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第116回 『機動戦艦ナデシコ』と『宇宙戦艦ヤマト』?
『機動戦艦ナデシコ』の企画設定は、色々な人のアイデアがぶち込まれているだけに、なにやら本格的に聞こえるSF的発想、SF的用語、登場人物も、いささかパターンではあるが、様々なタイプが右往左往している。
企画当初から参加しているならまだしも、脚本を書き始める時点で参加したかたちの僕には、複雑かつ膨大な設定がちんぷんかんぷんだった。
飛び交うSF用語も、おおよその意味はわかるのだが、とてもマニアックで憶え切れない。
だからといってハードなSFかと思えば、登場人物の行動はほとんどコメディである。
戦艦の名前からして「ナデシコ」を筆頭に、味方の戦艦は花の名前「コスモス」「カキツバタ」etc、敵の兵器は「バッタ」「ゲンゴロウ」など虫の名前が多く……。そればかりではない、この作品全体に登場するいろいろな名称は、日本の古代神話をネタにしたものから、おそらくSF考証の人が名づけたのだろう、本格SFに登場するような言葉を語源にしたような、僕には理解不能な名称が続出していた。
『機動戦艦ナデシコ』にはロボットのように変形する戦闘機(アニメファンはこういうのを人型機動兵器と呼ぶのだそうである)エステバリスがかなり活躍するが、エステバリスという名前がどういう過程で決められたのかいまだに僕は知らない。
世の中には、色々な名前を覚えるのが趣味と言うか得意の人と、苦手な人がいる。
僕は完全に後者に属し、知っている人の顔は憶えているものの、その名前が出てこない場合がよくある。
実在した歴史上の人物ならともかく、架空のアニメや小説の場合、主役級や、特別に個性的な人物や事物ならまだしも、脇役や端役の物語の本質に関わらない名前はすぐ忘れてしまう。
時々、アニメマニアなどで登場人物やメカの名前を隅々まで憶えている人がいるが、僕にとっては脅威であり異星人のように思える。
架空のものの名前を憶える能力があるのなら、もっと現実的な科学や芸術、数学、語学を記憶したほうがいいのにとも思うのだが、それは僕の勝手な考えで、架空のものを憶えられる能力を持っている人を、僕はそれなりにかなり尊敬してもいるのである。
とても僕には真似はできない。
いずれにしろ、『機動戦艦ナデシコ』は、いちおうSFであって、戦艦ものであって、ロボットもでてきて、かつラブコメであって、ちょっと哲学的という何でもかんでもぶち込め路線である。
企画設定を読ませてもらって意見も求められたが、「色々あって面白そうですね」としか言いようがなかった。
ともかく、何でもかんでもぶち込んだせいか、ぶち込んだご本人達が忘れてしまった設定もあったようである。
シリーズの半ばにある話数を書いた時、そのエピソードで重要な意味を持つ機動戦艦ナデシコのメインコンピュータの名前を、僕は「思兼(オモイカネ)」と書いた。
日本の古代神話に出てくる名前である。
脚本を読んだ監督とプロデューサーは「???」の顔である。
「このオモイカネって、首藤さんのオリジナルですか? シリーズの半ばでこういうオリジナルを出されても……」と、困った様子である。
今度は、こっちが「???」である。
「オモイカネって、設定にあったコンピュータの名前なんですけど……たしか第1話あたりに台詞かなんかで出てきたとも思ったけれど……」
1話は僕が書いてはいないので、こちらも記憶はあやふやだ。
監督とプロデューサーはなおも「???」の表情だった。
で、次の日に連絡がきた。
「確認したところ、確かにナデシコのコンピュータの名前はオモイカネでした」
要するにやたらに凝って細かく設定や名前を作ったために、設定を作った人達の記憶から「オモイカネ」がどこかに消えてしまったのである。
登場人物の設定も多く、企画設定の時点で、僕個人がそのキャラクターの人間性を描き込みたいと思った人物が、10人近くいたが、現実には僕が担当したのは3話分だけで、当初は脇役的存在だったホシノ・ルリという少女を描けただけだった。
僕が書く書かないは別にしても、もっと描き込めるキャラクターやエピソードがいっぱいあったと思う。
ストーリーの本筋にも、謎めいた伏線がかなり張り巡らされていた。
その謎も完全に解決されたわけでもなく、その後映画で続編が作られたにしても、26話で終わらせるにはもったいない企画だった。
ところで『機動戦艦ナデシコ』は、突き詰めれば、襲来する敵から地球を守る戦艦の話である。
だが、なにより『機動戦艦ナデシコ』の面白さは、国家や地球規模の軍ではなく、民間企業が作った戦艦であるというところにある。
民間戦艦(?)だから、いかにも軍人といった搭乗員とは違ったユニークな人が乗っている。
地球のため、お国のためといった肩ひじはった硬さが少ない。
悲壮感もさほどない。
普通の戦争ものと違った軽みがあって、軍人のワクにはまらないが、ひとつの運命共同体ではある、ひとつの戦艦の中の、様々な人間模様が描ける。
僕の書いた本数は多くはないが『機動戦艦ナデシコ』は楽しめた作品である。
まして、シリーズ全体やテーマを自分の色でまとめなければならないシリーズ構成ではなかったから、なおさら気楽だった。
ロボットものは書いた事があるが、戦艦ものはそれまで書いたことがなかった。
『銀河英雄伝説』があったが、あれは、戦艦ものというより、軍隊色の強い戦記というか戦史ものだった。
余談になるが、悲壮で真面目ぶって壮絶な戦艦ものは、書いた事はないにしろ少しだけかすった事がある。
『機動戦艦ナデシコ』とは性格がまるで逆のような戦艦もの『宇宙戦艦ヤマト』という作品である。
アニメフアンや業界にとっては、大きな存在のアニメかもしれないが、「地球のために……」とか「愛のために死ねるか?」とか特攻精神とか、なんだか戦時中のきな臭い雰囲気をカッコよさとロマンという名でコーティングして、若い人をあおりたてその気にさせて商売にしている、うさんくさいアニメだと僕は感じていた。
沖縄への特攻で沈んだ大和を、地球を救うために宇宙に飛ばすという発想が、なんだかついていけなかった。
その『宇宙戦艦ヤマト』がヒットしてから、「さらば……」とか「これが最後の……」とか「完結編」とかいいながら、散々続編を作って、さすがのフアンも辟易してきた頃、それでも、大ヒットをもくろむ企画製作総指揮のN氏(このコラムに名前を載せた方には了解を受けているが、N氏をイニシャルにしたのは、その後、N氏自身にいろいろ問題が起こったからか、連絡と了解がとれなかったからである)に、『ヤマト』を復活させるにはどんなストーリーがいいかと呼びだされたのである。それも多数の打ち合わせでなく、一対一で会いたいという。
もっとも、ネタ切れ状態の『ヤマト』である。
僕以外にも、様々な人に声をかけていたと思う。
僕としては、当時、色々話題になっていたN氏に興味があったので、とりあえず会ってみようと、六本木にあるN氏の会社に行った。
会社は、高いビルの2階分を占めていて、社員にN氏に連絡を取るからと事務所部分のエレベーターで、5分ぐらい待たされた。
やがて、了解が取れたと言う事で、1人でエレベーターに乗り、上に上がった。
エレベーターが開くと、そこは、いきなり会議室か社長室で、大きなテーブルが置いてあった。N氏以外、誰もいなかった。
N氏は黒い服を着て1人で立ちすくんで、僕に対して振り向きもせず、窓の外に見える東京タワーを見つめていた。
そして、つぶやいた。
「人生ってはかないものだねえ」
挨拶も自己紹介もなかった。
そして、振り返るとテーブルに坐った。
これでマントでもつけていたら、まるでデスラー総統のようだった。
「知人の葬式があってね。ほんとうに人生ははかない。……で、首藤君、今度のヤマトだが……どんな話かね」
N氏はいきなり本論である。
こっちは何も用意はしてない。
僕だって、相手の意向を聞く前から、ストーリーなど考えていない。
で、その場で思いつきを話した。
「ヤマトの戦いが終わって80年後、宇宙は平和で、軍隊もなく、ヤマトは博物館の倉庫でホコリだらけになっている。倉庫番は、ヤマト活躍当時の少年兵で、90歳を過ぎても、昔のヤマトの栄光を忘れられない。そんな時、宇宙から外敵が現れる。しかし、平和ぼけした民衆は、誰も闘いたくない。それでも戦わないわけにもいかないから、フリーターやごろつきや、世の中に退屈し切っている人間を金で雇ってとりあえずヤマトに乗せる。
艦長は『いまこそヤマト復活の時!』と張り切っている90過ぎの倉庫番。
実際に役に立つのは、ヤマトの過去の戦歴を記憶しているコンピュータ・カミカゼだけである。
カミカゼの作ったマニュアルによる訓練で、無責任でやる気のない自分勝手な乗員達に結束感が生まれてくる。
かくして、ヤマト出撃……。こんな宇宙戦艦ヤマトで、勝てるはずがないと思うが、宇宙からの外敵もいいかげん平和ぼけしていたから、猪突猛進のヤマトにびっくりして、逃げていく。ヤマトの活躍は、弛緩していた民衆の心に、平和ぼけでない活力をあたえる。
このストーリーを、おふざけでなく、真面目に描けば、かなり面白くなると思います」
N氏はじーっと僕を見つめ「首藤君は面白い事を考えるね」とつぶやいた。
その後、20年近く、N氏から全く連絡はない。
『ヤマト復活編』が作られているという噂も聞かない。
だが、僕としては、その時の思いつきが、頭に残っていた。
『ヤマト』そのものではなく、やる気のない自分勝手な乗員達のエピソードである。
『機動戦艦ナデシコ』の企画設定を読んでいる内に、そんなエピソードのいくつかが浮かんできた。
僕はシリーズ構成の會川昇氏に聞いた。
「で、僕はどんな話を書けばいいの?」
「とりあえず『機動戦艦ナデシコ』の5話なんですけど……何にもないところを書いてください」
「何にもないところ?」
僕はわけが分からず、聞き返すしかなかった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
どんなに待遇が劣悪でも、脚本家になりたいと思い込んでいる人に、止めろと言っても無駄である。
止められるものなら、現在のようにシナリオ学校や脚本教室が林立し、本屋に行けばシナリオ作法の本がずらりと並んでいるはずがない。
需要があるから供給があるのである。
脚本家についてあえて言うなら、同じ脚本家でも実写の脚本家よりアニメ脚本家の方が、楽かも知れない。
実写は、生身の俳優や実景を使うから、作るのに面倒だしお金もかかる。
実写の監督はおしなべて、アニメの監督より脚本への注文も多い。
「こんなシーン撮れないよ」「こんな演技、あの俳優にはさせられないよ」なんて言葉が監督から山ほど出てくるだろう。
監督が作品の最高責任者と称される場合が多いからである。
もちろん、それがプロデューサーの場合もある。
そんな時は「予算を考えて脚本を書け!」などと言われるかもしれない。
○○○監督作品、○○○制作作品、○○○主演作品と呼ばれる作品は多いが、○○○脚本作品と呼ばれる作品はめったにない。
TVドラマでは○○○さんの脚本作品は面白いと言われることもあるが、週1回放映の流れ作業的ドラマ制作では、監督、演出の技量を見せる時間や、脚本を直す時間がなく、脚本の出来が、もろに見えてしまうからである。
もちろんそんな場合は、脚本の出来がよくなければ話にならない。
まれに、実力者といわれる脚本家が、自分の脚本に合った俳優を指定したり、「俺の書いた台詞を変えるなよ」と撮影現場で見張っていたりすることもあるらしいが、これも結構大変である。
常によい脚本を書いて、自他共に実力ある脚本家だと認められる人でないと、そんな真似はなかなかできない。
いずれにしろ実写はお金がかかる。
SFXやらCG全盛といっても、そればかり使うわけにも行かない。
その点、いくつかの例外を除いて、アニメは絵だから基本的に安上がりである。
実写では無理な場面や不自然に聞こえる台詞も、アニメなら可能な場合も多い。
最近、コミックの実写版が多いといっても、コミックどおりの台詞を、生身の俳優が喋ると、どこか不自然である。
少しは、台詞を生身の俳優に合わせて書き換えなければならない。
実写の脚本の不自由さに比べて、アニメの脚本は圧倒的に自由度が高いのである。
だから、よい脚本ができるかというと必ずしもそうはいかないところがつらいところだ。
ろくでもない脚本を書いても、演出家や絵コンテや作画でなんとか見られるものになるから、通用する。自由度が高いという事は、出来が悪い脚本でもいいということにもなりかねない。
もともと、アニメは登場人物の感情表現が、生身の人間ほど上手く描けない。
どうせ、上手く描けないなら、適当な説明台詞ですましてしまう。
説明台詞とは、感情や状況を、登場人物が口でぺらぺら喋って説明してしまう台詞の事である。例えばお墓の前で「母が死んで、このお墓の下にいるから私は悲しい」……なんて台詞は、口でぺらぺら説明しなくても、他の方法で分かるはずである。少なくとも上手い台詞とは言えない。
説明台詞は書くな……が脚本作法の原則だったのだが、アニメの場合は違うという人もいる。
アニメを観るのは子供、しかも家庭のTVである。画面に集中しているわけではないから、できるだけ台詞で説明してあげろ……説明台詞大歓迎、説明台詞を恐れるな、という意見もあるのである。
なんでもかんでも台詞やナレーションで説明していいなら、アニメの脚本は簡単である。
○ 朝日が昇る。主人公のナレーション
「朝です。朝日が昇っていくのを見ていたら……」
○ 土砂降りの雨がふる道(朝)
びしょぬれの少女が傘もささず立っている。少女
「いきなり土砂降りだわ。傘を持っていないからびしょ濡れで嫌になるわ」
……なんて脚本なら誰でも書けるだろう。
こんな脚本を書いてアニメ脚本家と呼べるなら、アニメ脚本家になる最低条件は、書く行為が好きという事だけである。
書くことが嫌いな人は、脚本家になろうとも思わないだろう。
最近のアニメ界の脚本は、パソコンのワープロかエディターで書いて、メールかFAXで送るのが普通だから、書く行為といっても、パソコンで文章を書くことが好きな人という事になる。キーボードが好きになれない人は、脚本家になろうとも思わないだろう。
もっとも、「私はものを書く時は紙に……一生、携帯とパソコンは使わないわ」という脚本家兼小説家の女性を知っているが、その人、昔はアニメを書いていた事もあったが、今は実写の脚本でいくつも賞をとっている大御所である。原稿用紙の脚本だって誰も文句をいわないだろう。
新しもの好きの僕は、とっくにパソコンを使っているが、いまだにパソコンワープロは馬鹿で、生き生きした台詞を書くのに向いていない。上手く漢字変換してくれないのだ。地方の方言などまるで駄目である。
パソコンを使うようになって、随分、台詞が下手になった自覚が、僕にはある。
ところが、説明台詞になると、パソコンはそこそこ変換してくれる。
書き手の個性のない説明台詞は、パソコンにとって変換しやすい文章なのかもしれない。
それはともかくとして、説明台詞ばかりで、脚本を書けるのもアニメ脚本家の才能のひとつかもしれない。
僕は、決してそうは思わないけれど……。
つづく
■第117回へ続く
(07.09.19)
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編集・著作:
スタジオ雄
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