β運動の岸辺で[片渕須直]

第61回 原作の原作を読んでみる

 原作のあるものを扱うときには、できるだけ同じ著者の書いたものを読み漁ってみることにしている。気に入った映画なんかで同じ監督のものを次々見ちゃったりするのと同じなような気もするが、何本か並べて、大いなる傾向とか、作者の嗜好とかがつかまえられてくることで、目の前にある「原作」なるものの正体がますますはっきり理解できてくるような気がする。
 その昔の『名探偵ホームズ』のときには、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズものを全部読んで、あまつさえパスティッシュだとか、シャーロキアンが書いたガイドブックとか研究書みたいなものまでできるだけ読んでみたのだけど、まあ、それでサー・アーサー・コナン・ドイルが理解できました、などというつもりは全然ない。ネタ探しのためにやるそういうこともある(それとも、ひょっとして今、シャーロック・ホームズを全部読んだら理解できちゃうのかな? もっとも、そんな暇がもうないのだけど)。
 けれど、こと『アリーテ姫』に関しては、原作「アリーテ姫の冒険」を読んでもなんだか自分の理解の及ばないところがたくさんあって、「この作者がほかに書いたもの」を読んでみる必要に、自分なりに迫られてしまった。理解できないというのは、あちこちちぐはぐであるような気がしてしまって、普通なら見えてきそうな作者の意図とか、コンセプトとか、書いたときのモチベーションみたいなものが、あまりよく透けて見えてこない気がしてしまっていたのだった。

 原作者と直接コンタクトをとれないだろうか、などと考えてしまったのは、「大砲の街」の頃よりももっとあとのことだったような気もする。
 すると、そもそも英国での原作版元がすでになくなっていて、映像化件の取得自体がたいへん面倒な話になっている、ということを聞かされた。原作者というのも、ふつうの主婦の人がポンと1本だけ書いたのが、たまたま出版にまで漕ぎつけられてしまっただけで、その後の活動はされてないのではないか、という憶測だらけの感触も伝わってきた。
 こうなるとしょうがないから、「原典」は日本で出版された「アリーテ姫の冒険」だけ、ということになる。と、考えて、そういえば、同じ日本の出版社から、中学生レベルの英語副読本用に、として、原語版の「The Clever Princess」も出ていて、本ももらっていたな、と思い出した。
 高校生の頃、単語を丹念に覚えたりするこらえ性がなかったので、英語の成績はとんでもなく悪かった。のだけど仕方がない。ほかに縁(よすが)がないのなら、自分で一語一語、原作者が使った言葉どおりに翻訳してみるのもよいか。というくらいしか、読み解くヒントがもうなかったのだから、仕方がない。
 取り出したのは、高校合格のときにもらった辞書1冊。あとは時間さえかければ何とかなるだろう。

 で、やってみて感じたのは、割とマジメな体裁の日本語訳の本に対して、原文はかなりユーモアを狙ったものだったのではないか、という印象だったりする。
 はっきりいってしまうと、ブラックユーモアなのではないか、これ。
 ダラボア王子は魔法使いの魔法でカエルに変えられたあと、アリーテ姫の飼う子ヘビに丸呑みされて一生を終えている。日本語訳では、こういう部分を丸めて排除してあった。「人間を食べてはいけない」という、なんらかの教育的配慮がはかられたのだろうか。
 つまるところ、原語版「The Clever Princess」は、性差の問題を面白おかしくからかった、という感じのおはなしに読めた。
 だとしたら、物語の最後、悪い魔法使いを倒した(というか、魔法使いは偶然馬に蹴られて頓死しただけなのだが)アリーテ姫が、魔法使いの城に新たな王国を打ち立てる宣言をしようとしたところ、城の使用人たちが「ここから先は私たちがちゃんとした法律を作ってわたしたちの手でやっていきますから」といい出し、姫は国の外に旅に出されてしまう、というこの展開だって、どうも、アリーテ姫があからさまに「立憲君主制だか民主政体によって追放された王族」という扱いに零落して終わる、という「オチ」だったのかもしれない。そう思ったほどだ。

 うーん、この原作はコントだったのか。
 まあ、いいや。
 だったら、それはそれ、これはこれ、と区分けして、自分の映画作りを進めていくことにしよう。
 しかし、人形劇だったら、ちょうどいいお話だなあ。そういえば、どこかの時点で一時期、「原作のお話のまま人形アニメーションで作れば?」などと、プロデュース側に向っていい出していた自分もいたような気がする。

 久しぶりに、自分で作った翻訳を眺めてみよう、と思って引き出しを開けてみたが、そこにない。あの頃は、まだパソコンなんてもってなくて、原稿の類はワープロでやっていたから、データももう見つからないかもしれない。
 パソコンをもっていない、ということは、自分個人のことだけでなく、スタジオ4℃自体がまだパソコンの1台ももっていなかった。そういう状況下、「大砲の街」を作り始めている。

第62回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(10.12.20)