web animation magazine WEBアニメスタイル

 
アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第163回 『ポケモン』アニメ窮地の仕掛け人

 以前にも書いたが、僕がアニメの『ポケモン』にシリーズ構成として関わったのは、アニメ化が決定した後だった。
 その時点の問題は、どういう風にアニメ化すれば面白いかで、すでに何度も会議が行われ、その議事録も読ましていただいた。
 で、その議事録の中で出てきた様々な意見を片っ端から否定している人がいた。
 それはいつも、同じ人のようだった。そして、おおむね、その人の否定は通ってしまうのだ。
 何人も出席する会議で、1人の意見が通ってしまうのは、その人の発言権が強力だということだ。
 いうまでもなく、『ポケモン』のアニメ化を企画し、ゲーム会社の承諾を取りつけてきた、あだ名が御前様こと大プロデューサーだった。
 ただ、困るのは、出てきた様々な意見を否定するのはいいが、「じゃあ、どうすればいい」というその人の意見がはっきりわからないのだ。
 ほとんどの発言が、「もっと、『ポケモン』のアニメが面白くなる意見があるはずだ」……である。
 のちに、その御前様が一番信頼しているプロデューサーに聞いてみたことがある。
 御前様は、『ポケモン』関係のアニメ制作以外の仕事や交渉にあれやこれやと忙しく、放送開始後の毎週行われる実制作の脚本会議に出席する時間がない。
 そのプロデューサーは御前様自身が、「この人の意見は僕の意見の代わりと思ってくれ」とスタッフに念を押して脚本会議に出席している人である。
 おそらく、脚本会議の内容は、このプロデューサーの方から、御前様に報告が行っていたのだろうと思う。
 ただ、このプロデューサーの方は、脚本会議の内容に異論を唱える事はほとんどなかったし、決定した脚本と、そのエピソードに登場したポケモンを表にリストアップしてくれ(本来はシリーズ構成の仕事にふくまれるだろう)、たまには変わったアイデアも出してくれて、僕にはありがたいプロデューサーだった。
 僕の知る初期の脚本会議で、僕が記憶しているトラブルめいたことは1度しかない。
 そのプロデューサーが、ある脚本家の脚本にクレームをつけたのだが、そのクレームに脚本家が切れて「いったい、僕に何を書かせたいわけ?」と怒りの声を投げつけた。
 その脚本家は、監督やプロデューサーや僕の意見を、いつもはよく聞いてくれるタイプだっただけに、いささか脚本会議は殺気立った。
 そこは、監督、僕、他のプロデューサーたちが、「まあまあ、それはみんなで考えよう」ととりなして、事なきを得た。
 で、僕は、そのプロデューサーの存在に好感を持っていたから、さりげなく聞いたのである。
 「なぜ、あの大プロデューサーは、人の意見を片っ端から否定するのかなあ?」
 その人の語る御前様の考えは――
 「いろいろな人が大勢参加する会議は、何かの意見が出ると、みんななあなあで、まあいいか……ということになりがちで、結果つまらないものができあがる。だから、とりあえずその意見を否定して、会議を撹拌し、本当に面白いと思える意見がでるまで待つんだ……そういう気持でいるそうです」
 逆にみんなが、なあなあにならず、いろいろな意見が出てきて、それをみんなそこそこ満足させようとすると、これまた、つまらないものができあがるのが多いのも事実である。
 ならば、面白いとほんとうに確信できる意見が出るのを待つ。
 「なるほどね」……一理あると思った。
 で、会議を撹拌した結果に出た意見を面白いと思う人は誰なの?……と、そのプロデューサーに訊きかけたが止めた。
 御前様は優秀な人である。
 どこが優秀か……僕にははっきり言えないが、ある種の素材をヒットさせるプロデューサー能力が優秀で、とくに時代を見る目は確かだと思う。
 もっとも、違うタイプの優秀なプロデューサーも僕は知ってはいる。
 どちらも、プロデュース作品のアニメがが超ヒットしているから、めでたい。
 余談だが、このお2人が、対談しているラジオ番組があると知人から聞き、録音したものをインターネットで聞いたが、御前様でないプロデューサーの方から、ほんのちらっと僕の名前が出てきたものの、御前様は、僕が書いた『ポケモン』映画は最初の1本だけと言っていた。
 本当は3本なんですけれど……。
 まあ、どうでもいいけれど、いずれにしろ『ポケモン』アニメ化当初は、御前様がいけると思えばヒットするはずだ、ということになっていたようだ。
 御前様は、当時、ある子供向けマンガ雑誌の副編集長だったが、いわゆるゲームや玩具を巻き込むマルチメディア展開など、あの手この手で雑誌の売り上げを増やすのに貢献していたらしい。
その時代の子供たちにヒットするものを見つけ出す才能があると自他ともに思っていたのだろう。
で、その才能がゲームの「ポケモン」を見つけたのである。
 雑誌と「ポケモン」をリンクさせてヒットの手ごたえは充分あった。
 さらにアニメにすれば、ブレイクする。
 そう確信したのだろう。
 そして、傍目にはいささか強引に見えても、アニメ化へ向け進みだした。
 ゲームの「ポケモン」のアニメ化決定までは、色々なことがあったらしい。
 過去の失敗やら、他のゲームのアニメ化の失敗やらを検討し、マルチメディアとしての成功法を徹底的に考えたそうだ。
 この僕の記載は、御前様ご本人が書いた「ポケモンストーリー」というビジネス成功本があるし、ご本人がいろいろなところで語っているから、それに頼っている。いささか玉虫色に語っている気もするが、僕はあくまでアニメ化決定後に参加したので、それ以前のことは何も知らないから、読んだこと聞いたこと以外何もここに書かない。
 僕は参加直前まで、雑誌のこともゲームの「ポケモン」のことも知らなかった。
 ただ、御前様にお会いしてみると、自分の確信することを行うのに強引なところがあるのも感じた。
 まあ、僕も似たようなところがあるから、余計それを感じるのかもしれない。
 「いい時は味方が多そうだけど、敵も多そうな人だね」
 思わず出た僕の言葉に……聞かれたプロデューサーは答えず、
 「……」
だった。
 ゲームの制作側はアニメ化に不安があっただろうことは、以前書いた。
 御前様たちは、ゲームを作っている本社のある京都まで行って、アニメ化を成功させる熱意と誠意を見せ、アニメ化を決めた。
 ちょっと聞くといい話だが、意地悪な見方をすれば、アニメ化反対のゲーム制作サイドの方たちの頭越しに、ゲーム会社の上層部とアニメ化を決めたとも取られかねない。
 ゲーム制作者にとって、長い時間をかけ一所懸命作ったゲームの命運を、アニメに賭けて失敗されてはたまらない。
 もちろん、そんなゲーム制作者の気持ちを考慮して、御前様は、ゲームサイドを丁重に扱った。
 「ポケモン ゲットだぜ」の決めゼリフは、ゲームサイドのスタッフが考えたものが採用された。
 ゲームサイドの要望は、できる限り取り入れることにした。
 もっとも、肝心のアニメの出来が悪ければ元も子もないから、アニメ制作サイドにも気を遣った。
 監督、演出、絵コンテ、作画サイドへの優遇の具合は知らないが、僕の関係する脚本に関して言えば、脚本料は1本につきアニメベテランの通常脚本料より5000円高く、ただし、僕のシリーズ構成料は20000円安かった。
 もっともこれは、僕のもともとのシリーズ構成料があまりに高すぎるとも言われた。
 確かに、ゲームとは言え、ポケモンのキャラクターはしっかりしているし、ゲームの大まかな道筋どおりストーリーを展開すればいいし、脚本家はすでに決まっているし、脚本会議も綿密に行われ各話のエピソードにあまり口を出さずにすみそうだから、他の原案、シリーズ構成をしている時と比べて数倍楽である。
 何より、脚本著作権がしっかり守られる。
 当時は、それのいい加減な会社もあったのである。
 つまり、『ポケモン』はアニメがヒットし、ビデオやDVDが売れれば、2次使用料が確実に脚本家に入る。
 そして、アニメがそこそこヒットするだけの要素を、ゲームの「ポケモン」が持っていることを誰もが感じていた。
 しかし、御前様にとっては、そこそこのヒットでは困るのだ。
 『ポケモン』のアニメ化、マルチメディア化に自分のヒット哲学を賭けているように見受けられた。
 そして、アニメ化の結果は、並みの予想を超えていた。
 リンクした雑誌も、ゲームもキャラクター玩具もカードも、『ポケモン』に関係するものは何もかも絶好調だった。
 もともと注目されていた御前様の存在は、所属する大手出版会社の中でもさらに大きくなった。
 子供向けマンガ雑誌の副編集長という感じではなくなっていた。
 『ポケモン』に関連した商品で利益を得た会社は、お礼に東京湾の船上パーティを開き、そこで御前様は、まさに本当の御前様のようだった。
 その会社の社員たちは、御前様の前にズラリと並んで、土下座こそしなかったが、一斉にそろって「ありがとうございました」と感謝のお辞儀をした。
 しかし、御前様にとって、『ポケモン』ヒットはそれだけでは満足ではなかったのだろう。
 同時期に『ポケモン』の映画化が決まった。
 御前様は、以前、ミニ4駆のブームにリンクしたアニメと映画をプロデュースしていた。
 結果は、御前様の満足するヒットではなかった。
 『ポケモン』の映画なら、それを当然超えられる。
 それどころか、もしかしたら、日本の国民的大ヒットアニメを超えられる。
 御前様は、比較の対象にならない(それは僕が思うにすぎないのだが……)超有名アニメ会社の作品とプロデューサーを妙に意識していたようだ。
 その会社のアニメを超えるのは、日本の興行成績では無理かもしれない、いや、ゲームや関連商品の人気を考えれば、もしかしたら可能かも……。まして外国なら……日本の国民的大ヒットアニメは、外国では作品的評価はされても、さほどヒットはしていない。
 人は現状に満足しない。
 目指すは、より上へ上へである。
 映画の脚本は、監督との相談の上、ほぼ2稿目で決定稿になっていた。
 『ミューツーの逆襲』である。
 だが、御前様のヒット哲学からすれば、この脚本には不満だらけだったようだ。
 おそらく否定的な意見が浴びせかけられることを、僕は覚悟していた。
 しかし、基本的なテーマを変える気はなかった。
 そんな時に、ポケモン事件は起こった。
 「この事態に関して、製作側やTV局の見解や対処を一貫したいので、マスコミ関係から取材があっても、個人的なコメントは一切言わないように」
 とりあえずは不慮の事件に対するお詫びと、原因究明の約束である。
 わけも分からずマスコミは、相変わらず『ポケモン』そのものに対するバッシングを続ける。
 『ポケモン』を批判すれば、それでニュースコメントのネタになる。
 しかし、だれも口には出さないにしろ、直接、実制作に関わっていない方たちや直接の被害者以外の、間接『ポケモン』関係者は、この事件から受ける大混乱と経済的損害(実際は一時は相当な利益を受けたはずだが)の責任者を見つけ、その気はなくともその人のせいにしたくなるものである。
 「『ポケモン』アニメを放送しなければよかった」が「『ポケモン』のアニメがなかったら放送しなかった」になり、「『ポケモン』をアニメにしなければよかった」になる。
 じゃあ、だれが「ポケモン」をアニメにしようとしたんだ。
 『ポケモン』アニメ化の中心人物は、言うまでもない。
 しかも、御前様は、『ポケモン』をアニメ化するために、かなり派手に動きまわって目だっていた。
 さらに、御前様自身が気が付いていないところにも、批判の種はあったらしい。
 それは、御前様が勤めている大出版社内部である。
 それは、次回触れる。
 結論から言えば、ポケモン事件は、数週間のうちにうやむやなまま、後味が妙な感じで収束してしまう。
 だがその間は、御前様を含め、『ポケモン』関係者には一生忘れられない、窮状だったろう。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 いうまでもなく、アニメは1人では作れない。
 さまざまな人の手を通って、完成される。
 予算、色々な技術、才能が集合したものである。
 しかし、ここは脚本家について語る場だから、脚本家と監督の関係について考えてみる。
 プロデューサーサイド、原作のある場合は原作サイドetcの話し合いの末……なにやらかにやらあった後、あなたの脚本ができ上がる。
 通常、作品の全体の実作責任者は、監督ということになっている。
 脚本は作品の土台だから、脚本家と監督の意思の疎通ができていない脚本だと、良くも悪くもぐちゃぐちゃな作品ができる。
 良い脚本から良い作品ができる事があっても、悪い脚本から良い作品ができる事はない、とは昔から言われていることだ。
 しかし、たまに、土台がダメで、作品としてはぐちゃぐちゃでも、見てみたら面白い場合があるから、不思議である。
 そんな作品は、監督がいいと評価されがちだし、○○○監督作品と言われがちである。
 だが実際は、そんな作品は、監督や脚本以外で、作品に関わった人の才能や技術が目立っている場合が多い。
 もっとも外国では、プロデューサーに力があって、でき上がった作品が、プロデューサーの一存で作りかえられることも少なくない。
 著名な監督の映画の有名なラストシーンが、実は、プロデューサーが作り変えたものだったということもある。
 古典名作映画では、ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」(知ってますか?)の名ラストシーンが、プロデューサーが作り変えたものであるのは有名である。
 でも、ご予算少々、スケジュールぎりぎりの日本のアニメの場合、でき上がった作品を作り変えたりする余裕のない場合がほとんどである。
 だから、脚本と監督との関係がうまくいかないと、良くも悪くも奇妙な作品ができ上がる。
 監督にもいろいろなタイプがある。
 脚本をそのまま的確に映像化する職人タイプ。これも優れた才能である。もちろん脚本家は満足だが、その分、脚本の出来不出来がもろにでてしまう。
 脚本(ないしは原作)を面白がり、自分の描きたいものに近いものを見つけ、よりいっそう面白くしようと自分の才能をフル回転するタイプもいる。
 多少、脚本家のイメージと違う場合があっても、面白くなるのだったら、脚本家としては悪い気はしない。監督から、今まで他の脚本で見せたことのない才能が噴き出す時もあって、脚本家としてうれしい時もある。
 脚本(ないしは原作)の中に描かれているテーマや、あるシーンを気に行って、そこを自分なりの解釈で表現するタイプもいる。
 脚本家はかなり不満だが、自分の書いたものの解釈は人それぞれだから、仕方ないなと我慢をする。
 しかし、自分が描きたい確固たるものがあって、それを描くために、原作や脚本を利用する監督もいる。
 監督本人が意識しているかどうかはしらないが、でき上がった作品には、原作や脚本は存在しない。
 そこにあるのは、せいぜい原作や脚本のあらすじ程度で、出てくる登場人物も姿が似ている別人である。
 インスパイアとかオマージュ、パロディという言葉があるが、それすらない。
 原作者の中には、文章で書いたものと映像とは別物ですから、と分かりのいい大人の発言をする人もいるが、かなり内心は怒っているはずである。
 もちろん、自分の書いたものが映像になったらどう表現されるかな?  と面白がる人もいるが、表現の違いどころか、描かれているのが自分とはまるで違う、そこにあるのが監督本人が表現したいテーマと世界だけだとしたら、面白いはずはない。
 監督の表現したい世界に原作も脚本も不在なら、もとから、原作も脚本も使わなければいいのである。
 自分で脚本を書けばいいのである。
 脚本家も、自分の書いたものが大事なら、そういった監督とは脚本で付き合わないほうが精神衛生上いい。
 人間同士としては別である。
 自分と違うタイプで、個性的な人は、つきあうには楽しいし、勉強になる。
 そんな事を言っている僕も、実は自分の書きたいものしか書かない部類に入る。
 というより、自分しか書けないものしか、書かないのである。
 僕のシリーズ構成した作品でも、他の方でも書けそうなもの、他の人の方が向いているものは、基本のアイデアは僕でも、他の方に書いてもらうことがある。
 自分の中ですでにでき上がったものを自分が書くより、他の人に書いてもらったほうが、違うものができるかもしれなくて、面白いかもしれないからだ。
 原作のあるものは、できるだけ避ける。
 実際、原作のあるものを脚本にすると、僕は自分の世界に持ち込んでしまう。
 原作の中にあるテーマも、人物の動きも、書いているうちに、僕が意識しなくても、原作と違ってしまう場合が多いのである。
 原作者としたら気分がよくないだろうし、僕も原作に支配されたくない。
 だが、諸処の事情で、原作のあるものを依頼されることがたまにある。
 僕が断ることは先方も承知だから、依頼するほうも、脚本化が難しい場合や、オリジナル部分がないとアニメにならない原作が多い。
 で、諸処の事情で断りきれなくなったり、原作者自身から僕でなければと指名されたこともあったり、「原作と変わるかもしれませんが、それでもいいですね」と、原作者とその原作を出版している編集部の確認を取って、脚本を書いたことはある。
 で、前回の話題に戻れば、監督ご本人が作品の名前をはっきり言っているから、僕がぼかしても仕方がないので書くが、『うる星やつら』の映画の2作目、上映された題名は『ビューティフル・ドリーマー』のことである。
 『うる星やつら』と僕との間には、僕なりにいろいろなことがあったのである。
 実は、『うる星やつら』がTVアニメ化された頃……当時は、フジテレビの15分の2本立てで放映されていた。
 その時、脚本を書かないかと誘われたことがあったのである。
 15分の短編だし、設定だけ同じなら、エピソードは原作にこだわることもないとも言われた。
 そこで、原作の高橋留美子さんのマンガを読んでみた。
 とても、面白かった。
 しかし、僕には書けないと思った。
 男の僕には、主人公のラムやその他の女性登場人物の本音がよく分からないのである。
 この作品、「男という、アホで、単純で、どうしようもなく下らない動物を、なぜ、女が愛さなきゃならないのよ」という女の子の居直った本音が、男のほっぺたを張り飛ばしているマンガである。
 そこが、このマンガのそれまでのマンガにない面白さの根っこであると思う。
 しかも、そんなマンガを、キャラクターのかわいらしさもあるが、男の子向きのマンガ雑誌に、どうどうと連載して、読者に受けているのだから、原作者の才能には恐れ入る。
 女というものが分からなきゃ、もしかしたら女性じゃなければ、この脚本なんか書けないよ。
 僕はそう思って、脚本を書くことをお断りした。
 つまり、僕としては、1度お断りした原作だったのである。
 それがなぜ、映画版の2作目に関わるようになったのか。
 とりあえず、監督側の事情は色々なところで露出しているが、こちらの事情も話しておこうと思う。

   つづく
 


■第164回へ続く

(08.11.12)

 
  ←BACK ↑PAGE TOP
 
   

編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.