書いた、いつも感想を書きとめている手帳を丸々2冊使って、熱い思いをしるしました。
 『ホルス』についてはすでに何度も文章にしていますし、その制作状況等を直接知る機会にも恵まれ、また演出の高畑勲さんご自身の筆になる解説書『「ホルス」の映像表現』(徳間書店アニメージュ文庫)や、作画監督の大塚康生さんの『作画汗まみれ』(同文庫)他の著書を読み、自らも齢を重ねることで、私自身の『ホルス』への思いは現在では大分鎮静化したものになっています。手帳もすでに失ってしまったので、多感な高校生の私があの日、どんな感想を抱いたのか、今となっては正確には思い出せません。
 ただ、あの日、私が、アニメーションそのものが持つ、熱く大きな炎を受け取ったことだけは間違いないのです。

 『ホルス』の公開以前、東映動画の長編は、はっきり言って不振でした。幼時からの私を夢中にさせた豪華な夢のかたまりとしての東映長編アニメは、いつしか別のものになっていました。
 1965年3月『ガリバーの宇宙旅行』、1966年7月『サイボーグ009』、1967年3月『少年ジャックと魔法使い』『サイボーグ009 怪獣戦争』、同年7月『ひょっこりひょうたん島』、1968年3月『アンデルセン物語』。これらが、1968年7月公開の『ホルス』以前の作品です。
 『ホルス』の企画自体は実際にはもっと以前であること、ここに上げた作品にも今にして思えば見るべき点がいくつもあること等を別にしても、長編と呼ぶにはいかにも線が細い作品や、TVの延長上にあるような企画ばかりが並んでいます。
 そうして映画館に足を運ぶこともなくなりかけていた頃の『ホルス』との突然の出会いは、私に再び劇場用長編アニメーションに目を向けさせ、東映動画の名が改めて輝いて感じられました。
 アニメーションは素晴らしい。いつか自分もその世界を目指そう。『ホルス』は私の遥かな夢に火をつけてくれたのです。

その12へ続く

(07.07.06)