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第194回 『ルギア爆誕』テーマを複眼で語ると
『ポケモン』映画2作目のX(ルギア)の本質は母性でなければ、少なくとも僕の納得できるストーリーとテーマにならない。
しかし、プロット会議ではXはオスに決まってしまった。
当初は、会議の出席者を説得して、オスに決まったXをメスに変えてもらうことも考えた。
しかし、会議の出席者は何人もいる。
そんなみんなが同意する物事を決めるから会議である。
僕1人の意見で、一度会議で決まったことを変えるのは困難である。
しかもポケモン映画の会議の出席者は、並みではなく大勢いる。その1人1人をいちいち説得できるか?
特に、会議の主導権を握っている方が、Xを力強いオスとしてイメージしているから、会議の決定をひっくり返すのは絶望的である。
それでも、姑息なことを考えてみた。
たとえば、フランス語の名詞には性別がある。
海は女性名詞である。なぜかは、薄学の僕は知らない。
海は女性をイメージさせるなにかがあるのだろう、としか僕は思っていなかったのだが、それでもフランス語で海は女性だから、というのはどうだろう。
『ポケモン』はなにもフランス向けに作っているアニメではない。『ポケモン』が求める観客は、日本ならびに全世界であると言われるのが落ちである。多数決で決まったXの性別オスをメスに変えるには説得力が希薄だ。そんな説得はすぐにあきらめた。
なにしろ、2作目はアクションアドベンチャーを目指している。フランス語で、海が女性名詞だからXはメス、というのでは誰も納得しないだろう。
余談だが、フランス語で、日本の九州は、女性名詞である。
普通、日本人としては九州男児という言葉があるくらいだから、九州は男性名詞でもよさそうな気がするが、フランス語では女性名詞である。
何を基準に、名詞を女性と男性に分けるのか、文法的な難しさでなく簡単に説明できる方がいたら教えていただきたいものである。
Xはオスかメスか……その当時、僕は小田原の漁港のすぐ近くに仕事場を持っていた。
で、朝から晩まで、海辺に行ったり港の埠頭に行ったりして、海ばかり眺めていた。
僕にとっての問題は、海をオスとして思えることができるかである。
ただ、ぼんやり見ていても結論など出ない。
ある程度、自分の気持ちをごまかして、海はオスだと決め込まなければ、Xの行動を描くことができない。
で、自動販売機でワンカップの酒を5、6本買ってビニール袋に入れて海辺に持っていく。
もっともこれは、海をテーマにした別の小説を書いていた頃も、書くのに煮詰まると同じ事をしていた。
住む人の少ない漁港である。
街ではないから、パジャマ姿でも、見る人も慣れれば気にしない。
ただ、昼間から何もしないでぷらぷら海辺にいるから変な人だとは思っただろう。
昼間働かない自由業など、誰もいない漁港だったからである。
それでも酒屋は海辺に1軒しかなかったから、朝っぱらから一升瓶など買っていたら、気味悪がられるだろう。
だから、自動販売機である。
自動販売機は、深夜は販売停止だから、当時の僕の体力では飲みすぎで倒れることもほとんどなかった。
漁民の方たちは、仕事が終われば、いきつけの酒場や立ち飲みの酒屋で仲間といっしょに酒を飲むから、自動販売機で酒を買うのは僕か、ろくに釣れない港の中で釣り糸を垂らす、趣味の釣り人ぐらいである。その釣り人も平日はあまりいない。
酒を止めているころのある日、酒屋の人に声をかけられたことがある。
「最近、飲まないんですね」
つまり、自動販売機のワンカップの酒の減り具合で、僕が酒を飲んでいるかどうか、酒屋さんにはお見通しだったのである。
それに、いくら人が少ないからといって、何もない海辺や埠頭で、釣りもせずにぼんやり海を見つめて酒を飲んでいる僕の姿は、気になったのだろう。
派出所のお巡りさんが、様子を見にきたこともあった。
だが、酒を飲みながらも酔った気配もなく、自殺の心配もなさそうなので、気にしなくなった。
かえって、1ヶ月ぐらい僕の姿を埠頭や海辺で見ないと、心配して仕事場に様子を見にきてくれたことすらあった。
台風接近の荒れた海の姿も、無風状態の静かな海の様子も、いつもぼんやり見つめていた。
海が男性か女性か……『X爆誕』の脚本を書くことになり、意識的に海を見るようになったが、ある時は男性的であり、ある時は女性的であり、海は風任せで姿を変えはするが、基本そこにあるだけだ、という気にもなってきた。
多分に酒で頭の感度が鈍くなっていたのかもしれないが、海は生命を生み出したにしろ、性別はどうでもいいような気がしてきた。
脚本を書く僕にとっては、海は母性でなければ困る。
しかし、作品の登場人物にとって海のシンボルであるXがオスかメスかは、その登場人物の感じ方次第だという気もしてきた。
つまり、脚本を書く僕にとっては、Xの行動は母性を表す女性的行動だが、登場人物によっては、Xが男の声を出す父性行動に見えてもかまわないのである。
『X爆誕』は基本アクションアドベンチャーだとしても、共存をテーマにしている。
そして、登場人物達は、無理をせずありのままでいれば、共存できる。
つまり、Xというポケモンがなんであるかということより、登場人物たちがなんであるかを描けば、おのずからXの存在がわかる。
共存の意味が浮かび上がってくる。
この映画の敵役ともいえるジラルダンはコレクターである。世界がどうなろうが、コレクターである自分を捨てない。
最後まであるがままの自分である。本人としてはやりすぎたという反省はない。
はたから見れば、世界を破壊においやる厄介者だが、結果として世界は変わらない。
世界にとっては、ちょっとした刺激剤……それもまた、この世界に共存している存在だと言えるだろう。
僕は、Xというポケモンにこだわることをやめにした。
だからといって、Xが母性のポケモンだという気持ちも僕は捨てない。
ただ、他の登場人物の目線を加えることによって、Xがオスであろうがメスであろうが、実はどうでもいい、登場人物によってはXの声が男の声に聞こえてもかまわないように構成しようとした。
ひとつの出来事に対して、見方は様々。ただ、真実は確かにある。
それぞれの登場人物の、ひとつの出来事に対する、それぞれの立場からのそれぞれの見方(つまり登場人物のキャラクター)はしっかり描いておかなければ、ひとつであるはずの真実がぼやけてくる。
似たような構成の映画に、黒澤明監督の「羅生門」があるが、実はかなり違う。
原作が芥川龍之介の「藪の中」であることが意味するように、真実はぼやけたままである。
真実はぼやけたままというのは、それはそれですぐれたテーマだが、『X爆誕』はぼやけた真実では困る。
つまり、『ポケモン』映画2作目において、共存なんてテーマは登場人物たちにとってはどうでもいいことなのだが、それぞれの見方が組み合わさると共存のテーマが浮かび上がってきてほしいのである。
登場人物はテーマを語らない。あるがままに存在している。『X爆誕』の場合は、アクションアドベンチャーをしている。
でも、組み合わさるとなんとなくテーマが全体から感じられるようにしたかった。
こういう構造の作品は、過去にいくつかある。僕個人は好きであるが、この構造が難しいことも確かだ。
作家の目線がひとつでなく、複眼で見る必要も出てくるからだ。
実写映画だが、ロバート・アルトマン(故人)という監督の映画は、この種の映画を作るのが好きだ。
失敗作も多いが、成功すると大傑作になる。
傑作と呼ばれる作品がいくつもあるが、僕は「ナッシュビル」という映画が好きだ。
たまたま大統領候補暗殺事件の起こる音楽祭に集まってしまった様々な人々(それぞれにあまり関係はない)の様々な様子を描いた映画だ。
残念ながら、まだ日本ではDVDになっていないようだ。
同種の同じ監督の映画はいくつもDVDでレンタルできる。
この人のよくできた作品は、これといった主役はいないが、大勢出てくる登場人物のキャラクターがそれぞれ光るから、優秀な俳優が出たがることでも有名だった。出番が少なくて、それで自分の演じる役が印象に残るのだから、役者冥利に尽きるのだろう。
『ポケモン』映画でいえば、『ミュウツーの逆襲』は、煎じつめれば自己存在をテーマにした個人の戦いである。
一方、『X爆誕』は、いろいろな思惑がごちゃごちゃ集まって、共存というテーマを感じさせるようにしたかった。
最初から狙ったわけではないし、それがうまくいったかどうかも自信はない……いや、すこしあるけれど。
これは、Xというポケモンをオスにしたことで、僕の中に出てきた矛盾を緩和するために、酒の勢いと、打ち寄せる海の波の勢いで思いついたことである。
打ち寄せる個々の波頭には共通の意識はない。しかし、風次第で、波全体に共通の意識があるように見える。
余計なことだが、そんな波に目玉をつけて意識があるように見せて、そして、全員そろって「やったれ!」みたいなワグナー調の音楽でいっせいに動くアニメを見せられると、僕は感覚的に困ってしまう。
話を元に戻して、いわばアルトマン風ともいえる複眼構造だと、登場するX以外のそれぞれの登場人物がかなりうまく描かれなくてはならない。
しかも、それぞれ出番は多くない。
そして、もちろん共存なんて共通のテーマは、意識していない。
意識しているとしたら、「私は出てこないほうがよかったかもしれない」と言う、Xぐらいだろう。
僕は、X以外の登場人物をもう一度、検討してみる必要を感じた。
で、これが結構手間がかかった。
主人公のサトシは、世界を救う目的など持っていない。目指すのはポケモンマスターである。本来のお調子者で、行きがかり上がんばっちゃっただけである。
なんとなく、カスミ以外の女の子、巫女フルーラの存在も気になるし……。
で、サトシは、父親が不在である。父親を知らない。母親に育てられた子である。
それだけに父親に対する憧れに近い理想的な幻想がある。Xの声が父親の声に聞こえてもいい。
カスミがサトシと一緒にいるのは、TV版の初回に自転車を壊され、その弁償をさせたいのが理由である。
しかし、自転車の弁償だけで、サトシとここまで行動を一緒にするだろうか?
サトシは、カスミに鈍感でありすぎ、あまりに子供だから、カスミは放っておけない。
そんなところに、ライバルとおぼしきフルーラが登場する。
フルーラにとってサトシはほとんどどうでもいい存在だが、カスミにとってフルーラは、かなり気になる存在である。
フルーラが現れることによって、カスミの中にいつもは意識していなかった困った感情が芽生え始める。
どっちにしても、カスミにとって世界を救うなどという大袈裟な意識はない。
そして、ピカチュウ……TVシリーズではうまく描かれていないのだが、本来、人間の言うことをきかないポケモンである。
ポケモン進化の法則に逆らい、進化系のライチュウにならず、ポケモンボールにも入らない。
かといって、野生のポケモンにもなれない。
人間の指示どおり動いたりすること……まして、ポケモンをコレクションにするジラルダンのことは我慢できないはずだ。
タケシにも、彼なりの旅の理由があるのだが、『X爆誕』には、製作サイドの都合で出てこない。
出てきたら、この映画に出てくる女性船長さんやフルーラのお姉さんとひと騒ぎ起こすだろう。
共存も世界を救うも、人に言われればその気になるけれど、実はあまり意識にないのである。
その他、登場人物の見直しにはかなり苦労した。
だが、苦労しないで、まんま光ってくれたのが、ロケット団のムサシ、コジロウ、ニャースである。
本来このトリオは、もっとシリーズの後で真価を発揮してもらうつもりのキャラクターだった。
僕としては、『ポケモン』の登場人物の中で、一番しっかりと性格を作ったキャラクターだった。
『ポケモン』アニメ全体のテーマを語るときに、最も活躍してもらう主役のつもりだった。
しかし、他のレギュラーキャラクターが目立とうとしている時に、目立たない脇役で甘んじているわけにはいかなかった。
僕としては、心ならずも活躍してもらうしかない。
で、結局、案の定、一番目立って、台詞にこそださないが、『X爆誕』のテーマまで表現してしまった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
不景気のせいか、僕にとっては他人事のようだった脚本著作権無視が、僕が昔、書いた作品にも影響をしだしているようだ。
プロデューサーが世代交代してきたせいか、買い取り契約などしていない作品まで、買い取ったつもりでいる制作会社が出だしている。
それらの作品が、スタッフがどれほど熱意と情熱を込めて作られたか、そのころの事情を知らないで、過去のヒットの実績に頼っている。
で、安易に昔以下の待遇でスタッフを集めリメイクしようとして……おそらく失敗するだろう。
この情報化時代……待遇の悪い会社のうわさはすぐに広まり、すぐれた作品を作ることのできる優秀で可能性のあるスタッフは逃げていく。
僕としてはしばらく様子を見ていようと思う。
一方、目先の利くというか頭のいい制作会社は、この時とばかり逃げてきた才能を集め、可能性のある新人を育てようとする。
時代に合った工夫もする。
10年以上昔に、僕には脱力系、植物系、妄想系のシンボルとしか思えなかったが、それでもその時代にフィットしてヒットしたアニメのリメイクが、今の時代にヒットしているのは、それなりに現代を見つめ工夫したというか、改良? 改新する努力をしているからだろう。
これは、努力というより、才能であり、バックアップする制作会社の有能さもあるだろう。
ところで、アニメをほとんど見ない中学生の娘が「良家の子女のたしなみ」として(これ、昨年暮れに上映された「K20」……ちなみに女性監督作品……のヒロインの決め台詞。このヒロイン、『ルパン』のクラリスに似ているようでかなり違う)、京都アニメーションの名前を知っているのに驚いた。
同じ会社でヒットしている『ハルヒ』と『けいおん!』の違いを聞いたら、『ハルヒ』は、女の子がいかにもパターンで、偉そうな口をきいているくせになにもできない男の子が面倒くさいんだそうで、原作も面白くないしアニメも1回見たらもう結構なんだそうである。
『ハルヒ』って、いろいろ工夫しているアニメだと思うが、いまどきの女子中学生には通用しないのかなあ。
SFチックな設定も戯言にしか見えないらしい。
そうか、戯言かあ……。
今、実写映画にしろアニメにしろ、女性のクリエーターが面白くて元気なのは確かなのだが……。
つづく
■第195回へ続く
(09.08.12)
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