β運動の岸辺で[片渕須直]

第132回 スケジュールは尽きたが、なお最後の最後まであがきつづける

 『アリーテ姫』ダビングの最終日は、丸々1日全部をつかえないスケジュールになっていた。たしか、14時頃までしかハコ(ダビングのスタジオ)を借りられないことになっていたのだったと思う。それ以降はもう別の仕事の予定がこの場所には入っていたのだった。
 その前日の夜から最終日の朝までは、さすがに仮眠もとっていられなかったはずだ。
 朝になると栄子さんが初めてダビングスタジオにやってきた。前に、トイレの窓越しのPHSで「スケジュール内に終えられない可能性あり」と警報しておいたので、終わらなかった場合のスケジュールを立てるために、さすがにこの朝だけは現場に来たのだった。
 「なんとかこのまま突っ走れば、14時には終わるかも。システムのトラブルもおさまってるし」
 と、こちらがいうと、栄子さんは安心してソファーで眠ってしまった。
 大量に持ってきてくれた差し入れもありがたいのだが、なにせこちらは油ものをまるで受けつけない、寿司くらいしか食べられない状態になっている。シュークリームのカスタードが脂っこく感じられるというのは、このときくらいだった。なのだが、栄子さんの差し入れは、これがまたエネルギー的にボリュームのありそうなものばかりで、その上にきて、スケジュールのケツを切られているダビング・スタッフにはもう食事をしている時間的ゆとりもなかった。
 「ありがとうございます!」
 と感謝の念だけ伝えておいて、差し入れはテーブルに広げられたままになってしまった。
 予定時間どおりにダビングが終わり、あとは大急ぎで後片づけして撤収する以外にすることがなくなった。こういうときにいつも思うのは、黒澤明「七人の侍」。倒すべき敵の野伏の数をひとつひとつ×印で消してゆき、その最後の1人を倒した瞬間、若侍・勝四郎がうろたえて敵を探し続ける、その姿だ。
 「野伏は? 野伏は!」
 と叫ぶ勝四郎を、主将格の勘兵衛が叱りつける。
 「野伏はもうおらん!」
 敵味方の大多数が倒れ臥して残る空虚感、しかし、体はまだ次の作業を求め、探し続けている。
 原田社長と西村君は、効果音の音源の片づけに入っている。
 思いがけずも、100時間を越えて同じ部屋の中でいっしょに過ごし続けたスタッフたちをねぎらう暇もなく、部屋を明け渡さなければならない時間に追われて、そそくさとバラバラになってゆく。

 ダビングが終わった音声を、4℃で映像の上に被せ直してみる。これを「音戻し」という。今度は、エンディングも何もかもすべて映像が揃っている。これをダビングに来られなかった作画やCGIのスタッフたちと観る。
 何か違和感を感じてしまった。
 映画が終わったとき、アリーテが救われきっていない感じがする。してしまう。
 なんとかしたい。最小限、何かをするとしたらどこか?
 ラスト近くのCut878、879では、すべてを終えたアリーテは、まだ魔法の宝探しを続ける騎士ダラボアとすれ違い、いろいろと複雑な感情を篭めた目でこれを見送っていた。
 この皮肉は要らない。
 必要なのは、アリーテへの祝福であるはずだ。
 「2カット! 2カット作画をやり直させて」
 と、田中栄子プロデューサーに訴えた。
 「っていったって、もうダビング終わってるんだし」
 「音はいじらない。今ある音に、画だけはめ直す」
 ここが最後の「遣り残し」「残念」になってしまっている。そんなこといったってとおるはずのない訴えかけだったのだが、これがまた、寛大にもOKになってしまった。
 原画のスタッフは解散していたが、まだ作画監督の尾崎君が残っていたので、この2カットをお願いすることにした。
 このあたりの背景はカッっちゃんこと久村佳津さん(『紅の豚』美術監督など)が描いている。これはもちろんそのまま使う。
 ダビングで入れたダラボア主従の馬のひづめの音、鎧などの金物の音も活かす。これは水運びの馬の足音にしたり、大勢の人々の荷物の音だということにする。そうして、たくさんの「人々」のあいだにアリーテが入ってゆくカットに変える。
 描き足す群集については、アッシジの聖堂壁画の本を新たに買ってあったので、これを参考に使う。本編の作業も終わりに近づいて、もはや必要もないはずなのに、つい書店で見つけて買い込んでしまっていた、中世の人々のビジュアル資料だ。
 その次にくるのは、アリーテが単体でダラボアを見送っていたカットだったのだが、これを、ヒッチハイクした馬車の農夫が前方を指差し、農夫の娘がアリーテの肩をたたくカットに変える。この農夫とその娘は、原作の日本語訳本ではなぜか切られてしまっていたのだが、英語の原語には存在していた登場人物たちだ。原作英語版では、乗せてもらった馬車の農夫の娘からアリーテはリンゴをもらい、食べ終わったあともその種を育てるのだったはずだ。
 この2カットを描き直すことで、ストイックに孤高だったアリーテが、庶民たちのあいだに混ざってその1人になったこと、人とのあいだの肉体的触れ合い、行く末に「未来」があることを暗示できるようになったと思う(この2カットの変更については、『アリーテ姫』DVDの特典映像で、変更前・変更後を比較してある。興味をもたれたならば、ご覧いただけるとよいかと)。

 これで本当にすることが何もなくなった。1992年以来8年間にわたって頭を占め続けてきたこの映画に対して、少なくとも映画本編に対してしてやれることはもう何も残らない。  このあたりで完成させてやろう。

第133回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(12.06.25)