アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その60 ハイジ始まる

 1974年は公私共に大きな変化があった年でした。
 仕事の上ではこの年1月6日から『アルプスの少女ハイジ』がTV放送を開始しています。日曜夜7時半からのフジ系列で、後に世界名作劇場と呼ばれる時間帯ですが、『ハイジ』の製作はズイヨー映像で、日本アニメーションの製作になるのは次の『フランダースの犬』からです。

 オープロは前番組の『山ねずみロッキーチャック』の作画が終わるのと併行して『ハイジ』に入りました。原画は村田氏、才田さん、米川さん、真鍋譲二さんたち。動画は田中知子さん、束田久美子さん、私(富沢洋子)他数人。
 作画に入る前に、進行さんがすでにでき上がっていた第1話の16ミリフィルムを運んできて、オープロのリビングで即席の試写をしてくれました。これはずいぶん異例のことと思います。この一事だけでもメインスタッフの『ハイジ』にかける思いや意気込みが伝わるでしょう。と同時に『ハイジ』の作業が最初のうちは大分先行していたことも分かります。
 高畑さんたちメインスタッフは、第1話をあらかじめ見せることで、下請けにまで作画のポイントを伝え、世界観を共有してくれるよう配慮したのでした。キャラ表を見れば、その衣装や目の描き方等の細かい約束事は分かりますが、どんな性格でどんな表情をし、どんなタイミングで動くのかは、実際の画面を見るのが一番有効です。
 そしてそれは、今まで当然のこととして行われていた、作品を担当するプロダクションや班によってキャラクター個々の顔や動きが、時には世界観までもが違ってしまう波のある作り方とは、まったく違う制作方法を始めることの表明でもあったのです。
 各話ごとにスタイルが違う作画は、実は当時のアニメファンにとっては大きな楽しみのひとつでもありました。それは現在のように、少しでもキャラクターの顔や動きが他と違って見えるだけで作画崩壊と騒ぎ立てるよりずっと大らかで、ある意味豊かな鑑賞方法だったのではないかと思いますが、それはまた別の話。

 他の会社でもこうした試写が行われたのかどうかは知りません。でも例えば作画打合せの時に集まった原画マンだけに見せるのでなく、わざわざフィルムを運んできて、原画ばかりか末端の動画マンである我々にまで見せてくれたのは、とてもありがたいことでした。と同時にそれは、実際の制作が始まってからは毎回半パートほどの作画を担当することになるオープロに対する信頼の表れではないかと思い、その信頼が後のオープロ自主作品である『セロ弾きのゴーシュ』での高畑さんの演出登板につながっていったのだと思います。

 それはともかく、その時に見た第1話は本当に驚愕でした。まだ時間的余裕のある頃であり、全体の見本になるようにとも考えてのことでしょうが、キャラクターデザイン&作画監督の小田部羊一さん自身と、『ハイジ』では場面設定&画面構成という役割を担うことになる宮崎駿さんの2人が直接原画を描いています。宮崎さんは現在はうしろに監督とつく立場になっていますが、その本質はとてつもなく巧いアニメーターなのです。
 原画に元東映動画のアニメーターで宮崎さんの奥さんである太田朱美さんは加わっていたかどうか。『母をたずねて三千里』の時には参加されていましたが。オープニングの原画の多くは大ベテランの森康二さんの手になる愛らしいもので、この第1話は当時の日本のアニメーターの最高峰が結集した素晴らしいものです。
 まだ幼い、真っ赤なほっぺの丸々としたハイジの表情の生き生きした可愛らしさ、幼い子供らしい仕草の細やかさ。後半のアルムの山で、ハイジが着込んでいた服を1枚1枚脱いで駆け出すシーンでは見ていた女性たちから歓声が上がり、ペーターの山羊たちが一斉に手前へ向って走ってくるカットでは皆、驚嘆の声を上げました。私はペーターが脱ぎ散らされたハイジの服を集めて駆け回るシーンに往年の東映長編の軽やかな醍醐味を感じて喜びました。田中さんたちはハイジを見て、声が同じ杉山佳寿子さんということもあって、前に手がけた『パンダコパンダ』のミミちゃんに似て可愛いと気に入っていました。
 作画ばかりか、井岡雅宏さんの手がけた背景は現地の光や空気までも感じさせるほどで、目を洗うかのような美しさでした。演出的にも、不自由な街の暮らしをカゴの中の小鳥で象徴したり、人々とのやりとりの中にデーテおばさんの心情を感じとらせたりのデリケートな面あり、一転してアルムの山で解き放たれるハイジの心を弾むようにテンポいいカット割りで描いてみせたりと自在で、さらなる成熟を感じさせる見事なものでした。ハイジの大ブランコのように、通常のTV作品では敬遠されるような面倒な作業を丁寧にこなした撮影の仕事も光っていました。すべての面で『ハイジ』は、それまでのTVアニメとは一線を画す作品を目指していることが伝わってきました。

 実際の作業に入ると、その意気込みを現実の形にするためのメインスタッフの努力がすぐに見てとれました。キャラ表と一緒に大量の場面設定表が届いたのです。アルムの山小屋を描いたそれは精緻で、実際の建築設計図のようにどの面から見ても建物の造りや内部の配置、人物の居場所が分かるようになっていました。ハイジやアルムおんじが使う食器や道具類も材質込みで細かく設定されていました。
 それまでの作品では、美術の手になる建物等の設定は勿論ありますが、原画マンがそれを参考にカットごとの背景原図を描き、それに従って背景画が描かれるのが普通でしたから、カットごと、話数ごとに少しずつ配置や構造等が違っていてもそれはむしろ当然に受けとられていたのです。ましてや小道具に至っては各自任せが当たり前でした。
 『ハイジ』の各種の設定画や大小の道具類は、宮崎さんが抜群の才能とロケハンの成果を生かして次々と描き上げて行きました。才田さんから聞いた話ですが、(旧)『ルパン三世』の時にも、作画打合せの席に高畑さんと宮崎さんが同席し、絵コンテを読み上げる高畑さんの横で、何かその回だけに必要な物、例えば船等が出てくると、話に加わりながら宮崎さんがその場でサラサラと設定画を描き上げてしまうことがしばしばだったそうです。

その61へ続く

(09.07.10)