アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その33 『わんぱく王子の大蛇退治』16ミリ上映会から

 1971年の9月、アニ同の上映会で16ミリながら『わんぱく王子の大蛇退治』を上映することになりました。
 アニ同では1970年11月に『ホルスの大冒険』、この1971年9月に「東映動画作品群‐1」として『わんぱく王子の大蛇退治』を、翌1972年1月に「東映動画作品群‐2」として『長靴をはいた猫』を上映しています。これらが、その後各所で行われるようになる東映長編上映会のはしりだと思います。

 この(通称)『ホルス』『わんぱく』『長猫』の3本は東映動画3大長編と呼ばれており、これらに『どうぶつ宝島』(通称・ど宝)を加えて4大長編と呼ぶこともあります。……などと他人事のように書いてしまいましたが、この呼び方を始めたのは多分、私。『長猫』『ど宝』の略称も、前号で書いた旧版を含めた『FILM1/24』や、会報『FILM1/18』等々で自ら一文字一文字手書きで版下原稿を書く手間を少しでも減らそうとして始めたもので、パソコンのようにtabキーひとつで自動入力可能でない時代の苦肉の策です。話し言葉の中でなら「長靴をはいた猫が……」とか「どうぶつ宝島は……」とかすらっと出ますが、ひとつひとつ何回も書いていくのは大変なのです。『長靴をはいた猫』の姉妹篇『ながぐつ三銃士』を『長三(ながさん)』、『長靴をはいた猫 80日間世界一周』を『長八(ながはち)』、『パンダコパンダ』を『パンコパ』というのも、その伝ですね。もっとも、渡辺泰さんのように資料性を大事にする方には評判の悪い略称ですが。

 話が逸れてしまいましたが、この頃のアニ同の活動の中心は湯川さんでした。いつものコボタン2階での月曜集会で、メンバーが集まって上映会の打ち合わせをしました。上映会場は高円寺会館。その頃、アニ同の上映会の定番になりつつあった中央線沿いの公共施設です。フィルムはどこから調達しようという段になり、いつもお世話になっている杉本さんの家は7月に火災に遭ったばかりであり、東映動画から直接借りるのは費用の点で難しく、図書館等のライブラリーフィルムは状態に難ありということでした。私はちょうど夏休みに地元群馬県の各市の施設のライブラリーを巡ってリストを入手していて、前橋市に『わんぱく』の16ミリがあるのを知っていましたので、これを借りてみてはと提案してみました。少しでもアニ同の役に立てればと思ってのことでしたが、話はとんとん拍子にそれで行こうということに決まりました。
 湯川さんは会長でこそありませんでしたが、積極的に皆を引っ張っていく人でした。そして同時に周囲の人間のやる気を上手く拾い上げてくれる人でした。こういう人が上にいると会の活動は内側から自ずと活性化して行くものです。当時のアニ同にとって最高のリーダーでした。
 さて、『わんぱく』のフィルムを前橋市まで借りに行くことになりましたが、実は、フィルムの借出しは県内居住者の16ミリ映写免許証がないといけなかったのです。私はすでに都内に住所を移してしまっていたので、高校の恩師の力を借りて手続きをしたり、当日は湯川さんたちが高崎線ではるばるフィルムを受け取りにきてくれたり、なんだか大げさなことになってしまいました。
 当日のプログラムは『わんぱく』を中心に、『もぐらのモトロ』『こねこのらくがき』「漫画映画の出来るまで」等々を加えた豪華なものでしたが、肝心の『わんぱく』のフィルムは、映写してみると傷が入り褪色もあって、よい状態ではありませんでした。借入前に状態を確かめるのは無理なことではありますが、湯川さんにも、当日来てくださった観客の方々にも申し訳なく、1人よがりで先走ってはいけないと痛感しました。
 私はその時、アナウンス係を兼ねて映写室の窓から見ていましたが、16ミリでは、肝心要のオロチ出現シーン、崖の向こうをトゲのある巨体が動き、やがて色も形も微妙に違う8頭のオロチが姿を現わす緊迫の名シーンが、暗く潰れてしまってよく見えなかったのです。
 私は『わんぱく』は残念なことに封切では観ておらず、直後にTV放映されたものを見ています。小学生の頃ですから、映画館へ行く行かないは親の裁量の範囲だったのです。その後、公民館等の映画会でも観てはいますが、やはり映画は映画館で観るのが一番です。ましてオリジナルは35ミリ、しかもシネスコの長編ですから、16ミリフィルムを映写するのとはまるで違うはずです。いつか35ミリで東映長編を! 『わんぱく』を上映したい! この時の苦い経験が、決して譲れない強い望みに変わりました。やがてその望みが実現するのは、それから4年余り後の1976年1月。御茶ノ水の全電通ホールで行われたアニドウ主催「第1回 35ミリで長編を見る会」での『わんぱく王子の大蛇退治』の上映会でした。大音響と、鮮やかな色彩、暗い部分もはっきりと視認できる、35ミリならではの大興奮の上映会でした。アニドウの、そして『FILM1/24』での活動を通して私が言い続けた、願い続ければ夢は必ず叶う、そのことの原点が、かつての『わんぱく』の上映会だったのです。作品の価値のみならず、こうした面でも『わんぱく』は私にとって特別な存在なのです。

その34へ続く

(08.06.27)