アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その77 母をたずねて三千里

 1976年という年は公私共に大きな変化があった年でした。
 仕事では1月から名作劇場の最高傑作、いえ、もしかしたら高畑勳さんという作家にとっての最高傑作かも知れないTVシリーズ『母をたずねて三千里』が放送を開始しました。
 高畑さんたちメインスタッフは前年に名作劇場の恒例となった現地ロケハンを行っていますので、『フランダースの犬』の次は『三千里』だということは、私たち下請けの間にも決定事項として伝わっており、いやが上にも期待は高まっていました。

 『三千里』での高畑さんの演出は人間とそのドラマを描くという点において『ハイジ』の頃よりさらに深まっており、小田部さんのキャラクターデザインも様々な人の表情や衣服、性格を感じさせる佇まいを適確な実感を持って描き出していました。後に小田部さんの当時のスケッチを見せていただく機会がありましたが、素描風に鉛筆を柔らかく動かして描かれた人物たちは何とも言えぬ趣きがあり素敵でした。
 原作は、デ・アミーチスの『クオレ』の中のほんの短編で、主人公マルコはもちろん、その家族や周辺の人々、さらに旅の途中で出会うおびただしい数の人々の設定からエピソードのひとつひとつまで、全52話のほぼ全てがスタッフのオリジナルと言っていい作りになっています。
 脚本は高畑さんとは『ホルスの大冒険』で気心の知れた深沢一夫さんが全てを受け持ち、当時の社会情勢を織り込み、ファミリー向けだからといって決して手加減せずに人の心の裏も表も書き込んだ深みのある作品に仕上げています。
 人形劇団出身という深沢さんの経歴は『ホルス』のイメージソースとしても作用しましたが、『三千里』でも人形劇のペッピーノ一座という重要なバイプレーヤーを生み出しました。
 この人形劇という設定は作画をしていてもとても楽しく、お母さんに会えそうで会えないマルコの苦難の旅路の中の一種の活力剤にもなりました。宮崎駿さんのレイアウトも人形劇のシーンになると生き生きと伸びやかな筆致が伝わってきました。劇の内容もお金のために男を天秤にかける美女等、人形劇だからこそ許されたようなもので、スタッフ皆がこの人形劇で一種の息抜きをしていたのではないでしょうか。本当にこれはいい設定だったと思います。
 同じ意味で、サルのアメデオの存在も大きいものでした。擬人化されておらず、実在のサルをモデルにしたのでもないという白い子ザルのアメデオは小田部さんが創り出した傑作です。マルコの思惑もお構いなしに自分の意志で自由に動き回るアメデオは特に後半のつらい展開の中に明るさをもたらす存在でした。アニメーターはどうしても、じっくりした日常芝居よりも自分の鉛筆の先から生命の躍動を生み出すことの方に喜びを感じることが多いものです。アメデオの軽やかな動きはそうしたアニメーター的な欲求を発散させてくれるものにもなっていたのです。
 原作では曖昧だったマルコが母を捜しにアルゼンチンへ旅立つ理由づけもしっかりとなされました。ここで考案された、マルコの父ピエトロが貧しい人々のための診療所を営んでいる(自身は医者ではない)という設定は後々も生かされ、作品全体を貫く1本の糸となっています。彼らが暮らすイタリアの港町ジェノバの描写も話数をかけてしっかりと描かれ、そこには巨匠ヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』等、映画界のイタリアン・ネオリアリズムのよき影響も見てとれます。
 港町ゆえに船の描写もつきもので、巨大な帆船が方向を変える場面には綿密に計算された密着マルチの手法が使われ、見事な効果を生んでいます。現在ではこうしたものは3DCGで描かれることが多いのですが、そうしなくても知識と経験、技術と工夫とによって効果は出せることを教えられます。何よりも手描きの絵にはCGにはない温かみがあると思います。

 『ハイジ』でもそうでしたが『三千里』でも第2話が絶品です。建物と建物の間の狭い路地、坂や階段の多い入り組んで起伏のある空間を上から下まで巧みに使いこなしたレイアウトの素晴らしさと、その間をくるくると動き回る小さなマルコの生き生きとした様子、細やかな動作の妙。取り立てて何の事件が起こるわけでもない、日常の生活描写の積み重ねから、そこに生きる人々が確かな実感を持って立ち上がってくる演出の見事さ。
 たとえ1枚の止め絵であっても、街角に佇む人々のそれぞれにその人なりの人生がある、そんなことを感じさせてくれる、それは入魂の演出であり、レイアウトであり、作画でした。私はそれと全く同じことを昨年の片渕須直監督作『マイマイ新子と千年の魔法』の歓楽街の描写に感じました。時を越えて伝統は受け継がれていると、そう実感したものです。
 また『三千里』では、その舞台となる背景も見事なものでした。美術の椋尾篁さんは後にオープロの自主作品『セロ弾きのゴーシュ』でも尽力してくださいましたが、とても温厚でもの静かな方です。入り組んだジェノバの街並の描き込みと、強烈な太陽光を感じさせるコントラストのある背景、マルコが南米へ渡ってからの次々と移り変わる風景、また主題歌にも歌われている通り一面何もない、宮崎さんのレイアウト力をもってしてもどうにもならないほどの広野をまざまざと現出して見せたその手腕にはただ感嘆するのみです。
 余談ですが深沢さんの手になる主題歌の歌詞は、ロケハン現場で実際にスタッフ皆が目の当たりにして茫然とした広野の光景の実感が込められたものと聞いています。
 民族楽器を多用した坂田晃一さんの音楽も素晴らしいものでした。爽やかな広がりの中に一抹の哀感を漂わせたメロディには坂田さんの持ち味が溶け込み、見知らぬ異国の空気を運んでくるようでした。
 『三千里』は、それまでOPでは明快に、EDでは哀調でというアニメ曲の類型を逆転させていて、単純化された可愛い絵と時差を取り入れた知的な歌詞(作詞は高畑さん)による明るいED曲は、後半特につらい展開が続く中でのひとつの救いにもなっていました。

その78へつづく

(10.03.12)