第168回
メイキング・オブ・
『迷い猫オーバーラン!』その4
(前回からの続き)つまり、どこかの監督の手による出版されたコンテ集を見た一般のアニメファンの方々は「コンテはレイアウトや原画の基になる絵としての機能が優先」だと思いがちでしょうが、自分は楽譜だと思う。例えば五線紙にひとつひとつキレーイに定規とか使って音符を書いても、そこで表現されるメロディーラインにはなんら貢献しませんよね? コンテの絵も同じで、丁寧に描くより1シーン1シーンがまるで鼻歌のように一筆描きできるのが理想。そう、ロジックより生理の方が優先するくらいのスピード感で描けなきゃ、時間芸術たる本当のフィルムにならない気がする。
これは原画でも同じで、自分がテレコムにいた頃、大塚(康生)さんが「3秒のカットは3秒で描け。3秒のカットを3週間もかけて描いてたら、実際とは違って見える」と言ってたのと本質は同じでしょう。
あと「コンテ切るのが作曲に似てる」っていう理由にシナリオという文章に“時間という概念”を加える事にもあるんじゃない? だから「詩先」(詩が先行してあり後から曲をつけるやり方……その逆は「曲先」)で歌を作るのと同じだと思う。ぶっつけでコンテを切る監督の場合は作詞・作曲を同時にやってるような感じ? 自分の場合、シナリオを変えちゃう時はその場にある紙に手書きでもシナリオは書くけど。
まあ、なんにせよコンテ(演出)のカット割りを「理屈から教わろうとする」のはナンセンス。教本を読むより、大監督の大講義を受けにいくより、まずは——
コンテ用紙なんて、それこそ○○○○監督作品のコンテ集とかを参考にワク線引っぱってコンビニとかで何十枚かコピーして手製でできるでしょ。それに好きな小説や漫画をコンテにしてみればいい……自分が監督になったつもりで。それで「もしアニメになったら〜」と脳内再生してみるのって結構楽しいし、もともとコンテ用紙ってそーゆー機能性のため、絵が縦に5〜6コマ(アメリカのコンテ用紙は横に3コマ)つらなってるわけで……。
おれの場合で言うと、中3の時に買った月刊アニメージュに載ってた出崎監督のコンテを見て(『ルパン三世 バイバイ・リバティー危機一発!』放映直前の出崎統特集で、1枚だけ『ジョー2』のコンテが掲載されていた……)、当時愛読してた藤子不二雄A先生の「まんが道」とか「プロゴルファー猿」とかを勝手にコンテ切って遊んでました。こーゆーのって単純に面白いし、夢があると思う。おすすめ!!
——が、某アニメ雑誌に、演出について俺が語った内容です。『迷い猫』の取材絡みで思い出したので書き出してみました。自分にとっての、コンテというものの位置づけが少しでも分かってもらえるかと思いまして……。そして『迷い猫』の話。
『迷い猫』#1のコンテのテーマは「日常性」でした。意外がられるかもしれませんが、本当です。何しろ巧のモノローグが多い……これは原作の巧主観を大事にしたかったからで、
巧の日々繰り返される日常の範疇で登場人物を紹介
——する、と。家康の登場なども、ロング(引き絵)で文乃に殴られるまで1カットにする事で、巧の目線の日常の出来事として映しているつもりで、あそこで寄ったカットに切り替えると、どーしてもやや劇的になってしまう気がしたからです……って、
あ! 演出家がカットのタネ明かしを、公にするなんて愚かですね!
止めます
次回で『迷い猫』話終わる予定。
(10.05.20)