β運動の岸辺で[片渕須直]

第118回 それじゃアリーテさん、リハーサルよろしく

 その昔、ディズニーのアニメーターたちから彼らの方法を教わったことがある。
 まず、ストーリーボードを撮影して、全体の尺に並べた1本のフィルム(ライカリール)を作る。各カットの作業が進捗するごとに、原画撮、動画撮などを行い、これらをライカリールの中のカットと差し替えてアップデートしてゆく。原画が完成するまでには、ラフであっても盛んにそれを撮影して、ラインテストを繰り返す。
 彼らのスタジオの中には、撮影スタンドはおろか、ラボ(現像所)まであるので、ラフ原画を撮影してもらうにせよ、それが遅滞なくラッシュフィルムとして上がってきて、試写室で見ることができる。そういうあたりの環境の恵まれ具合は、ちょっと羨ましく思った。
 そういうアチラの話に接していたのは、もっぱら『NEMO』の頃だったのだが、つまりはまあ、自分が大学を卒業するかしないか頃のことだ。そのディズニーを抜けて『NEMO』に参加するために東京へやってきたアニメーターのランディ・カートライト氏は、ちょろちょろっと描いてはそれをラインテストしていたのだが、こちらが持っているQARは使わず、アメリカから取り寄せたビデオのコマ撮り装置を使っていた。たしか、VHSを使っていたのだと思う。
 1980年の暮れに、日本アニメーション協会主催のアニメーションワークショップに参加したときには、会場となった阿佐ヶ谷美術専門学校の持ちものである、やはりビデオテープを使うコマ撮り装置(こちらは3/4インチUマチックを使っていた)を使わせてもらったことがあるのだが、この手のアナログ的な装置でテープに記録する場合、回転ヘッドとビデオテープの相対速度が定速に達している必要があり、1コマ録画するごとに、テープが一定長巻き戻り、それから正回転に加速して、ようやくガチャンと録画される。それを原画の紙を置き換えるたびにいちいち繰り返すのだから、わずらわしいし、時間もかかる。そういう意味では、デジタル的に録画してくれるナックのQARの方がはるかに手早くて便利なはずなのだが、ランディ氏は頑としてVHSの装置を使い続けていた。手に馴染んだもので作業するほうが速く、新しい装置の使い方を位置から覚え直すほうが面倒くさいと思ったのかもしれない。
 同じことを、『アリーテ姫』のときに、ナックのQARからセルシスのクイック・チェッカーに乗り換えたときに感じたので、なんとなくランディ氏の気持ちもわかるのだった。

 ビデオテープを使うアナログ式のラインテスト機材の場合、決定的なのは、あとでタイムシートを打ち直すことができないことだ。デジタル式のQARの場合、それができた。あとから原画の順番を入れ替えたり、新しい原画を撮り足して挿入したりも、たしかできたはずなのだが、どうもその辺の使い勝手が悪いように感じられ(個人的に、なのかもしれないけれど)、そういうことはタイムシートが画面に表示されるようになったセルシスのクイック・チェッカーから、自分として思いっきり使い始めた。
 このあたりの話をはじめた最初では、台詞のタイミングことを話していたわけなのだが、それがこの辺につながってくる。
 アニメーションのタイミングというのは、基本になるのは音のリズムなのだと思っている。音というのはこの場合、仕草が立てる効果音と台詞のミックスされたものだ。作画上のタイミングが完璧に見えたとしても、そこに乗せる台詞がブツ切れになるようだと、意外と鼻白んでしまう。仕方なくアフレコのときに、本来なら不要かもしれない息の音なんかアドリブで足してもらって、できてしまった間を埋めたりすることにもなる。結局、アニメーションの「編集」で行われる作業の大半は、そうした部分の事前調整だったりしてしまうのだった。
 なので、事前の事前に位置する演出家の仕事としては、まず、タイムシートの上で台詞のタイミング、効果音のタイミングを確立してしまうことにしている。それに合わせるように、動作や芝居やアクションの位置や速さを変えることになる。しかし、そのために何度もストップウォッチを押しまくることになるのを簡略化したいと、このときには思っている。
 なので、まず原画をクイック・チェッカー上で元々のタイミングのまま動かしてみて、その動いている画面に自分で台詞をかぶせてみることにした。いい終わったところでマウスをクリックすると、台詞尻のタイミングで絵が停まるので、台詞の長さも割り出すことができる。つまりクイック・チェッカーをストップウォッチ代わりに使うことにしたのだが、まずタイムシート上で調整してから、原画をそれに合わせてゆく、という二度手間が一度ですむ。台詞の尺が出たら、「吹き出し」のレイヤーを作っておいて、その長さ分表示する。
 うまく動きと台詞の芝居のニュアンスが合わないときには、動きの芝居を修正する適当なラフを描き、撮り足してインサートする。

 こういうことを繰り返していると、「演技」が体感的なものになってゆく。演出家として、モニター上の演技者の芝居のリハーサルを眺めている感覚になってゆく。
 心の中で、
 「用意。——スタート!」
 と、声をかけると、小さなモニターの中でアリーテが動き始める。
 その息づかいまで感じ取れるような気になれでもしたら、このカットのチェックは「オーケー」になる。
 制作の方から、この原画チェック用のラインテストの映像を、いずれ編集時にオールカラーにできず歯抜けが残ってしまった場合の線撮素材としてそのまま使わせてもらえないか、といってくる。
 できないのじゃないか、と答える。
 われわれは、原画をパラパラめくるときに、中割のところにその枚数分だけ白紙を挿入してタイミングをみたりもしてきている。自分がクィック・チェッカーで作業するときにも、中割のところは白コマにしている。慣れない人が見たら、ときどき原画の絵がパッパッと、2、3コマだけ浮かんでは消えるだけの真っ白な画面に過ぎない。そんな上に「体感的」な「演技」を感じられてしまうところが、この仕事のおもしろさだったりしてしまう。

第119回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(12.03.12)