前回ラストで書いた、
は、黒澤明監督だけでなく、アニメの監督でも同じ事言ってる方は何人もいるし、自分もそう思います。つまり「時間の芸術」だって意味。この事は画作り以降の編集・音響行程に携わるスタッフの方々は肌で感じてると思うんですが、残念なのはカット内の動き・タイミングを決めているはずのアニメーターの教育でこれを説明しているのを、俺、あまり聞かないって事です。例えば、
アニメって、だいたい2秒単位のリズムで進行するから、
BGMもそのリズムで発注すると貼り(画に曲を合わせ)やすい
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とかいう話、演出になってからでなくアニメーターの時に聞いてたら、
アニメーターの描く画は、あくまでフィルムを作るための素材に過ぎない
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と、もっと早いうちに気づいて、画を描く事ばっかに夢中にならず、編集されてSE(効果音)とBGM(音楽)がついて、「フィルムとして完成していくまで」に、もっと興味がもてたんじゃないかと思うんです、きっと。とにかく、アニメーターは画を描き始めると、まわりが見えなくなり過ぎますから……。
ま、アニメーターの話はまた今度においといて。だから、
の話。そう、「音楽性」。なにせ、数秒ごとに「カットが切り替わる」という刺激(?)を目に与えるわけですから、フィルムってヤツは。アニメで分かりやすいのは、出崎統監督作品の、
3回PANや3回T.U.&T.B.、そして止め画(ハーモニー)
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で、あれはフィルムにリズム感を出す事で、キャラクターの心情に、視聴者の感情を入り込みやすくさせている、と思うんです。単純に、劇画調に盛り上げる手法と言う方がいますが、あの手法を画作りだけで解釈するのは早計でしょう。実写ではやっぱり黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」のあまりにも有名な、真壁六郎太(三船敏郎)が両手離して馬に乗って「ヤァーッ!」で、騎馬武者を追うシーンは、編集と音楽の見事な融合で、あまりの心地よさに自分は何回もリピートしたし、「乱」の冒頭――タイトルが出るまでの呼吸も素晴らしいです! 岡本喜八監督作品などは映画全編が音楽でしょう。小津安二郎監督の映画も地味に見えて、カットの切り返しのリズムは本当に気持ちいいんですよ。もし皆さんの中で、昔の(白黒とかの)実写映画の事を「観たいんだけどストーリーは古いし、面白さが分からない」と思ってる人がいたら、お話を追うんじゃなく、フィルムのリズム感を感じるように観てみるといいと思います。
世に巨匠と呼ばれる監督の作品は、2009年の今観てもダレないシーンが必ずあるハズです。
リズムと言えば、『戦国BASARA』第13話の編集時、こんな事がありました。
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今回、2回カッティング(編集)をしました。1本きりのOVAだという事もあり、わがままで。つまり、
アフレコ前にラフ原撮(一部コンテ撮)の段階で1度、
2週間後、ダビング(音を貼る作業)前にもう1度、と計2回のカッティング
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を行ったわけです。早い話、アフレコ前に台詞尺を出し、ダビング前にアクションの間をもっとツメる、と。
……で、1回目のカッティング時、ひととおり切り終えて、47秒オーバー。
これが大問題でした。この第13話は、TVシリーズ1〜12話との絡み上、必然的に台詞で説明する事が多く、1回目のカッティングが終わった際、編集の今井(大介)さんとも、
的空気で、ジェイ・フィルムを後にしたのです。
ま、再カッティングまで2週間あるし、脚本のむとう(やすゆき)さんとも相談して、削るトコ考えるさ〜
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と、気軽に考えつつ原画チェックを進めて、2週間はあっという間に過ぎ去って、その間、自分もむとうさんも、どこも削りどころを思いつかぬまま、再カッティングの日を迎え、結局、
で、再びジェイフィルムを訪れました。とりあえず開口一番……
と、冒頭のC‐1(ファーストカット)を切ってみると……あら不思議。
次のカットから、切りどころがドンドン見つかって、
――で、47秒なんて、あっという間に切れちゃいました!
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これなんて、フィルムの音楽性の証明でしょう。出だしをイジれば、以降全てがそのテンポになる、って。