第37回 3度目だか4度目の『NEMO』
テレコムにいた後半は、大塚さんと2人部屋だった時期が長かったように思う。
かつて『NEMO』の準備室だった広い台形の部屋で、大きな会議テーブルを背に動画机を2台並べて、左が大塚さん、右が片渕だった。
大塚さんは、もはや副業ともいえるジープ趣味から、あれは仏オチキス社のライセンス生産車だったのだろうか1台入手し、だが米ウィリス社や米軍の純正パーツを着けまくって形を整えて会社に乗ってきた。友永さんが嬉々として乗り込もうとして、どうも足をかけたフェンダーが落ちたとかで、大塚さんは「友永さんには僕のジープ乗せてあげない」とプリプリしていたのを思い出す。このジープに『未来少年コナン』のジムシーのイラストをつけるのだといい、大塚さんが下絵を描いてきて、美術の久村佳津ちゃんが絵の具で描きこんだりした。
大塚さんは、日々の通勤には原付ホンダ・モトラを愛用していたのだが、これも元はオリーブグリーンだったものを、ジープを塗装したときに作ったオリーブドラブ塗料で塗装直し、米軍のブラックアウトライトだとかライフルブラケットなどジープ用部品を着けまくっていた。大塚さんの軍用車両記事風に表現すれば「スパルタン」な感じのするモトラは相当お気に入りだったらしく、大塚さんはもう一色工事車両のような黄色の車体のものも買ってきた。
「これはどうしようかねえ」
などという大塚さんに、こちらも調子に乗って「ダークイエローに塗って、椰子の木のマーク描いて、ドイツ・アフリカ軍団にしましょう」などとあおってしまった。
「いいねえ。ドイツ軍のノテックランプも持ってるから、それも着けよう」
そんな会話ばかり覚えている。
一方で『NEMO』の方では、エグゼクティブ・プロデューサーのゲーリー・カーツ氏が外されたらしいという話が伝わってきていた。
「それで、どうするんですか?」
「藤岡さんがエグゼクティブ・プロデューサー。自分でやるっていいだしてねえ」
もうしばらくすると、それが、大塚さんと米人演出家の共同監督で進めるということになったようだった。そのほか、美術デザイナーにメビウスが依頼されたという。
大塚さんは元々机に居つかず、鼻歌交じりに社内をあちこち巡り歩くたちの人だったが、時々は『NEMO』の会議にも出かけているようでもあった。そういうときも、こちらは我関せずで自分の机で何かしていた。
またしばらくすると、
「あんたも共同監督やってくれないかねえ」
という話が大塚さんから降ってきた。
「コンちゃんが辞める前に、『片渕はレイアウトとれるから』といってたからねえ。レイアウト関係やってもらえると」
「はあ」
そういう話になったので、こちらもそういう気には一応なったのだが、だからといって会議に呼ばれるとかでもなく、藤岡さんにお目通りするでもなく、公式にそういう立場なのかどうなのか全然把握できるところではなかった。
「ストーリーはどうするんですか?」
「それがねえ」
と、大塚さんが語るところでは、どうもストーリーについては一本化されていないらしい。
「こっちで……ちょっと書いてみてもいいですか?」
「ん? 考えてみる? じゃあ、やってみて。やってもらっても使えるようになるかどうかわからない話だけど」
従動的に動かされるのはもう真っ平だった。
ここは、「やってみあす」というしかない。
第38回へつづく
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(10.06.21)