β運動の岸辺で[片渕須直]

第23回 ABCは知ってても

 フランスとの合作『リトルズ』の作画監督は丹内司さんと決まっていたのだが、アメリカで放映するものを作ろうとしている以上、アメリカ人の作画監督も立てなければならない、とフランス側が急にいい出した。
 何か、アメリカならではのことがあり、それらいくつかのポイントがクリアされていないと、アメリカでは放映以前の問題として門前払いを食らうことになってしまうので、という話だった。
 やってきたのは、中年のアメリカ人だった。ディズニーで働いていたこともある、という。といいつつ、ディズニーでどんな仕事をしていたのかは知らないし、こちらはディズニーなんていわれても、大して恐れるところを知らなかったから、要するにただのアメリカ人のおじさんに見えた。この先はアニメーターとしての腕前で計られるべきことだろう。

 ところが、このアメリカ人の作画監督(またしても氏名失念)が、突然、こういい出した。
 「日本人の作画監督は、原画の上にキャラクターの修正を入れるようだが、自分はそんなことはしない。アメリカではキャラクターを整えるのはセカンド・アニメーター(第二原画)の仕事なのだ。ディレクティング・アニメーターたるもの、そんなことはしない」
 なんでこんな人を連れてきちゃったのさ。
 一方で、『リトルズ』は、アメリカ式に、英語の台詞をプレスコ録音し、その音声に合わせて、作画で口の形をリップシンクさせて描くことになる。アメリカ人の彼の仕事は、先に録音された英語の台詞を聞いて、描くべき口の形をタイムシートに記入することである。これこそ、アメリカ人のアニメーターにしかできない仕事なのだ、ということになった。というより、どうやらそれが最初から彼に当て込まれた仕事だったようなのだが、「作画監督」とか「ディレクティング・アニメーター」とか、物々しく持ち上げるものだから、混乱してしまったのだ。

 では、プレスコ録音の音声に沿ったリップシンクの口の形はどうやって指定されるのか。

 日本の従来のやり方は、アフレコ録音で作画先行で、作画上では、

  1. 「閉じ口」
  2. 「閉じ口と開き口の中割り」
  3. 「開き口」

 の3種類を作り、これら3種類をランダムに配置する、というものだった。
 例えば「1323121321231」というふうに。3枚の出現頻度は均等となるようにし、基本的に3コマ打ちで行う。

 アメリカ人のディレクティング・アニメーター氏が、プレスコ音声をスポッティングしたダイアローグ・シートに書き込み始めたのは、
 「A——CD—CBEFC—D——CBLKCB——」
 というような感じのものだった。
 これには図版のついた別表があり、わかりやすく記すなら、

  1. 「閉じ口」
  2. 「歯は閉じているが、唇がわずかに開いた状態」
  3. 「小さめの開き口」
  4. 「大き目の開き口」
  5. 「母音eの口」
  6. 「母音oの口」

 というのが基本で、さらに、特徴ある発音の子音はそれぞれ口の形が描かれアルファベットが振られていた。特徴ある発音の子音とは、

  • 下唇を上前歯で噛む「f、v」
  • 舌先を上下の前歯で噛む「th」
  • 舌先を上前歯の裏に当てる「l」

 などだった。
 こうしたものが、2コマ打ちで配置される。

 しかし、こうした子音の口を、ダイアローグシートに従って唐突に2コマだけ出して、果たして「動いて」見えるものだろうか。あまりに唐突過ぎて単にパカパカしてしまうだけなんじゃないだろうか。
 それ以外でも、例えば「CD—C」とあるのは、本来「CD・C」(・=中割り)なのではないだろうか。同じ口の形でしばらく止まっているより、その方がよほどスムーズに動くはずだ。となれば、「C—D——C」は、実は「C・D・・C」であるべきなのであって、このDからCへの2コマ中2枚の中割りは、3コマ中1枚にしてもたいした違いはないはずだ。
 ことほど左様に、アメリカの便宜的方法というのは、どうもフル・アニメーション的ではないのである。
 日本式の作画では普通に使われるAの口(閉じ口)は、破裂音の子音(b、m、p)として使うので、うっすらと歯が見えるBの口が一般的な「閉じ口」に相当し、だとすると、アメリカ式と日本式の口の形の相関関係は、

B「歯は閉じているが、
 唇がわずかに開いた状態」

1「閉じ口」

C「小さめの開き口」

2「閉じ口と開き口の中割り」

D「大き目の開き口」

3「開き口」

 と、ごくごく単純化される。
 なんということはない、とわかった。

 とりあえず、子音の口は、あまりに煩雑で、作画枚数をいたずらに増やすだけになり、経済的に馬鹿馬鹿しいことになるからやめさせてほしい、と、制作からフランス側へ申し入れられた。案外すんなりとこれは聞き入れられた。
 だが、
 「セリフはすべて2コマ打ちで作画すること。日本式に3コマでセリフを打った場合、アメリカの放送局が事前に抜き打ちチェックしてバレると納品できなくなってしまうから、この点、絶対に守るように」
 と、フランス側から達せられた。
 しかし、これも上で述べたように、リップシンクとは要は「口の開き閉め」の中割りの枚数コントロールであるとわかってくると、いかようにも3コマ打ちで十分という感じがしてきてしまった。まあ、枚数節約も仕事のうち、と、適当にアメリカ人が書いたシートを自分の手でこっそり操作したりし始めたのだが、全然バレなかった。
 どう考えても、アメリカの放送局が、ストーリーのチェックをすることこそあれ、いちいちコマを停めてリップシンクが2コマ打ちでなされているかどうかなんて調べるとは思えなかった。

 何回か前に書いたが、この社屋で、仕上部の水道工事中に工事業者がガス管に穴を開けてしまうという事故があったのだが、それはこの頃だった。本来は流しが取りつけられるはずの床に穴が開いて水溜りになり、そこにブクブクとガスのあぶくが立ちのぼるという光景になった。
 館内放送で「全員、しばらく屋外に退避」と告げられ、作画も皆、近所の喫茶店なんかに逃げてしまったのだが、言葉の通じないフランス人ふたりとアメリカ人のディレクティング・アニメーター氏は、誰からも何も知らされず、置き去りになっていた。
 さすがに、なんだかそれもなあ、という気持ちになって、拙い英単語と身振りで表に出ることを勧めた。「オウ」とかいって、彼らはようやく席を立った。

 さらにしばらくして、『リトルズ』の監督であるベルナール氏が、それまで何か別の仕事にかかずらわっていたのを終わらせ、とうとう来日して合流することになった。スタジオを視察して回った監督は、とある動画マンのところに立ち止まると、その動画を取り上げ、
 「もっと、人生を感じさせる線をひいてくれなくては」
 などといった。その動画マンは、実は動画の仕事を統べるべき動画チェッカーで、たまたまチェックの仕事がなかったため自分で動画を描いていたところだったのだが、
 「そんな人生がどうとか、わけのわからない線は引けない」
 と、泣いて抗議する一幕もあった。
 あとあと考えるに、どうやら「生き生きとした(強弱のある)線」といったつもりが、「生命感」という仏単語が通訳のところで「人生」と誤訳されたもののようではあった。

 自分自身、フランス語の通訳のいないところで、監督氏につかまり、とあるカットの原画に描かれた陶製の傘立てを指差され、さらに、すごく複雑でめんどくさい模様の入った実物の陶製の傘立ての写真が載っている本を指差された。彼は英語で何か喋っていたので、
 「ああ、うん、わかりました。そうだ。そうですね」
 と、日本語で相槌打ったら、にっこりとされた。
 あとで、そのカットのラッシュを見て、「傘立てが指定したものになっていない」と文句をいわれた。
 「アシスタント・オブ・アシスタントディレクターに指示した、と彼はいってるけど、あなた聞いてた?」
 と、通訳がいってきたので、
 「ああ、素敵な傘立ての写真を見せてもらったので、ほんとにきれいですね! とは答えました。まさか、冗談にも、あんな面倒な柄の入った傘立てをセルにして作画で動かすはずなどあり得ない、と思いましたので、ただ単に、ほんとに素敵ですね! とのみ答えました」
 と、しらばっくれた。我ながら、なんたる人の悪さだ、と自分のことを思った。
 「ほんとに素敵ですね!」を通訳は「トレビアン!」と訳して伝えていた。監督氏は苦虫噛み潰していた。

 アニメーションを作る仕事なんて、その国独自の文化事情によるものなので、うっかりすれば、こんな感じで摩擦の連続となり、ふつうなら仲よくなれる人々ともいがみ合う羽目に陥る。
 ダイアローグ・シートをつけ終わってしまった米国ディレクティング・アニメーター氏は、しかたなく、キャラクターの修正にも手をつけ始めた。
 全部が丹内さんの端正な絵でなくなってしまうのが残念に思え、「いいんですか?」などと丹内さんにいってしまったりもした。
 「いいんじゃない。やらしとけば」
 そういいつつ、『リトルズ』1話が終わると、丹内さんはテレコムを退社してしまった。やはり、あまりに疲れ果ててしまったのだろう。
 同じようなことが、アメリカの『NEMO』の準備作業現場で起こっていなければいいが。
 いや、起こっていない、と期待できるところなどまるでなかった。

第24回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(10.03.01)