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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第174回 「差別」といっても大げさに考えないでください

 前回、このコラム、アニメの脚本に興味のある方に向けであると書いた。
 『ミュウツーの逆襲』に取り込もうとした僕流の「テーマ」などは、実は、一般の観客には、どうでもいいことだと思っている。
 この映画にお金を払ってくれた観客と子供とが、この映画を見て、面白いと思ってくれればいいし、この映画から何かを感じてくれて、その感想が茶の間の話題にもなってくれれば、うれしいとは思っている。
 映画を見たついでにポケモングッズを買わされる親は大変だろうと思うが、僕はポケモングッズやゲームを買っていただくために、このアニメを書いたわけではない。
 グッズの販売や映画の宣伝には、それ専門の方達もいる。その方達にまかせればいい。
 もっといえば、たかが僕ごときが思いついたテーマらしきものに、共感してくれるファンの方がわざわざ会いに来てくださって感想を語ってくれたり、手紙を送ってくれた方もいて、うれしくはあるが、なんとなく面映ゆい感じがした。
 何かの理由で絶望の淵にいたが、僕の脚本のアニメを観て、自殺を思いとどまることができた――そんな手紙もいくつかある。
 僕としてはとてもうれしいことだが、逆に「僕のアニメを観て、なおさら自殺したくなりました」となったらえらいことである。
 若いころの多感な時期は、世の中のすべてが嫌になって、生きているのが辛くなることもあるだろう。
 僕にもそんな時期があった気がする、
 僕がアニメの脚本を書きだした頃は、アニメブームのはしりの頃で、中学生や高校生の多感な人たちがアニメを観る機会が多くなってきた。
 僕には、「18歳の殺意」という映像化されていない青春映画の脚本が1本ある。
 知る人は知っているだろうが、僕には『街角のメルヘン』(原題は「18歳のメルヘン」)というアニメがあり、簡単にいえば2人の男女が、新宿の西口で会って、別れて、再会するまでの1年間を描いたラブストーリーである。「18歳の殺意」はそれと対をなすものでほぼ同時期に書いた。
 何の関係もない他人を、無差別に殺していく18歳の男の話なのだが、自分がなぜ赤の他人を簡単に殺せるか、彼は自分でも分からないのである。
 無差別殺人事件で、逮捕後の犯人が自己弁護する時に「自分の生まれ育った境遇……つまり、貧困とゆがんだ社会が、自分のような殺人者を作ってしまった」と言う事がある。僕が18歳の当時、実際に起きた連続射殺魔と呼ばれた本人も、そんな事を訴えていた。
 ご存知の方もいるだろうが、その連続射殺魔が獄中で書いた「無知の涙」という本が出版されて、各方面で色々な意味で話題になった。
 なんだか理由の分からない無差別殺人事件は今も続いているけれど、記憶に新しい秋葉原の無差別事件にしても、被害者にとってははたまらないだろうが、社会のゆがみが犯人を無差別殺人に追いつめたという理由で、世の中の人は、どこか腑に落ちないにせよ納得しようとしている。そんな気配を感じるのは僕だけだろうか。
 で、僕が18歳の時に書いた脚本は、ちょっと違っていた。
 自分の持つ他者への殺意が、自分で理解できないのだ。
 なぜ、自分は簡単に人を殺せるのだろう? 彼は著名な心理学者の本を読み漁って勉強する。そこに答えはなかった。自分がいわゆる精神異常にも思えない。そこで彼は自分の力で自分を自己分析しはじめるのだ。彼は、自分の持つ殺意の理由を社会には求めない。
 彼のいだく他者への殺意は彼自身のもので、彼自身が自分の内部にある殺意の根源を見つけ出し解決しなければならない問題なのである。
 彼は、人を殺すことができる。ならば、自分で自分を殺す、自殺はできるのか? 彼は何度も自殺を試すが、できないのである。
 関わりのない人を平気で殺すことのできる自分が理解できないかぎり、自殺は自分の抱える問題の解決にならないのだから。
 イメージシーンで、彼は警察から殺人の動機を聞かれる――分からない。裁判官からも聞かれる――分からない。精神科の医者にも聞かれる――分からない。
 彼は、自分の殺意が理解できず、渋谷の雑踏をさまよう。こんな人の波の中をあるいていたら、また自分と関係のない他人を殺してしまうかもしれないな……などと考えながら。で、彼はふと気がつくのだ、渋谷の街に誰1人いないことを。コンクリートのビルとアスファルトの道だけ。車さえいない。
 渋谷の街にいるのは、自分1人なのだ、いや、世界中にいるのは自分1人かもしれない。自分以外誰もいなければ、誰を殺す理由はない。
 彼は、会心の笑みを浮かべる。もう、人を殺さなくていいのだ。この世界にいるのは自分だけだから……。
 僕が最初に書いた脚本らしい脚本は、2本あり、対になっていた。
 両方とも新宿と渋谷という大都会が舞台で、主人公は「メルヘン」は2人、「殺意」は1人……ただし、通りすがり大勢の人は、ただのエキストラでは困る。演技をしているようで芝居っぽさの目立たない人がたくさん必要だ。
 しかも、超高層ビルの谷底を歩く『街角のメルヘン』の2人と、いつもは人でいっぱいの渋谷を無人にして無差別殺人の少年をひとりで歩かせる「18歳の殺意」のシーンなど、実写では無理だった、それができるとしたらアニメだろう。
 実は、この両作品とも、読んだ方から、かなり高い評価をいただいた。
 ただし、「18歳の殺意」は今でも、というか、今ならなおさら危険な内容だろう。本人すら理由の分からない殺人を、本人が自己分析して、結果、殺す人間がいなくなったからもう殺さない。脚本は、その少年の行動しか描いていない。
 警察も、裁判官も、精神科の医者も出てくるが、この作品を見る人に何の答えも出してはくれない。
 この作品、「ちょっとすごいから、じっくり読ましてくれ」といってくださった先輩の脚本家の金庫の中にいまだに入っているはずである。
 もっとも、その脚本は、僕が18歳の多感な時期だから書けたのだろうし、今の歳の僕では、到底書けないだろう。
 20代前半の僕の作品には、放映されたもののなかでも、外見は子供向きアニメや青春ドラマでも、いろいろ危ない脚本があった。
 それを、知ってかしらずか当時映像化してくださったスタッフの方には、感謝している。
 だがその後、僕は多感な年ごろの方が妙な影響を受けそうな事は書かなくなった。
 特に大人を対象にしたアニメ以外は残虐なシーンも避けた。
 例えば、『戦国魔神ゴーショーグン』の映画版『時の異邦人』は、脚本を好きに書かせていただいたし、構成もかなり複雑である。、強烈なシーンもあるが、過去のTV版とは別のアプローチをした新作だし、観客層も高校生以上で子供はほとんどいなかった。ビデオソフトにしても、当時、1万円以上するビデオソフトを子供が買うとは思わなかった。高額商品だから大人が何回見ても楽しめる作品にしたかった。
 上映当時は、結構好評だった気がするが、それから何年もたって、ネットやケーブルTVでこの映画をご覧になった方の中には、残酷シーンが多くて子供に見せられないという批評もあるようだ。
 もともと子供向きに作ったつもりではないし、高校生以上の大人に主人公の生きざまを楽しんでもらいたかった映画だったのだが、こんな事なら、R指定でも付けておけばよかったと思うときもある。
 もともと、僕は人に語れるテーマやメッセージをもっているような立派な人間じゃないし、僕の脚本の作品を観て、何かを感じていただけばうれしいだけである。
 観ていただいた人が、その人なりのテーマらしきものを作品の中に感じてくれれば、それでいいのだ。
 笑い話で言うのだが、黒澤明監督の「七人の侍」という映画がある。日本映画の中で、観て損のない映画だと思う。お百姓達にやとわれた侍が野党と戦って数人の犠牲者を出しながらも戦いに勝つ話なのだが、ラストで生き残った侍が、田植えをするお百姓を見ながら「勝ったのはあの百姓たちじゃ、儂たちではない」と言うのだが、おそらくこのセリフがこの映画のテーマなのだろう。
 「でも、これって、実はどうでもいいんじゃないか? 本当は、大金かけて今までの日本映画になかったチャンバラ大アクション傑作を作りたかっただけじゃないの? そっちのテーマはうまくいったけどさ、『ほんとに勝ったのは百姓』というとってつけたようなテーマは、なんだか余計だよな」
 口の悪い監督がそう言っていたが、僕もなんとなくそう思う。
 ただ、一般の観客ではない方相手にコラムを書くとなると「テーマ」が必要になる時があるのだ。
 企画書を書くときや、企画会議で、作品のテーマを問われることがあるからだ。
 「この作品でなにがいいたいの?」などと言われる時もある。
 となると、脚本家はテーマらしいものを考えておかなければならない。もっとも、今時は――
 「大ヒットした原作の映画化、TV化ですから、きっとヒットします。TV局は宣伝をバックアップしてくれるし、まさに大ヒットがこの作品のテーマです」
 「旬のアイドルタレントいっぱい、現作は話題の携帯小説、若い子の恋愛テーマがなんでもかんでもぶちこんであります。なんでもかんでもぶちこんであるのが、この作品のテーマです」
 「この映画、前作は○○億をかせぎだしました。今回のテーマはその収入を超えることです」
 ――のように、作品内容とあまり関係ないことがテーマになることもあるが、監督や脚本家が作品を作る上で、テーマが興行収入や大ヒットだけでは、作家としてちょっとさみしい気もする。
 『ミュウツーの逆襲』のテーマは、人気のあるポケモンの中でも、めったにお目にかからないミュウとミュウツーの戦いを見せる事であり、主人公のサトシとピカチュウが協力し合って活躍する事、である。
 僕は「自己存在の問いかけ」ですなどとは絶対言わない。
 「そんな小難しいことをテーマにするな。『ポケモン』は子供向けのアニメだぞ」と言われるのが落ちである。
 「世界に通用しそうなテーマだと思いまして……」と言ったって、「ポケモンが出てくれば、ある程度は世界で通用する。問題は観客をわくわくどきどきさせるストーリーやアクションだ」である。
 「日本映画で、外国人が、わくわくどきどきするようなストーリーやアクションが成功した例ってめったにないんじゃないんですか」とも思ったが、これも言わない。会議がもめるもとである。
 上層部は、アニメを派手に見せるため、CGを使いたかったらしいが、日本のCGは、当時、発展途上中である。
 しかも僕には、ポケモンの図柄とCGがマッチするか、疑問だった。
、それでもCGをどうしても出したかったのか、題名タイトルにはしっかり登場させていた。
 そこにもってきて、『ポケモン』で「差別」について少し触れようと思います等と言いだしたら首藤は頭がおかしくなったと思われかねない。
 ご存知の方も多いだろうが、基本、日本において差別問題はタブーである。
 アメリカと違って、人種は同じように見えても、日本にも差別問題がないわけではないのは、みなさんも当然ご存じだと思う。
 僕個人は、差別とか区別とか格差とか、勝ち組、負け組とかいわれても、その違いがピンとこないのだが、結局、人間に差をつけているという事なのでしょう……などととぼけて書いているが、この問題はとても微妙で、このコラムで適当なことを書くと大変なことになりかねない。
 ただ、差別する側が悪いとか、差別される側はかわいそう、というように単純に言える問題ではないだろう。
 で、まあ、この歳になると、見たくなくても知ってしまう事もあるし、いわれなき奇妙な差別らしきものを受けた覚えもある。
 それでも、あんまり差別というものがぴんとこないのは、物心つくころに僕が育った場所や環境も関係していそうだから、それについては、その話をする時に少しだけ書いてみようと思う。
 『ミュウツーの逆襲』の中でさりげなく差別問題(と表現するほど大上段ではないが)を扱おうとしたのは、それが世界中の人々にとって通常意識していなくても、心のどこかに引っかかっている事だと思ったからである。
 僕自身、具体的にびっくりしたのは、日本のマスコミに差別用語禁止、放送禁止用語があまりに多いことである。
 いわゆる使ってはいけない言葉である。
 当たり障りのない言葉で無難に済ませたい気持ちはわかるが、度が過ぎている気がする。使える言葉がどんどんなくなり、パソコンの辞書からもなくなり、TVニュースや新聞から使って都合の悪い言葉や表現が消えていったら、真実なんて伝える事ができるのだろうか?
 僕が小学校の頃、住んでいた家の近くで発砲騒ぎがあった。付近は大騒ぎだった。あれだけ大騒ぎになったのだから新聞の1面に出るだろうと思ったら、1面どころかどこにも記事が載っていなかった。その発砲事件は差別問題が引き起こしたものだった。
 新聞社はその事件を記事にするのを自粛したのだ。新聞社にとって差別問題を扱うのはタブーだったのだ。
 北海道にいた頃、犬を飼っていた。中型犬だが気の荒い犬で、北海道に住むアイヌの人達がクマ狩りに使う犬だった。
 アイヌ犬と呼ばれていた犬の種類だ。優秀なアイヌ犬は天然記念物に指定されるほど格好のいい犬だった。ところが、いつの間にかアイヌ犬という呼び名がなくなっていた、北海道犬と呼ぶのだそうである。アイヌという人たちの呼び名が差別用語だというのだ。
 何を基準に、アイヌ民族(民族と言っても、いろいろな部族がいて、生活様式も違う)のアイヌという呼び名が差別用語になったのかはしらない。
 しかし、天然記念物までいるアイヌ犬が、なぜ北海道犬とよばれなくてはならないのか?
 子供心ながら納得がいかなかった。
 もっとも、『ポケモン』に差別の話を忍びこまそうとしたのは、それが理由ではない。
 20代の前半、ドイツの田舎町に1ヶ月ほどいたことがある。
 その町の人は、あまりに田舎すぎて、日本人を見たことがなかった。
 おそらく、彼らが知る、初めての日本人が僕だったかもしれない。
 そんな町になぜ僕がいたのか、話が長くなるので省略するが、その町の若い人たちは大きな街に出稼ぎに行って、町に住んでいるのは年配のドイツ人が多かった。
 今から30年以上昔のドイツ(当時は東西ドイツに分かれていた)である。
 大都市ならともかく、日本人を観たこともないドイツ人にとって、日本人はただの東洋人ではなかった。
 冗談ではなく、年配の方達にとって日本人は、第2次大戦をともに戦った仲間だった。
 しかも、ドイツが敗戦してからもがんばり、原爆を落とされるまで(彼らは原爆を知っていた)負けなかった戦友の息子だと思ってくれたようだ。
 日本人(ドイツ語でヤーパン)がいると聞いて、僕が無理やり頼み込んで2階に泊っている酒場に、お年寄りたちがしょっちゅうやってきた。
 ロンドンに行くつもりが、諸般の事情で日本を飛び立って3日後にこの町についてしまったから――ドイツのシュツットガルドの飛行場から時速制限なしのアウトバーンという高速道路を、タクシーで1時間も飛ばしてきたのだから、いかにそこが田舎町かが分かるだろう――ドイツ語など、ヤー(イエス)とナイン(ノー)しかしらないから、ほとんど、対話はパントマイムである。
 相手も年配の方達が多い。
 それでも、彼らは親切にコミュニケーションを取ろうとしてくれ、食事やビールはほとんどおごっていただき宿泊代もタダ同然だった。
 しかもそれが1ヶ月である。
 見ず知らずの日本人に、この歓待ぶりはうれしいどころではなかった。
 余談だが、その後、ドイツの色々な街をめぐりロンドンやパリにも数ヶ月いたが、ロンドンはともかく、パリはひどかった。
 貧乏街に泊まっているお金を持っていない日本人の男は、彼らにとって屑である。同じ日本人でも女性には下心があるのかしらないがやたらと親切だが、日本人の男には口もきいてくれない。
 「言いたいことがあればフランス語でしゃべろ」とフランス語で言う。
 なぜ、そのフランス語が分かったかと言うと、その貧乏街にはベトナム人が多かったからである。その人たちにフランス語を下手な英語で訳してもらったのである。
 普通の人が勤めている平日の昼間、パリの貧乏街を歩いている東洋人は、ベトナム人ばかりと言えた。
 言うまでもなく、ベトナム戦争以前、ベトナムはフランスの支配下にあった。アメリカは、フランスの肩代わりでベトナム戦争を始めたのだ。
 結果アメリカは散々な目に合うのだが、南ベトナム危うしの頃から、南ベトナムの小金持ちは、フランスに避難していた。
 もとが、フランスの占領下だったのだから、ベトナム人はフランス語が上手い。ついでだが、アルジェリア人もフランス語を話せる人が多い。
 アルジェもフランスの占領下だったからだ。
 話をもとに戻すが、ドイツの田舎町の人たちは親切だった。
 黄色人種の他の東洋人に対してはどうかしらないが、僕はその町で、同じ日本人から受けた事もない歓待をされた。
 そんなある日、気がつくと、酒場で小間使いのような仕事をしている女性がいた。
 ドイツ人と比べると、いささか小柄だったが、僕の身長にはぴったりだった。
 ドイツ人特有のジャガイモ太りでもなく、目鼻立ちの整った白人の女の子で、パントマイム風に年齢を聞いたら21だと答えた。
 ドイツ語の分からない僕を、分かってくれようとする笑顔が可愛かった。
 手伝いにバケツなどを持ってやると「フィーレンダンク(とてもありがとう)」。声も素敵だった。今も耳に残っている。
 彼女が暇の時には、テーブルに呼んでコーヒーかたまにビールを飲んだ。
 1人でドイツにいたこともあっただろうが、最高の女性に巡り合えた気がした。
 ろくに言葉も通じないのに、そこがドイツであろうと日本であろうと、いつも一緒にいたいと思った。
 町に1軒しかない粗末な映画館で、言葉も分からぬドイツ映画を観たが、当時のドイツ映画のレベルは低く(もっともその映画だけだったのかもしれないが)、ドイツ語を勉強して、ドイツの脚本家になってやろうかとさえ思った、
 そんな2人の様子を、酒場に来たドイツの人たちは1週間ほど何も言わずに見守ってくれていた。
 ある日、そのうちの1人が、とても気の毒そうな顔で、僕のテーブルにやってきた。
 一所懸命覚えたのだろう、片言の英語を交えて言った。
 「彼女はナインだ。君はキャンノット アンダースタンド……ナインナイン……彼女はジプシイ、ジプシー ユー ノー?}
 初めは分からなかったが、一所懸命の言葉と、その人の言葉にいちいちうなずくカウンターの客の僕に対する気の毒そうな顔で、何となく理解できた。
 彼女は他のドイツ人の女性と比べたら、すこしスマートな体つきだったが、比べるドイツ人の女性が年配の方だったから、若いし、肌がぴちぴちしているのは当り前だろう。近くの大都会、シュトウットガルドに行ったこともあったが、彼女と他の若いドイツ女性との間に違いなどなかった。彼女が一番きれいでかわいいと思った以外は……。
 だが、彼女はジプシーだったのだ。
 ドイツ人の差別対象など、戦時中のユダヤ系の人達しかいないと思っていた。
 それに、ユダヤ系の人はなんとなく見てわかる。
 ドイツ人とフランス人と、イギリス人とイタリア人の違いも、見た目で分かる気がする。
 顔形、姿からすれば、東洋人の僕の方が、ドイツ人からすれば分かりやすいだろう。
 だが、僕が日本人であることが分かると、信じられないほど親愛の情を示してくれた。
 ドイツの人達も、ジプシーの女の子を疎外した目では見ていない。
 ごくごく普通につき合っている。
 しかし、そこには確かに差別があった。
 それに気がつかず付き合っている日本人が、その酒場のドイツの人達から見て、気の毒だったのだろう。
 日本人は、ジプシーと聞けば、なんとなくノスタルジックな感じをうけるかもしれない。
 しかし、ドイツ、いやドイツだけでなくヨーロッパ諸国では、差別されている人たちなのだ。
 ドイツ人と日本人とジプシー……しかも、お互い、言葉もよく分からない間にある差別……。
 ありきたりの差別なら、分かっているつもりだった。
 けれど、外国で予期しない時に突然現れた差別はショックだった。
 ミュウツーが、自分が生み出したコピーポケモンと本物のポケモンの戦いの末に感じたものは、もっと大きかったかもしれない。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 初期の僕のアニメ作品に関わってくださった方は、実写監督はどなたも御高齢である。
 とある方に、色々、お話をうかがったが、脚本家に関係する部分で気になるのは、絵コンテをもとにして作られた録音台本だそうである。
 実写の場合、セリフは脚本家が書くが、撮影の時、そのセリフをしゃべる時間的長さは、監督と俳優に任される。
 もうちょっと感情をこめてゆっくりとか、もっと感情を激しくあらわしてとか……俳優も脚本を読みこんで自分の演技を考えてくる。
 ところが絵コンテは、絵コンテマンがセリフの長さを決める。
 このセリフは何分何秒で……と絵コンテに指定してある。
 アフレコの時には、その時間だけアニメの登場人物の口が動いている。
 声優はその長さに合わせて、セリフを言わなければならない。
 それはそれで立派な技術職である。
 ただ、絵コンテを切る人は、そのセリフをしゃべる人をよく分かっているだろうか。
 声優が、アフレコの時、感情をこめてどんな動きをしているか知っているだろうか。
 自分でその役の感情になってセリフをしゃべってみて、その時間を測っているだろうか。
 俳優は自分のセリフの感情に合わせて、思わず表情を変えたり、体が動いてしまう。
 絵コンテは、そこまで考えて書かれているだろうか。
 実写の監督は、本職の声優を使わずに、お気に入りの俳優を声に使う事があるが、どうしても、口パクの時間に合わずに苦労するそうである。
 口パクの時間の長さに合わせるために、実写を録っている時の感覚がつかめないのだ。
 それは脚本家も感じていることで、コンテマンの書いたセリフの長さで声を入れられると、どうも一本調子の感じがする。
 芝居のできる、舞台経験のある声優さんなど、舞台は上演する1回1回、何が起こるか分からないからそれに対応でき、口パクの長さと自分の口調のリズムをテストの間に調整して、自分のセリフが自分のやりたい声の芝居より長すぎる時はアドリブなどを入れてうまくこなしてくれるのだが、口パクどおりのセリフしかしゃべれない声優さんは、絵コンテのセリフが一本調子なら絵コンテどおり一本調子になるしかない。
 で、その作品を観ている脚本家も、そんなセリフになれてしまうから、一本調子のセリフしか書けなくなる。
 声を入れるについては、絵ができた後のアフレコより絵ができる前に、芝居のできる役者で声を作ってしまうプレスコ……その演技に合わせて絵を書くのがいいんだろうけれど、今のTVアニメのスケジュールで、そんなことできるの?
 それから、役者じゃなく絵が芝居する今のアニメで、仮に10人以上の登場人物が出てくるとして、その1人1人のセリフを個性豊かに書ける脚本家がいるの?
 「10パターンでいいからそれぞれ個性的なセリフがかければ大したもんだよ」
 そう言われたもんだから、僕は「『七人の侍』は7パターンでしたね」と答えたら……
 「『七人の侍』は、村人も盗賊も女の子も個性的なのがでてきたろう。10パターンじゃ済まないよ。しかも大物数人がかりの脚本で、絵が動いてるんじゃなくて、姿かたちも個性的な俳優が演技しているんだよ」
 「8人ぐらいならなんとかなるかも……」と言ってみたら……
 「あんたの書いた最初の脚本、確か2人しか出てこない話だろ」
 「はあ、ついでをいえば、2人合わせてセリフは15分ぐらいしかないんですけど……音響監督が粘る人で、セリフのNGの連続でアフレコに確か3日かかっちゃいました」
 「いい音響監督だねえ、いま、どんな仕事しているの?」
 「ずいぶん前に亡くなりました」
 松浦典良氏のことである。
 「そか……俺もそろそろかなあ……」
 そういわずがんばってください……。

   つづく
 


■第175回へ続く

(09.02.04)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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