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第3回 シナリオってなんだぁ?
妹が買ってきてくれた雑誌「シナリオ」を一応、全部、読んでみた。都合の良い事に。その年のシナリオコンクールの入選作が、掲載されていた。
僕にとって見れば、生まれて初めて読むシナリオだった。最初の二・三ページを読んだ僕は、思わず「う―――む」とうなり声をあげた。感嘆のうなり声ではなく、文章としてのあまりのつまらなさにあきれたうなり声だった。
その作品は、年間のコンクールの入選作である。シナリオとして決して悪いものではないはずである。面白くないはずはない。だが、どう読んでもつまらない。と、すれば読んでいる僕が悪いのか。不安になって、何度も読み返して見る。やはり、面白くない。そのうち、シナリオの文章自体が、簡潔といえば聞こえがいいが、ただ単に子供ッぽい駄文に見えてきた。
こんなものを人に読ませていいのか……実は良いのである。読者が、その作品を作るスタッフやキャストであるかぎりは……。
脚本ができ上がった作品の設計図であるかぎり、読み物としての良し悪しは問題にならない。設計図として可能な言葉が、分かりやすく書かれていればいいのである。
監督やスタッフは、それを元に、フイルムやビデオに演出表現や撮影表現を駆使して感情を吹き込んでいく。
たとえば……
シナリオにはト書きというものがある。
人物の動きや、あたりの景観を、客観的に感情移入をいれずに書けと言われている。
画面に写らない人の感情や、景観に関する作者の感情は、書いてはならないというのである。いや、書いてもいいが、書かないほうが好ましいというのである。
こんなファーストシーンがあるとする。
○ 道(例一)
とおる(主人公)が受験に入試した喜び
をいっぱいにした表情で走ってくる。
どちらかといえば、得意な表情というよ
りほっとした感じの方が強い。
ガールフレンドの今日子とすれ違う。
今日子、とおるの表情からこぼれる喜びに応えるようにつぶやく。
今日子「やったね……とおる」
とおる、ちょっと照れ臭そうに、でも、
何事もなかったように、肩をすくめる。
とおる「当然さ……」
とおる、家に向かって走っていく。
見送る今日子も、なんとなくうれしい。
今日子はつぶやく。
今日子「あいつ……」
こんなシーンは、たちまち文句を言われるだろう。
ト書きは、簡潔にである。
○ 道(例二)
とおるが走ってくる。
今日子とすれ違う。
とおる「俺、受験にとおったよ」
今日子「やったね」
とおる「当然さ。これから両親に知らせてくる」
今日子「うん。よかったね」
とおる、走っていく。
例一と例二とどちらがいいか……
例一では、とおるが受験に通ったことが、台詞で説明されていない。
だから、例二のほうがいい……と思われるかもしれない。例二のほうでは、とおるの台詞で受験にとおったことが説明されている。
しかし、それでも、僕は例一のほうが、いいと思う。
とおるが受験に通ったことなど、そのうち説明できるだろうし、ここでは、とおるの喜びと、通ると今日子の関係を表現したほうがいいと思うからだ。
ト書きを簡潔にすると、台詞で説明することが多くなりがちなのだ。
どうもシナリオというやつは、ト書きがぶっきらぼうで、台詞が説明的になりすぎる。
文章としては、あまり上等なものとは言いがたい。
それが、シナリオ初心者としての僕の感想だった。
そんなシナリオの書き方が、正しいというのなら、明らかにシナリオは、一般の読者を意識して書かれてはいない。映画やビデオを作るプロ向きに作られた、特殊な文章である。
こういうものを読まされて、良い悪いの判断をつけるには、特殊な技能が必要だとも思う。
簡略なト書きから、映像や音響を作り出す演出的な読み方が必要になるのではないだろうか。
特に、シナリオを読み慣れていない若手のプロデューサー諸氏は、シナリオの書き方というよりも、シナリオの読み方といったものを熟知する必要があるのではないか。シナリオの読み方を知らないで、脚本の良し悪しを判断するのは難しいのではないかと思うのである。
いずれにしろ、シナリオというものが、特殊な書き物であることに気がついた僕は、頭を抱えた。
こんな文章を書いていたら、そのうち、本当の文章が書けなくなるのではと、思ったのである。
よく、シナリオを読んで……この程度のものなら書ける……と思ってシナリオ志望者になるという人が多いというが、シナリオの下手な文章ぐらい誰でも書けて当然で、問題はむしろその先にあるのだ。
くれぐれも、シナリオに書かれている文章が、良い文章だという勘違いは、しないでほしいものである。
ともかく、僕とシナリオとの出会いは、あまり楽しいものではなかった。
こんな下手な文章ばかり書いていたのでは、物書きとして、失格者になるのではないかとすら、思った。
それでも、せっかく妹が買ってきた「シナリオ」である。
場所も遠くはなかった。渋谷の隣町とも言える青山一丁目だった。
さっそく研究生応募に参加することにした。
簡単な筆記試験と面接試験があった。
筆記試験は……なぜ、シナリオライターになろうと思ったか……というもので、他にとりあえずやることもないからとは、まさか書けずに、映画が好きだからと簡単に書いた。
面接試験は……どんな映画が好きなの?……と聞かれ、デビッド・リーン(アラビアのロレンス)、キャロル・リード(第三の男)、アルフレッド・ヒッチコック(作品様々)と答えた。誰でも知っている映画監督である。
「日本の作品では……?」と聞かれ、「黒澤明は好きじゃないですね」と、すこしひねった答をした。ごめんなさい、黒澤さん。好きも嫌いも日本の監督では、黒澤明の名前しか知らなかったのです。「他の監督の作品は?」と突っ込まれて「あまりぴんときませんね」などと、冷や汗をかきながらごまかした。
その頃の僕は、映画ファンではあったが、マニアではなかった。つまり映画スターの名前は知っていたが、監督その他には関心がなかった。
おまけに、見るのは洋画ばかりで、日本の映画にはほとんど興味がなかった。
日本の映画は、斜陽期も手伝って、貧乏臭くて、おまけに、劇場の音響効果がひどいところが多くて台詞が聞き取りにくく苦手だった。洋画だと、音が聞き取りにくくても、字幕で、台詞を説明してくれるから問題はなかった。
ともかく、流れ作業のように試験は終わって、手ごたえはまるでなく、「ああ、また、落ちたなあ」が、正直な感想だった。
ところが、来たのである。一週間後に合格通知が……正直、驚いた。家族も驚いた。その年、僕に届いた唯一の合格通知だった。
みんな、喜んだ。腑に落ちなかったのは、ただ一人、合格した気がまるでしなかった僕本人だった。
次回につづく
●昨日の私(近況報告)
最近、お葬式が多い。僕の年だから、結婚式よりお葬式が多いのは頷ける。
しかし、困るのは、僕より年上でなく、年下の四十代三十代のアニメ関係の人が少なくないということだ。
心当たりはある。子供の頃、コンビニのスナック菓子、働き盛りの時は、コンビニ弁当と、栄養に首をひねらざるを得ない食品を食べて育った年齢層だ。
今からでも遅くない。心当たりのある人は、栄養だけでも気をつけて欲しい。あなた達の年齢層が死滅すると、アニメ界に明日はない。
■第4回へ続く
(05.06.15)
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編集・著作:
スタジオ雄
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