第28回 70ミリ・キャデラック映画
それにしても、ディズニー式のキャラクター・アニメーションは、日常生活描写に大きな支柱を置いた表現にはなじまないように思えた。ディズニーでも、どちらかといえば日常生活描写的なシーンを受け持っていたオーリー・ジョンストンやフランク・トーマスの演技では、ストレッチ・アンド・スクワッシュが控えめだったように見えた。
われわれとして、キャラクターの演技表現についてもう少し別な道を模索してゆくべきではないか、と、近藤さんに提案してみたことがある。
たとえ話としてその方がわかりやすかろうと、
「たとえば、『赤毛のアン』でやってきたことを先に進めるような意味合いで」
といったのが逆効果だったようだ。どうも、近藤さんの中では、徹底的にスケジュールに追い詰められてしまった『赤毛のアン』には複雑な思いがわだかまっていたようだった。
「せっかく今までに得られなかった新しいやり方が目の前に示されているのに、それに飛びつかないとは気迫にかける」
とまでいわれてしまった。だけど、ディズニー流のキャラクター・アニメーションは1930年代の遺物ですぜ、とは思ったのだったが。
キャラクター・アニメーションが、ピカピカの外車キャデラックのような高級感を伴っていたことは否定しない。作画だけでなく、『NEMO』は各方面が高級志向だった。
完成版は70ミリ・フィルムにプリントされることになっていた。機材の関係から、撮影は35ミリ・ネガで行われる。ただし、通常の35ミリ撮影が、スチール写真でいうならハーフサイズのようにフィルムを縦に走らせて4パーフォレーション分を1コマとして使うのとは異なり、フィルムを横に走らせて8パーフォレーション分で1コマとする。これをネガとして、65ミリ・ネガに焼きつけるのである。65ミリにサウンドトラック6トラックをつけて70ミリ・ポジとする。ラッシュも16ミリ縮小ラッシュなどではなく、35ミリであがってくるので、これをかけられるドイツ・ケム社の編集卓を船便で取り寄せることになった。
70ミリ映画のフレームのアスペクト比は、通常のビスタビジョンの1:1.85よりも横長の1:2.20となる。さらに、何より画面解像度を増すためにわざわざ70ミリにするわけだから、作画サイズも大きくして密度を上げなくては意味がない。作画用紙は、通常のTV用スタンダードの縦2フレーム長セル用の紙を横にして使うことになった。紙が大きくなると、今までのタップでは破れやすいので、穴の大きさは今までどおりだが、穴の位置をやや紙の内側に寄せた専用の穴あけパンチも特注した。
セルへの転写も、熱転写カーボン紙を使うゼログラフィー(いわゆるトレスマシン)ではなく、粉トナーを薬剤定着させるゼロックスを導入することになった。これならば、鉛筆で書いたままの強弱がすっかり、実に緻密な感じで再現される。
ゼロックスといっても専用の機材が既製品として存在しているわけでなく、大判コピー用の機械を使ってセルに転写できるかどうか実験するところから始めなければならなかった。軽乗用車ぐらいはありそうな巨大な機械が社内に入れられた。このコピー機は本来はロール紙が装てんされるのだが、そこにロールセルを入れて使う。当然、機械の中であちこちこすれてくるので、相当なセル傷がついてくる。このセル傷を撮影上消すためのポラロイド(偏光)・フィルターの実験もしなければならなかった。ポラロイド・フィルターはその後、アニメーション撮影の現場では一般化していったが、自分たちが『NEMO』で使い始めた頃には、まだ撮影データが整っていなかった。
セルは、今まで使っていた厚さ0.125ミリのフジタック(実はフジフィルムのフィルムベースを流用したもの)に換えて、0.1ミリ厚のイーストマン・コダックのフィルムベースを使うことも試してみた。今までシルバリング(セルを重ねすぎると透明部分が銀色に濁ってくる)の関係上、セルは5枚重ねが限界といわれてきたが、これならば理論上7枚重ねまでは可能となり、何よりそうした分野の調整を行う自分の仕事に有利と思われたが、実際やってみると、EKのセルはやや茶色がかっており、気泡が混じっているようで、思いのほか透明度が悪かった。
70ミリ撮影のために、東京ムービー撮影部は機材を一新し、撮影台はすべてコンピュータ制御のモーション・コントロールとなった。
さらに、今までになかったこれまた巨大なマルチプレーン台も新造された。マルチ台はカメラのZ軸方向(つまり高さ方向)の引き切りを確保するために、この台を置くスペースは天井をぶち抜いて、1、2階吹き抜けにしてあった。それでもまだ足らないので、床も半地下に掘ってあった。こうしたおかげでカメラはうーんと高くまで上って行くことができ、画板上で幅1メートルを越えるフレームまで撮影することが可能になった。
ただ、やや不可解なのは、この撮影台にせっかく設けられたマルチ板が、ただの柱に取りつけられたガラス板に過ぎず、上下に可動するモードをまったくもたなかったことだ。学生時代(ついこのあいだ卒業したばかりなのだが)、大学映画学科のアニメ・ルームには、かつて東映動画が試作して失敗したマルチプレーン撮影台が収容されていて、暇に飽かせては眺めていたのだが、相当な機械精度が保証されなければマルチ板の上下動は難しい、コンピュータ制御になったというのに、まだ無理なのか、と、いささかならずがっかりした。
虫プロ出身の池内辰夫プロデューサーが、35ミリ横走りのカメラだけでなく、70ミリのムービー・カメラも確保しておいた方がいい、と提案してきた。虫プロで長編アニメラマを作ったときに、実写の雨や煙を合成したことがあったのだが、そういうことをするなら、コマ撮り用とは別に、専用のカメラを用意しておいた方がいい、という。カメラワーク担当演出の自分としては、すべてがアニメーション・撮影スタンドの画板上に収束される表現にもっていきたかったのだが、まあ、ほら、いざというときのためよ、などといい切られ、70ミリカメラを貸し出してくれそうな心当たりとして、日大芸術学部映画学科に、池内さんや、撮影監督の三沢勝治さんを案内して向かってみた。自分の母校である。学科の中では技術分野の親玉である八木信忠助教授(当時)に面談を求めると、たしかに70ミリは何台かある。大映が「釈迦」を撮ったときのカメラなんかも学科にある。あるのだが、今は全部貸し出し中、という。当時は、1985年開催予定のつくば科学万博の準備時期にあたり、この万博は映像万博といってよいほど、あちこちのパビリオンでやたら全周映像なんかをやりたがったため、国内の70ミリカメラはこの学科のものも含めて払底していたのだった。
とにかく、『NEMO』は20億円超の予算規模である。金があればふだんできないことでも何でもできる。
仕上げでも、これまで使ってきた太陽色彩のセル絵の具よりも、細かい色合いを設定できるスタックのセル絵の具を使いたい、ということになった。スタックの方がやや単価が張るので、今までは使いたくとも使えないものだった。
「だって、見てよ」
と、山浦さんが広げた太陽のカラーチャートには、
「ね。ほら、緑色ってこれしかないのよ。だけど、みんな森を背景動画で動かすとかそんなこといってるわけでしょ」
ということで、絵の具をスタックに切り替えるとともに、さらに、緑色だとか、建物を背景動画で動かすための色だとかを中心に大量の新色発注が行われた。
「ディズニーなんかだと、仕上げ部に絵の具の攪拌機があって、自分たちで混色して新色作れるんだってね」
「へー」
などといいながら。さすがに、攪拌機まで導入する話にはならなかった。
こうして準備された様々なものは、作画技術を除いて『NEMO』の完成版には使われていない。予算規模が縮小された完成版は、通常の35ミリ・ビスタビジョンになったし、スタックの絵の具は使われなかった。
それらはただ一度、『NEMO』のパイロット・フィルムでだけ使われて終わった。
第29回へつづく
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(10.04.12)