β運動の岸辺で[片渕須直]

第107回 別の名前

 原作つきのものを手がけるときには、いろいろヒントがほしくなる。原作なしでだってまあそうなのだが、原作があればヒントはおのずと増える。まず、何より原作者の人となりを知ることができる。
 われわれがこれから映画を作ろうとしている企画の原作「The Clever Princess」を書いた人ってどういう人なんだろう。普通、出版物の著作者についてたずねるなら、まず、出版社が窓口と考える。英国方面に問い合わせてもらった。連絡がつかない、といわれた。出版社自体、現存しているのかどうかもよくわからない、といわれた。どれくらい真剣にコンタクトの努力をしてもらったのかよくわからないが、ここは疑うべきところじゃないし、映画を作るのに本質的に必要なことではない、という気も確かにしてしまう。この線はあきらめた。
 原作の邦訳本は「アリーテ姫の冒険」という。この「冒険」という文言はこだわりどころなのかどうか。どうも違うような気がした。原作の中では、本来「冒険」という言葉にふさわしい局面になりそうなところで、そうはならない。相対して臨もうという世界のほうが、急にやさしく、やわらかに主人公を受けとめる姿勢をとるのだ。ここでの「冒険」とは、逆説的な意味をもって使われる言葉なのだろうか。とりあえず、映画としての題名は『アリーテ姫』でよいのじゃないかと考えた。
 けど、そもそも「アリーテ」って何なの?

 「arete」を辞書で引くと、たいてい載っているのは、

 ——やせ尾根

 という地理の用語だ。
 発音記号は、[əréit]。アレイト。
 高校の頃、字引を引くならオックスフォードの英英辞典を引けと教わったのだが、ここで初めて引いてみたのだった。
 とんがった岩尾根か、と思った。孤独で、澄んだ感じなのかね、などと見当はずれなイメージを抱いてしまった。
 大分としばらくして、同じスペルで[ærətiː]と発音するギリシア由来の言葉、「徳」を意味する単語「アレテー」の存在にようやく気がついた。学がないとこういうところでボロを出す。

 さてしかし、ここは原作には申し訳ないところなのだけれど、世界にはそうやすやすと主人公に微笑みかけてもらいたくなどない。ここは厳然と厳しい顔でい続けてほしかった。そういう意味では、原作から逸脱していこうとしているのは間違いない。
 いっそ『アリーテ姫』でもなく、『アレーテ姫』とか『アレイテ姫』でいいんじゃないかなあと考えてしまう。原作の邦訳「アリーテ姫の冒険」は、この時点よりもう8年くらいも前に出版された本だったし、新聞紙上などでもてはやされていた頃からもだいぶ経つ。原作のネームバリューに今さらおんぶするまでもなかったわけで。
 この当時はまだパソコンなんて持っていなくって、文字の仕事はシャープのワープロ「書院」でやっていた。そこに入っているシナリオの表紙に『アレーテ姫』と題名を打ち込んでみる。ちょっと字面を眺めて、すぐにやめ、『アレイテ姫』としてみる。次いで、脚本本文の「アリーテ」という文字も全部「アレイテ」に打ち変えてしまった。
 案外なことに、この仮題名は、誰からも何の反対も受けないまま、かなり長生きしてしまう。なので、しばらくそんな題名の映画だと思って仕事をしていた。

 脚本の本文のほうでは悪戦苦闘している。
 主人公をぜったい脱出不能の窮地に陥れ、そこから主人公自身の力で逃れさせ、情勢を反転させたいのだ。単なるトリックめいたことでなく、書いている自分自身にとって本質的と思える方法で。
 決め手を欠いたまま時間ばかり経ち、焦り、逃れようと思って、いっそ全然別のストーリーなんか書いてしまう。
 魔女は老婆でなく、少女。姫の侍女である少女は、かつて栄えていた魔法使いの一族の子孫。だが、魔法の使い方は絶えてしまっている。彼女は何とかしてお姫様の力になりたい。魔法を使わぬまま、2人はそれをなしとげ、自分たちの場所を得る。すると、そのとき、ふいに魔法が使えるようになって、彼女の魔法で現れた無数の花びらが空から降ってくるのだ。
 森川さんは、このお話でもよいのじゃないかというのだけど。
 いや、だめだめ、といって本筋に戻ってやり直す。悩み続ける。
 そしてまた、この時点でストーリーはまだSF的な様相を呈するまでになっていなかった。

第108回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.12.12)