β運動の岸辺で[片渕須直]

第129回 その先どう展開させていこう

 ということで、前回書いたようなものを「換骨奪胎」することを条件にシナリオを書くべく、動画机を寄せ集めて閉ざしたスペースに篭った。
 資料も多少は携えている。今なら、パソコンを使うだろうからインターネットにもつながるのだろうけど、当時はシャープのワープロが道具だった。ワープロもその最後期たるこの時期になると、モデムを内蔵していて一応インターネットにも接続可能だった、といってもLANではなく、電話線を直接接続しなくてはならないのだが。たしか電話線は動画机の壁の奥に引き込んだように記憶している。当然ADSLなどではなかったから、ネットにつなぎっぱなしにもできず、電話代を頭に思い浮かべて使わなければならず、インターネット入りびたりになって時間を費やしてしまうようなことは避けられていた。
 資料として用意したのは、むしろ紙の本。「フロイス日本史」「日本切支丹宗門史」「どちりなきりしたん」「ロドリゲス日本語小文典」など、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての切支丹関係のものばかりであり、全部文庫本だった。特に最後の2冊は、その当時日本人が喋っていた言葉、それぞれ文語、口語をローマ字で記録したものなので、生々しい時代感に浸ることができる。こういう感触が発想のトリガーとして大事なような気がする。

 というところで、冒頭から一歩ずつ書き進めてゆく。「換骨奪胎」といいつつ、主人公が金髪碧眼の戦国武将であることだけは厳守しなければならないポイントとして与えられている。当然、この人物はヨーロッパ人の母親から生まれさせなければならないのだが、「遺稿」では「南蛮女を献上した」と書かれている。南蛮の交易船が「女」を乗せて走っていたりしたのだろうか、とまず考えた。
 そこでこのようにした。まず、最初のシーンは、イベリア半島のどこか海辺の大聖堂から始まる。蝋燭など盛んに焚かれて煙っぽいところに、窓からの光が差し込んでいる。表へ出て、海を見下ろす崖の上の草地を走る若い修道尼。元気な彼女は、マカオだかどこだか遠い東洋に向かう高官の家族につき添う尼僧として選ばれたのだ。緑の草の上にひざをつき、天主に感謝の言葉を捧げる。
 こののち彼女は、たどり着いた赴任地からまだ先に、教化されていない非キリスト教の国があることを知って、どうしても行きたくなり、無理やり船に乗り込んで、九州沖で難破した。ということにした。いかにも『アリーテ姫』制作真っ最中の発想らしい。それから十数年後。彼女が生まされた男の子が、武将になっている。

 ワンシーンずつ一歩ずつ地歩を築いては、「さあ、それからどうする?」と、その先を考える。これを繰り返す。
 しばらくは、昔自分で考えていたストーリーをそのまま導入してみる。まだ20歳前ながら勇将となった主人公は、合戦の最中にある。彼自身は有能な戦士であり指揮官なのだが、背後にそびえているべき父親が、突然の下克上によって滅ぼされる。後詰をうしなって、彼の部隊は戦場の小さな山の上に孤立する。
 どう考えても戦の決着がついてしまった中で、彼は部下たちの生命を守る方法を講じ、次いで自分自身の生命を守る方法を講じる。
 ここで、包囲された陣地から脱出させるために、夜闇に紛れさせる必要が生じた。だが、この場面の合戦は昼戦として書いてしまっている。
 「さあ、どうするか?」
 ままよ。この日、皆既日食が起こることになっていたことにしてしまう。

 そんな感じで書き進めると、まことに当たり前なことながら、黒澤テイストからだいぶ離れてしまう。といっても、「遺稿」のテイストは「乱」の頃のものに近かった。もっと、「用心棒」とか「隠し砦の三悪人」とか「七人の侍」みたいなのが望まれているような気もしてしまう。それじゃ、どうすればよいのか。考え考え進める。
 どんどん進めてゆくと、どうも、主人公が双子だったことにしたくなり、そういうことにしてしまう。
 途中で書き詰まると、その先の展開案をいくつか箇条書きに書き並べてみる。案はひとつでない方がよく、いくつか書き並べる。「この場合だったらこう」「こっちのケースではその先こういう展開をたどってしまう」などと煩悶しつつ、道を定めつつ進む。
 何のことはない、その昔、学生の身ながらいきなり「『名探偵ホームズ』のストーリーを2週間で書いてこい」といわれたときから、やっている方法は変わらない。思えば、『アリーテ姫』制作中に「2週間だけ」と限ってこの仕事を引き受けたのも、最初の『ホームズ』の期限が2週間だったからなのだった。

 途中からは、冒頭がポルトガルだったので、ラストはローマにしたくなってくる。サンピエトロ大聖堂が、竣工間近ですでに概容は建っていることを確かめて、それへ向かって歩く陣羽織に金髪の髷姿の後姿を書いて、ちょうど2週間目にワープロを打ちやめる。

 黒澤久雄さんほかにこれを送ってもらった。次の打ち合わせで顔を合わせると、久雄さんには、
 「読んだぞ! 大抵のシナリオは途中で眠くなって捨てちゃうんだけど、これは最後まで読んだぞ!」
 といわれた。一応、褒められたのだと思うことにした。でなければいたたまれない。こういう映画を3DCGアニメーションで作ることについての是非に問題が戻った。
 それから長い時間が経ったが、この脚本はいまだに結実しないでいる。
 風の噂では、(今は存在しない)ディズニー・ジャパンのプロデューサーが企画として持って歩いていたらしい、とも聞いた。
 ずっと経って読んだ黒澤明の研究者である西村雄一郎さんの著書には、黒澤久雄さんが父の遺稿である「そして…」(遺稿にはそんな題名がついていた)を、自身で監督するべく持って歩いていたことがあるらしい旨書かれていたのだが、それも風聞を基にした記述のようだ。どうもそれは自分の書いたものだったのではないか。佐賀にお住まいの西村雄一郎さんには、『マイマイ新子と千年の魔法』の佐賀市での上映の際にたいへんお世話になったのだが、この本を読んだのがお目にかかったより後のことだったので、黒澤久雄さんが「そして…」の脚本を持って歩いていたという話の出所を聞くことはできなかった。もう少し早くに気づいていればよかった。

 ワープロのテキストデータは、まだフロッピー・ディスクに入っているはず。今でも開いて取り出すことは可能なのだろうか。

第130回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(12.06.04)