第2回 1964年(昭和39年) 新規制作会社続々参入
1964年は、新規の制作会社が次々と参入し、60年代を代表する主要6スタジオが出そろった年である。
1月には、辻なおき原作による『0戦はやと』がフジテレビ系でスタート。製作を手がけたピー・プロダクションは、漫画家うしおそうじこと鷺巣富雄が'60年7月に設立したスタジオだ。鷺巣は戦前、戦中と東宝撮影所の特殊技術課・線画室に所属し、セルアニメにとらわれない特殊撮影全般に対して深く経験を積んでいた。後に同社は『マグマ大使』(66)をはじめとする特撮テレビシリーズで一時代を築くことになる。
8月には『ビッグX』が放映開始。現在まで続く老舗・東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)の記念すべき第1作だが、手塚治虫原作ということで、虫プロ作品と混同する視聴者も少なくなかったという。同社は人形劇映画を制作していた“東京人形シネマ”社長の藤岡豊が、TBSの要請により設立した制作会社である。
竜の子プロが本格的にアニメ制作を開始するのも同年だが、第1作の発表は翌年に持ち越されることとなる。
先行する虫プロ、東映動画の2社にも新たな動きがあった。『鉄腕アトム』は、当初は7局でのスタートだったが、視聴率の高まりに応じて局数が急増。64年の4月に西日本放送が参加したことで、最終的に全国33局での放映となった。そんな追い風のなか、同社は毎週1時間のTVシリーズ『虫プロランド』や初のカラーTVシリーズ『ジャングル大帝』など新たな挑戦へ向けて準備を始めていく。6月には東映動画の第2作『少年忍者 風のフジ丸』がNET系にてスタート。白土三平の『忍者旋風』をアニメ化したものだが、ベテラン・楠部大吉郎のデザインによるキャラクターは原作絵のイメージからはかけ離れており、白土には不評だったという。
白熱するTVアニメ人気は、劇場作品にも新たな潮流をもたらした。東映は63年末に『わんわん忠臣蔵』の併映として『狼少年 ケン』第2、3話を再編集した劇場版を公開。好評につき、64年3月にも『西遊記』(リバイバル)に第5、8話の再編集版を併映。一方、虫プロも7月に再編集+一部新作画による『鉄腕アトム [宇宙の勇者]』を公開。TV作品(放映プリントは通常16ミリ)を原版と同じ35ミリ版のプリントで焼いて劇場にかけるという、後の「東映まんがまつり」の源流ともいえる試みが、既にこの時期に登場した点は注目に値する。
データ原口のサブコラム
“フジ丸”のネーミングはスポンサーである藤沢薬品からとられた。『鉄腕アトム』の明治製菓、『鉄人28号』の江崎グリコ、『エイトマン』の丸美屋食品、『狼少年 ケン』の森永製菓、『0戦はやと』の明治キンケイカレーというように、当時は1番組1社提供が通例であり、またほとんどが食品や菓子メーカーだった、という点も'60年代のTVアニメ黎明期を表す特徴と言えるだろう。アニメではカネボウハリス提供の『ハリスの旋風』が、実写特撮番組では松下電器提供の『ナショナルキッド』が、同様の事例として知られている。
『フジ丸』では、オープニング主題歌のラストがそのまま「藤沢、藤沢、藤沢薬品〜♪」という社名連呼の歌詞になっている、という徹底ぶりだった。ちなみに、朝日ソノラマから発売された当時のソノシート盤ではこの歌詞の部分は「フジ丸、フジ丸、風のフジ丸〜♪」と歌い直されている。『鉄人28号』や『遊星少年 パピイ』のオープニング冒頭が「グリコ、グリコ、グリコ〜♪」で始まり、『ジャングル 大帝』のオープニング主題歌ラストが「サンヨー、サンヨー、サンヨー電機♪」で締めくくられているのも似た例だが、これらは『フジ丸』のようなレコード化時の歌詞変更はなく、むしろほとんどの音盤では提供名の連呼自体が省かれている。やはり『フジ丸』のオープニングは、さまざまな意味で最強のスポンサーソングとして記憶に残る存在だ。
(12.06.13)本文修正
第3回へつづく
(12.06.11)