β運動の岸辺で[片渕須直]

第38回 ……●……●

 今週は風邪を引いてしまった。
 『マイマイ新子と千年の魔法』の上映館(公開以来すでに7ヶ月経過してしまっているのだがまだ上映館がある)へ舞台挨拶にお邪魔させていただいたりしているあいだはすこぶる快調なのだが、夜、布団で寝ているとやたら寝汗をかき、それがまた咳の原因になったりする。夏風邪はとにかく始末に悪い。
 ということで、今週はおとなしくしていよう。
 閑話休題。

 その『マイマイ新子と千年の魔法』なのだが、当初(2008年12月完成ゼロ号当時)は8巻に分かれていた。本編7巻、エンディング1巻。7巻目は「Sing」の曲の終了とともに終わる。エンディングは、黒バックにクレジットだけがロールアップする、たった3分しか尺がない巻だった。実は、7ロール目も変に短かった。設定された公開時期に極めて近いタイミングで適切なエンディング曲を作り、この8ロール目だけ差し換えられるように、という計算があっての話で、こうしたいびつな巻分けになっていたのだった。
 実際、2009年夏、エンディングに歌をつけるプランが現実化し、デモなどができあがってきつつある時期になってくると、この楽曲のバックははたして黒味のままでいいのかとか、7巻目までにも色々直したいところがあるなどという意見が、ひとり監督のみならずあちこちからも噴出してくるようになっており、どうせ7巻目もいじるのだから、この際7、8巻はくっつけて1ロールにまとめてしまおうということになった。
 という話なのだが、そのこと自体はどうでもよい。

 徐々に気になってきたのが、ロールチェンジの前に画面右上に出るパンチマークだ。ロールチェンジの6秒前に予告の意味でひとつ出て、ロールチェンジを映写技師に促す瞬間にもうひとつ出る。
 映画館を経営している家の孫息子だったもので、おおよそ物心ついたころから、そうした仕組みを教え込まれていて、映画を見ている最中に後ろを振り返っては、映写窓からほとばしる縞模様の光芒が別の窓からの光に切り替わる瞬間を確かめようとしたものだった。それでいて、結局、ロールチェンジの瞬間をたしかに見た、という記憶がない。そんなことよりも、映画の中身に気を奪われてしまっていることの方がもっぱらだった。
 ロールチェンジが本格的に気になってしまったのは、名画座で古いフィルムを観るようになった学生の頃あたりで、巻が変わった瞬間、次のロールがリワインドせぬまま映写機に装填されていて、画面反転逆転映写になってしまったりすることが多かったので、そうしたドタバタ騒ぎに身構えてしまったりしたからだった。ぞんざいにロールを切り替えられて、お目当てのワンカットが台詞ごと飛んでしまったこともあった。

 そんなふうに思い起こしてみると、ロールチェンジを示すため画面右上に出るパンチマークもひとつの文化なのだろうか。どうもそうであるような気もする。
 『マイマイ新子と千年の魔法』の50回を越える舞台挨拶で、多くの映画館のバックヤードに通された。カタカタ回る映写機の横を通り過ぎる一瞬、足をとめてしげしげ眺めてみたりもした。撮影ステージの荷重(にじゅう)の上の暗がりと、映写室の暗がりの中には、どこか、自分の居場所があるような気がしてならないのだ。
 そうして気がついたのは、今の映画館は日本のだろうとフランスのだろうと、まずロールチェンジなんかしないということだ。8巻のフィルムは1本に接合され、映写機の傍らに据えられた大きなリールにセットされる仕掛けになっている。
 パンチマークなんてもはや誰も必要としていないのだった。

 いつか、映画のスクリーン右上にパンチマークなんて出なくなってしまうのだろうか。
 正直、画面の隅々まで気を配ってフィルムを作ってきたつもりのこの身には邪魔としか思えなくなっていたものだったが、あらためて思ってみると懐かしい。
 パンチマークが出なくなったとき、自分はしょぼんとするのだろうか。どうもしてしまいそうな気がする。

 『マイマイ新子と千年の魔法』には、子どもたちが映画館に忍び込んでこっそりキスシーンを見物する場面があるのだが、この映画の舞台である昭和30年代の映画館を再現しようとして、ロケハン場所に困った。いろいろ探して東京近郊に何ヶ所か風情を残した小屋がありそう、と見つけたひとつが川越スカラ座だった。だが、その当時、閉館間際という情報も入っていた。
 「閉館記念最終上映とかで、込みそうですよ」
 という話もあったので、無難を求め、取材には配給会社から紹介してもらった浅草の劇場に出かけることにした。
 しかし、その川越スカラ座はまだ生きていた。高齢のため引退した前経営者のあとを引き継いで、市民NPOが復活させていたのだった。あまつさえ、自分の大学での教え子がひとりそこでボランティアとして働いており、彼女の「この映画がいいです」という鶴の一声から上映してもらえることになったのが、なにを隠そう『マイマイ新子と千年の魔法』なのだった。

 舞台挨拶にお邪魔させていただき、昔ながらのたたずまいにクラクラした。栓抜きで抜くサイダーも美味しかった。
 あいも変わらず映写室をのぞかせてもらうと、ああ、案の定、ロールはひとつに編集され、映写機の切り替え無しで上映されているのだった。ここだけは新式なんだな、とがっかりしそうになったとき、映写担当の若い女性ボランティアがいった。
 「もう1台の映写機も年寄りなんで、あんまり長いこと回せないんです。予告編とかで回すくらいです。だから、本編は調子のいいこっち1台で」
 フジセントラル製、推定昭和25年か26年3月製造の古い映写機たち。
 いたわられながら、いつまでもそこで回っているがいい。
 少なくとも、あと1週間はうちの映画がかかっているので、よろしく。

第39回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(10.06.28)