第202回
2人で1人
藤子不二雄(1)

 自分には神様が3人います。それはご存知のとおり、この連載ではお馴染みの出崎統監督(もはや説明不要)。逆にこの連載ではあまり触れてはいない(アニメじゃないので……)黒澤明監督もモノ作りの姿勢があまりにも素晴らしすぎて俺の中では絶対揺るがない神様です。そしてもう“1人”が、

藤子不二雄先生!!

なんです。あえて「1人」と表現するのは自分にとっていまだに

藤子不二雄は2人で1人

だからです。皆さんはすでにご存知でしょうが、「藤子不二雄」とは藤子・F・不二雄(藤本弘)先生と藤子不二雄(A)(安孫子素雄)先生の合作ペンネーム。要は『ドラえもん』を描いた人と『怪物くん』を描いた人は違っても、同じ「藤子不二雄」という名前で発表されて、アニメ化される場合も「藤子不二雄ワイド」と銘打たれてたわけ。でも周りの人たちの目は欺けても、俺の目は欺けません! だって自分は小学校低学年の頃から「藤子不二雄は実は2人で別々に描いてる!」事に気づいてましたから。お二方の画の違いに気づいたのは俺が小学校の時やってた「らくがき屋」のせいかもしれません。らくがき屋っていっても金を取ってたわけではなく、ただただクラスの皆から頼まれた画を描くだけという決して報われない仕事なんです。つまり小学生の頃の自分は朝登校すると

と、当時TVで放映されてたマンガやアニメのキャラを「描いて! 描いて!」と言っては皆が各々のらくがき帳を俺の机の上に山のようにして置いていくので、その山を下校までに片づけるのが日課みたいになってました。多い日は机の中にその日の授業の教科書やノートが入らないくらいな上、片づかなかったら家へお持ち帰り。そこまで頑張っても依頼主のクラスメイトからは「ねえ、まだあ?」と催促される始末。

 いまだにドラえもんやハットリくんがそらで描けるのも、この頃のらくがき屋のおかげなんです。やっぱり当時の人気は藤子キャラで、ドラえもん、怪物くん、ハットリくん、パーマン、オバQ……なんでもござれ。スネ夫やカバ夫などのサブキャラも含め、藤子キャラで100は何も見ずに描けました(友達に「試しにやってみて!」と言われてやった事あるので確かです!)。まあ、それほど描いてたので

藤子キャラには2種類のタッチがある!

と気づくのに時間はかかるはずもありません。でもそんな話、周りの人たちが聞きたがるハズもないし(姉に言っても「そんなんどーでもいいわ!」と一蹴されました)、俺なんかはかえって

「2人で1人の藤子不二雄」だからこそ素敵だ!

と思ってたんです。お2人の出逢いから漫画家になるまでを『まんが道』(藤子不二雄(A)著)などで読むと、本当に仲がよくお互いに尊敬し合ってるのが十分わかるだけに1987年のコンビ解消はメチャクチャショックでしたし「実はもうとっくの昔から2人とも別々に描いてました」的カミングアウトなんてせずに俺たちファンを最後まで騙しとおしてほしかったです。だって——

 と、途中でスミマセン。最近発売された『プロゴルファー猿』DVD-BOXの話を書こうと思ってたんですが、またコンテの追い込みで……。次週へ続きます。

(11.01.27)