アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その20 受験、そしてその春

 さて、こんな高校時代を過ごし、2月に私大の入試を迎えました。親からは4年制なら国立(群馬大学)、私立なら短大をと言われていました。私が選んだのは東京の女子大。短大でなく、大学の短期大学部にしたのは、本当は4年制に進みたかったことからの、ちょっとした反発心です。高校が進学校だったので、周囲は就職よりも進学を選ぶ人が多かったのですが、世間的にみれば女子の進学はまだ半々だった頃の話です。短大に進む女子が多かったのも、4年制だと婚期が遅れるからという、今では信じられない理由が罷り通っていた時代です。
 私は完全な文科系に見えると思いますが、実は中学時代には国語だけでなく、理数でも男子を抜いて学年トップをとるほどでした。現在では見る影もありませんが。それでも古文の授業が好きだったので、国文科を選びました。
 ところが、肝心の志望校を決める時、一番に考えたのが、神田神保町の古本屋街に近い所がいいということでした。子供の頃からお祭りのゾッキ本の屋台や古本屋さんに親しんでいましたし、一方これは『COM』に影響されてかと思うのですが、高校の頃から、その頃はまだ通学路のあちこちに残っていた貸本屋さんを巡っては手塚治虫さんの貸本マンガを探し、頼み込んで譲ってもらうということを始めていたのです。マニアの間で本のサイズから「B6」と呼ばれていた貸本マンガが自室に何冊もたまっていました。そんなわけで古本の街として名高い神保町には憧れがあり、その神保町にほど近い女子大を選んだのですが、この時点で人生を何か決定的に間違っているような気がします。
 それに、私はその頃、東京の交通網というものを全く知りませんでした。せいぜいが東京と群馬県を結ぶ高崎線の感覚しかありませんでしたので、駅と駅の間隔は遠く離れたものと思い込んでいたのです。国鉄(まだJRではありません)、私鉄、地下鉄……東京の交通網を使えば、ほとんどどこへでも行くことが可能なことに思いも及びませんでした。
 志望校を選ぶ時に自分なりに決めたもうひとつの条件は、司書科のある学校ということでした。アニメーションの世界を夢見、東京の学校に通うようになったら『COM』で見ていた東京アニメーション同好会の集会のある新宿の漫画喫茶コボタンへ行ってみたいという夢を抱いてはいましたが、夢は夢として、現実的に将来を考えた時、就きたい職業として図書館司書がありました。市の図書館には日参するほどでしたし、中学、高校と図書委員を務める中で図書室の先生とも親しくなり、貸出、返却の仕事は楽しく、また、書物の分類、整理や補修といった細々とした裏方作業にもなじんでいました。書店とは違う巨大な書架に番号順に書物がずらりと並ぶ図書館は、私にとってとても居心地のいい空間でした。司書という仕事は几帳面な自分の性格にも合っているだろうと思い、司書の資格をとろうと思ったのです。
 早朝からの試験に備え、受験日の前日から東京泊まりをしましたが、その場所が、両親の勤める会社の東京本社の寮のあった荻窪でした。その後のことを考えると奇遇としか言いようがありません。初めて歩く荻窪の街は賑々しく、レコード屋さん(CDはまだない時代です)が何軒も目につきました。
 無理な受験勉強をしないですむ程度の学校を選び、合格通知は容易く手に入りました。
 気持ちも楽に迎えた春の休み。多分、その後の私を決定づける作品に出会いました。東映創立20周年記念の長編『どうぶつ宝島』です。

 映画の予告編を見る時、スクリーンの向こうからその映画が自分を呼んでいるような、この映画は自分のために作られたのだと思えるような、そんな感覚にとらわれる作品があります。私にとって、実写ではティム・バートンの『シザーハンズ』がそうでした。
 そして、この時の春、たまたまTVで見た『どうぶつ宝島』の予告編は正にそういった感覚を味わった作品だったのです。
 運命的というか、ちょうどその日の読売新聞の夕刊に、東京・渋谷の映画館での試写会の募集広告が載っていました。早速ハガキで応募し、全くと言っていいほどクジ運のない私には珍しく当選。この辺にも運命を感じますが、ともかく、群馬県からはるばる2時間余りをかけて、地図と当選通知のハガキを頼りに、初めての渋谷の街へと出かけました。

その21へ続く

(07.12.28)