前回書(描)いたような経緯で、矢吹健太朗先生の『BLACK CAT』の監督やらせていただく事となったわけですが……。いやあ〜、今思い返してもやたら充実してた頃でしたね、『砂ぼ』と重なってた『黒猫』の立ち上げ時期は!
何て言うか、『砂ぼ』は『砂ぼ』でかなり好きにコンテきらせてもらってはいたものの、やっぱりソレ、稲っちの監督作品だから好きにやるにも限界はあります。コンテをきる時に思いつくアイデアが100%フィルムになるわけもなく……。
――ところが『黒猫』の場合、
……てんで、監督が決まってからの『砂ぼ』の作業はかえって、調子がよくなったと記憶しています。つまり、こう――
「う〜ん。こういう時間を戻すカット割りとかって、『砂ぼ』じゃやらせてもらえないだろぉなあ〜。」
「いいや! ……『黒猫』でやろう!!』
|
……というわけです。ね、……仕事の掛け持ちって素晴らしいでしょ?(ちょっと飛躍)
俺、こーゆーの、重要だと思うんです、“夢や希望の分散”って。
自分のような何の権威もないアニメーターは、作品との出会いによって向こう何週間(場合によっては何ヶ月)の運命が決まってしまいます。例えば、いわゆる“劇場超大作”の原画は単価もよいし、やりがいもあるので夢と希望を持って飛びつきがちですが、考えてもみてください。海外で何賞も授賞するような監督の作品で、メインスタッフも充実してて、おまけにスケジュールもたっぷりあったら、その分だけ自分の描いた絵の上に
監督チェック!
演出チェック!!
作監チェック!!!
総作監チェック!!!(場合によってはメカ作監チェック)
|
……など、それぞれ別々の色の修正用紙がのっかって返されるのです。そして、その信号機以上の色数の修正をトレスする期間が何週間(作品の規模によって何ヶ月……えっ? 何年間!?)も続きます。さらに、その苦痛を慰め合う合言葉は
ですよ(なぞるだけで本当に勉強になるのか!?)。
ところがその一方で、描いたものがそのままフィルムになるようなスケジュールのTVシリーズの原画の仕事を掛け持っておけば、劇場超大作で打ち砕かれた“夢や希望”の少なくとも一部はそのTVシリーズで叶えられます。だって、そりゃあもう大暴れですよ、TVシリーズは!
話は戻りますが、それは演出・監督でも同じで、ぶっちゃけ『Devil〜』でできなかったギャグとかを『グレン〜』でやったり、はたまたその逆もありました。よって、俺が言いたい事はただ一つ。
無理(勉強)する必要はない!
無理(勉強)するより、一日でも多く楽しもうよ、この短いアニメ人生を!!
掛け持ち最高!!
|
↑結論