第174回
「仕事」と「遊び」と「CG」
前回は「仕事に感謝」って話だったわけですが、実は自分……「不謹慎だろ、それ」と言われるの覚悟で言うと、
アニメを仕事だと思った事がないんです
つまり、なんと言うか
子供の頃からお絵描き遊びし続けて気づいたらアニメ作ってた
感じでしょーか? 「仕事、仕事」と言ったり書いたりするのは、それ以外人前で口にできる適当な言葉が見当たらないからで、本心はどちらかと言うと「遊び」に近いんです。……いや別に無責任ってわけじゃあないですよ。少なくとも自分と付き合った制作さんやプロデューサーさんらはよ〜くご存知だと思いますが、俺、仕事から逃げた事ないし、プロ意識もしっかりあります。ただ、まわりの友人——特に普通に会社勤めしてる名古屋(実家)の友人とかによく
おめ〜大変だな〜、仕事ばっかで、休みないんかあ〜?
と気の毒そうに言われるんだけど、そのたんびに心の中では
こちとら毎日フルタイム「遊び」なんだよ〜!
って思ってるんです。でも、ただ遊ぶのではなく、本気で真面目に遊ぶ、と。
これは自分だけではないと思います。何かしら創作に関わる、一般的にクリエイターと呼ばれる種族は皆そうでしょう。やっぱり
向上心の伴わない、ただの遊びは趣味の域を越えないけど、向上心をもって、本気で真面目で真剣な遊びは、必ず職業(仕事)にできる
——ハズですから。だからこそアニメ作りは楽しく遊び感覚でやりたいし、アニメーターさんや美術さんに限らずスタッフ全員そうあってほしいものです。ところが最近作打ち(原画さんとの打ち合わせ)や美打ち(背景の打ち合わせ)等々で、
……あのコレ、どうやって描いたらいいんですか?
と訊かれる事が多いのが残念で……。だって、俺自身が一アニメーターとして他の人の作品に参加する——普通の作打ちをする場合だって、ちゃんとその演出意図を訊いた上で
このシーン、自分はこう描きたいです! いや描きます!
の意志を伝えにいくのが打ち合わせの場だと思っているのに、「どうやって?」じゃあ、それは一番面白い遊びの部分を放棄してるに他ならないでしょう。デジタル化して撮影さんや特効さんらは遊びが見えるんですが、その反面アニメーターさんや美術さんで遊びを放棄してる人に出くわす事が多くなってきた気がするのは気のせい? もちろんそうでない方たちもたくさんいますが、減ってきてはいますよね、たぶん。
ちょうどそんな事考えてた時だからこそ、『迷い猫』の次回予告の3DCGには驚愕しました。『はなまる幼稚園』のぱんだねこ体操、『kiss×sis』のEDなどで近頃要注目のサンジゲンさんのCGはホント凄いですよね! サンジゲンさんと言えば、自分は『砂ぼうず』のホバー戦車のCGでお世話になりましたが、あの頃よりもずっとグレードアップしてます(あたりまえですが)。以前この連載で書いたキャラCGについての弱点——表情の堅さ、芝居の単調さなどがほとんど克服されてます。あと『Devil May Cry』の頃(2006〜07年)のCGでは苦手とされていた髪の毛のなびきもほぼ完璧にクリアしていて……。これ憶測なんですが、たぶんCGアニメーターの方たちが、自分ら手描きアニメーターが作画するアニメを必死で追っかけてきた努力の賜物なのでしょうね。スポーツと同じで追われる側より追う側の方が強いんです。
で、俺ら手描きアニメーターの未来はどうよ?
CGはこれだけ確実に手描きの技を盗んできてるというのに、手描きアニメーターはコンテに書いてない事を読み解く事ができず、作打ちで注文しなかった事は一切受けつけず、絵(キャラクター)を描くしか興味がなく、タイムシートもセル分けも撮影指定・指示もすべて「それは演出の仕事でしょ!」と言って、映像を組み立て画作りをしているという自覚がまったくない人が増えてきてるというのが現実。アニメーター皆がそーだと言ってるんではありません、さっきから。ただこのままCGにアニメ作りの中核を奪われるという危機感があるのなら、
演出意図や撮影テクニックなどにもちゃんと興味をもって知ろうとし、それらを総動員してCGよりもずっとフットワークが軽い手描きアニメの面白さを見せるべき!
と言いたいだけです。だって3Dのモデリングがないと何もつくれないCGより、「脳内にあるなんかよく分からないけど、面白いには違いないモノ」を設定がなくても瞬時に表現できる事こそが手描きのよさなんですから! それと同時に今のうち、自分のシーン全体を映像として組み立てるつもりで原画に取り組んでおけば、将来的に、結果CGに持ち替えなきゃならなくなったとしても、「映像作りの楽しさ」を知ってる分、フィルム作り自体は続けられると思うんです。
なにしろ、向上心と遊び心さえあれば無敵です!
そんな自分が今、大変なのは真剣に遊びすぎてるから。
(10.07.01)