第229回
ダンタリアンでしょうか?
自分がコンテ切った
『ダンタリアンの書架』第5話(放映第4回)「換魂の書」
が放映されました。監督作に没頭してる最中に、前にコンテ描いた作品が放映されるのはいつもの事で、それを観る頃になると「ああ、あの時の自分ってあんな事考えてこう描いたんだよなあ」などといろいろ思い出されるもんです。なので今回は監督作の筆を止めて『ダンタリアンの書架』5話について思い出した拘りなどを。
まず冒頭(アバン)、雪の降るリピート(繰り返し)のカットからレニー・レンツがタイプライターを打つ手の寄りへとオーバーラップ(前のカットの尻から次のカットの頭へと画を重ねて徐々に画面を切り替える)は当然の事ながら「延々と繰り返される悲劇」への暗喩のつもりで……ま、ベタですね(汗)。もう少しOL尺を長くした方が意図が伝わりやすかったように思いますが、今回コンテのみで編集には立ち合ってないのでしようがありません。同じくアバンではポーラの顔を見せたくなかったので「カーテンにうつる影」とかで表現したり——これまたベタの連続です。でもこういうストーリー自体が「どっか見たような」話の場合、ベタ表現は有効だったりもします。
で、Aパート。ダリアンの最初の台詞、シナリオ(脚本)どおりコンテにも「ふんぬ〜っ!」と描きましたが、本編の沢城みゆきさんの芝居もそのまんまだったのには笑いました。……いや、本当の事言うと、このコンテ切る時点では確か1話のコンテも上がっておらず、自分に渡されたのは1〜5話のシナリオのみ。もちろん原作は未読でした。つまり、ダリアンもヒューイもどんなキャラだか把握しづらかったんです。俺の想像では、もっとダリアンって大人しいキャラだと思ってたので、どんな表情するのか迷ったあげくOFF台詞(しゃべってるキャラにカメラを向けない)にしたんです。さらに「じゃあ今回(このコンテ)はこういうOFFを意識的に多くやろう」とも考えました。例えばダリアンのアップにヒューイの台詞をOFFでのせたり。結局いつもやる事なんですが『ダンタリアンの書架』5話は特に「このキャラどういう顔してこの台詞しゃべるの?」と迷った部分をOFFにして、役者さんの芝居・音響演出にお任せする方針でコンテを組みました。あとFIX(カメラが動かない)の画を大切にしたつもりで「なるべく長尺もつレイアウト(構図)を」とも心がけてたと思います。Aパートの始めとかのダリアンの芝居もかなりコンテどおりの画にしていただいてて、ダリアンがバンバンと本を叩くカメラ目線もコンテのまんまで——というか板垣のコンテの画のまんまで恐縮な感じです。屋敷の前で鉈を洗ってるポーラとヒューイの会話のシーンとか結構好きで、シナリオでは鉈についた血を見たヒューイが「あの鉈の血は」っていうモノローグがあったんですが、コンテ時に、この血痕に気づく件は画で表現した方が活きると思ってカットしましたね、確か。ダリアンとヒューイが納屋に忍び込む1回目のシーンで階段を踏み外すダリアンというのもコンテ時のアドリブです。シナリオでは普通に2人で階段を下りてきてレニーの死体を発見するんですが、性格の違う2人が同時に発見しても画的に面白くならないので、よりベタにしました。ダリアンの台詞も最初は「こんなところに階段があるのなら早く言うのです!」てな台詞を書いたんですが、まてよ、イギリスの建築様式に慣れてれば入口からすぐ階段があるのは知ってるはずだよなあ、とコンテ提出する寸前に気づき、とっさに「はやく足下を照らさないからこうなるのです!」に書き替えました。で、死体を見つけたダリアンが「キャッ!」とヒューイの後ろに隠れるとこは、リアクションが可愛すぎるかな、とやや疑わしかったんですが、どうやらそのまま通してもらえたようです。
Aパートのラスト、死んだはずのレニーが生きてて、立ち上がって手を差し出す(握手を求める)とこでアイキャッチ(Aパート終了)ってのも、地味に気に入ってます。確かシナリオには握手まであったのですが、コンテ打ち時監督からの要望でカットした部分でした。
Bパート冒頭のポーラが見張ってるところでタイプライターで打ったメッセージをダリアンに渡す件、なかなか苦労の跡が見えますね(もはやひとごと)。まず、タイプライターの文字を視聴者に読ませるのは難しい(間がもたない)ので、自分としてはレニーのモノローグを被せたんですが、完成版は字幕スーパー出してましたね。ま、あれはあれでよかったのではないでしょうか。そして2回目の納屋のシーン。まず、本編をご覧になった方々の大半は、ダリアンとヒューイが完全に傍観者と化した事に「どうよ?」と思ったのではないかと思います。でもこれはまったくシナリオどおり。コンテに取りかかる前この「主人公たちが傍観してるだけ」のラストシーンで視聴者を満足させられるのか? と真剣に悩みました。「バトルシーンを作っちゃって、納屋でもぶっ飛ばすか?」とか「鍵を盗んで逃げるドタバタにするか?」など考えてみたのですが、どれも何かしっくりこないんですよ。そもそも誤解されがちなんですが、俺の場合シナリオにないアクションシーンをわざわざ作った事ってほとんどないんです。「アクションはシナリオで書けない」というのが板垣の持論なので、画にして面白くないアクションをコンテで膨らます事は多々あっても「アクションを必要としてないお話に無理矢理アクションシーンやらせたりはしない」って主義で——だいたいアクションって単なる「ショー」としての機能だけで、労力の割にストーリーは進行しませんから。それやるくらいなら「カッコよく佇んでカッコよくしゃべる」方がよっぽどフィルムの面白さに貢献します。ま、そこまで分かっててもやっぱ自分アニメーターなので「どーせアクションやるなら思いっきり!」というのはあるのですが……。とにかく話を戻しますが、つまりアクション要素を無理矢理足そうと思っても、何かその必然性を感じなかったんです。なぜか? それはこの『ダンタリアンの書架』5話ではアクション……例えばラストの光の怪物にダリアンとヒューイが立ち向かってしまって倒したりしたら、この話のテーマをブチ壊してしまうからです。だってこの話は
作家しか手出しできない物語を待ち望むファンたちの話
だからです。ゆえに、ダリアンやヒューイの目前で起こる悲劇に干渉できたり闘ったりすると、その場ではハデなアクション目白押しで楽しくもありましょうが、物語内での「作家と創世物——そしてそのファン」という「手を出せる・出せない」関係のバランスが崩れるんです。そんな気がして、
今回はアクションの必要なし!
と納得し、シナリオそのままでコンテにしたのでした。こういう納得ができなければコンテは描けないもんです。でもアクションこそないものの、ポーラの最後は高山みなみさんの名演もあり、あと、音楽でも効果的に盛り上げていただき、視聴者の方々にも満足してもらえる迫力になったと思います。そして最後、レニーの書いた「狼たちの帝都」最終章に憤慨して「こーなったら自分でラストを書く!」と二次創作の世界へ足を踏み入れようとするダリアンは腐女子で可愛くてこれもよいかと。
そんなわけで、コンテ提出してから半年以上経って観た完成版——しかも演出・作画に関わってもいないために気楽に解説まがいな事してみました。じゃ、監督のお仕事に戻りまーす!
(11.08.11)