第111回 サーコートにさらに一色
『アリーテ姫』もまた、脚本未了のまま絵コンテの作業にとりかかり、絵コンテ未了のまま作画にとりかかってゆくことになる。
不安と焦燥は残るのだが、少しでも確とした形になっているものを目にしたくもある。
脚本や絵コンテという設計図の段階のものはさて置き、観客の目に直接触れることになる「形」ということでいうならば、造形や芝居やアクションをひっくるめた作画の部分が4割、音響の占める位置が4割、美術・仕上がかもし出す色、雰囲気、ルックといった部分が4割くらいに考えて仕事することにしている。合わせて100パーセントを超えてしまうのがアタマの悪いところなのだが、まずはそんなつもりで望むのだ。
『アリーテ姫』はカゲをつけないことにしようと考えた。
以前に別の場所で、自分の横で行われていた自分が関わらない作品で、ほぼ完成後にクライアントから直しの要求を出されて、全部カゲなしでできあがっていたものを「品位が劣って見える」からと全面的にカゲつきにやり直しさせられた例を見たりしてきた。
そのときも、ちゃんとやれば別にカゲなんか要らないのになあ、と思いつつ傍観してしまっていたのだが、では「ちゃんとやる」とはどういうことなのか、別に誰に対して前記のような言葉を投げたわけでもないのだが、我が心の中にこぼしてしまった言い出しっぺとして、なんらかのカタチを示してみせる必要があったのだった。
この仕事でお給金をいただくようになって最初の機会にタイマイはたいて購入したディズニーの『イリュージョン・オブ・ライフ』(フランク・トーマス、オーリー・ジョンストン共著、当時はまだ原語版が出たばかりだった)などを眺めてみても、彼らはカゲなしでの光の処理を、ある程度うまくやっているように思えるところもあった。この辺は色々あってしまうのだが、要は、周囲の背景の色に合わせた適切な色を指定できればよい。自分たちとしては最初の全面的デジタル彩色の仕事になる『アリーテ姫』であらばこそ、絵の具瓶の数だけしか色数がない在来の仕上から、見た目上いくらでも色数が繰り出せるデジタル彩色に切り替える意味をそうしたところに見つけてみたくもあった。
それにしても、アナログといわれるセルに絵の具のインク・アンド・ペイントのほうが絵の具の数が限られていて色調がステップ的にしか存在しないという、本来的な意味での「デジタル」的であってしまい、デジタル・ツールを使う新作業では、現実にはやはりステップ的にしか色は存在しないのだが、そのステップが実用上「ない」とみなせるくらいくらい細かくて、無段階に色が存在しているのに等しい「アナログ」であったことには、なんだかおかしな感覚が伴う。これで、ディズニーみたいに、必要になるたびに攪拌器を回して混色した絵の具の新色を作り出すことが、僕らもできるようになるのだ、という興奮めいたものもあったりした。
カゲをつけない、輪郭だけのフォルムで成功しているといえば、日本画ということになる。敬愛して止まない小田部羊一さんも日本画の出身だった。そしてまた、小田部さんは、自作のキャラクターには色のイメージも持っていて、それをベースにしたのがあの上品なキャラクターたちの上品な色合いである、というようなことを伝え聞いていた。
フォルムだけの輪郭の中にベタに塗られる色は、上品で、渋く落ち着いた岩絵の具の色でありたい。何年か前に電車の中で、小倉遊亀展の吊り下げ広告を見て、そこでポスターになっていた「浴女」という絵の、揺らめく水(いや、お湯だ)までもフォルムの力で描き出してしまう表現力に驚かされて以来、画集なんかも買っていた。だけど、印刷物は「色」ということではやはり一歩引く。
色彩設計を担うことになる林亜揮子さんに、「日本画を観にいこう」と、もちかけてみた。また、めんどくさいことをとでも言い出されるのだろうか、どういう顔をするかなと思ったら、
「おお、それは行きたい!」
と、一瞬だった。
おりしも、上野(だったと思う。違うかもしれない)で、女流画家だけによる日本画展が催されていた。そこへ行った。何人もの傾向の違う画風を眺めて、これが一番センスいいと思う、と林さんがいったのが上村松園で、こちらと一致した。
その色を目に焼きつける。図録を買ってもいいが、今この目の前にある色をカッコイイと思ったのだから、それを焼きつける。
スタジオに帰ると、暗幕で囲ったマスターモニターのところに行って、今見てきたばかりの色を再現しようとした。展覧会の絵の上で、「ここ」と「ここ」と「この色」のコーディネーションでアリーテ姫の色を作る、と決めてきていた。それをマスモニ上で再現しようと足掻いてみる。観てきた絵と同じ取り合わせにするなら、森川聡子さんのデザインにプラスもう一色必要、ということになって、アリーテはチュニックの上に袖なしのサーコートを重ね着しているのだが、その裾のところに色違いの帯を一色足した。今ここでの仮のものとして、林さんがささっと、マウスを動かして線を引いて、塗り分けた。あとで正規のキャラ表にもフィードバックして反映してもらう。
いいんじゃない。というものができた。アリーテ姫はこの色で決める。ほかはこれに合わせていこう。
林さんはまた、いわゆる「ノーマル」の色彩設計シートは作らない、と宣言した。今ここで塗ったのはいい具合に塗れたけどさ、下にどんな背景くるかで変わるよ。カットごとに背景に合わせて色を作りたい。そういった。
アニメーションの仕上げというのは、各キャラクターごとに、ノーマルの場合これ、夜色の場合これ、と塗る色が決まっていて、それで大量生産するように塗る。
それを今回はやらない、背景が上がってくるごとに、それに合わせて最適な色を塗る、ということを方針としたい。
こちらから何かいう前に、彼女のほうからそう進言してきた。
「たいへんになるよ」
「おもしろくないじゃん。そんなでもしないと」
偉いスタッフをもってしまった。
第112回へつづく
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(12.01.23)