(前回のつづき)――
カン違いしないでください。この時ボロボロに泣いた理由は“自分が認められず悔しい!”とか“年功序列め〜!”とかではなく、はたまた――
とかでもまったくありません!! むしろその逆です……たぶん。
それは――
この会社で初めて動画を描かせてもらって、劇場で自分の名前をみつけて喜んでくれた両親や姉妹。
この会社を薦めてくれて、「期待してます!」と声をかけてくださった学生時代の恩師、小田部・奥山両先生。
新人研修が終わった後も、動画マンの自分が描いたスケッチブックや原画の習作をみてくださった、アニメ界の重鎮――○塚様。
原画試験に合格してから、1年近くも面倒をみてくれた“原画の師匠”○永様。
“あわてる事ないんじゃない?”とゆるーく説教してくださった先輩たち。
そして――
「会社辞めさせてください!! 俺は演出家になりたいんです!」
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ときり出した、まさにその時――
「3分の1パート(合作はA、B、Cパートで1話でした)をお前にコンテ描かせて、○○さんのチェックを通してなら使ってやれるよ」
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って、“当時その会社の体制的に最大限俺のわがままをくんでくれた案”で優しく引き留めようとしてくださった社長。
――その全ての人たちの“期待”を裏切って、
首を横に振るしかできなかった自分自身が情けなくて涙が止まらなかったんです(本当)。
会社にはいろいろ事情があるんでしょう。制作だけでなく作画・美術・仕上げの人を“全員給料で雇う”(当時は……)というのは、俺なんかが想像する以上に大変な事だったと思います。その中で、社長はできる限りの愛情を自分にそそいでくれてました。差しで飲みに連れてってくれた時は大概映画の話で本当に面白かったし、ある時は会社の夢も語ってくれたりもしたのです。
そう、自分は社長の事も好きだったし、その会社にもいたかったんでしょう、やっぱり……(いや、たぶん)。
なのに、“演出家(監督)になろうと思ったら、今辞めるしかない!”と思って止まらないもう1人の自分がダダをこねて泣き出したんです(俺、子供の時から泣き虫でした。ホント、変なトコで泣いて姉を困らせたもんです)。
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――て、まあ昔話はこのくらいにしてそろそろ本題に戻りますが、結局、前回と今回で言いたかった“このコラムの真意”をもう1度。
俺がなれたくらいだから、皆だって手さえ挙げりゃあ監督やキャラデぐらいにはなれるよっ!!!
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ただ、それには条件があります。それは、前回分の“俺の6年目のモノローグ”――『名門だからこそ、そう易々とチャンスがまわってこないだけ』と思っていつまでも待っていない事です。今自分が籍を置いてる会社(スタジオ)がどれだけ名門で、どれだけ権威に満ちあふれた大監督がいようと、そこから飛び出す事!(権威のある会社でも教えてくれるのは“いまじなりい・らいん”と“かっとつなぎ”でしかない事が多いです。“演出を教える”っつっても、口で説明できる事ってこのくらいしかないって!)
自分の場合、演出歴なし。27歳で初演出から、初めての監督依頼が来るまで2年半の間、手を挙げまくりました。そしたら、監督やらせてもらえましたよ!
――以上、自分より若く、鼻息の荒いアニメ人の後輩たちにメッセージでした。