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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第201回 ごめんなさい。忘れてた。カスミのこと

 『ルギア爆誕』で、ロケット団トリオを際立たせるためには、出番の少ない他の登場人物もそれぞれの自分らしさをしっかり描かなければならない。
 準備は整った気がしたが、念には念を入れようと、もう一度、登場人物たちを見直してみた。
 結果、重要な登場人物の描き方が弱いことに気がつき、いささかあわてた。
 それはサトシとともに旅をしている主役クラスのカスミだった。
 なぜ、カスミは、主人公サトシとともに旅をしているのか。以前も書いたが、カスミの台詞に「私の行きたいところにたまたまサトシがいるだけ」という答えがある。『ルギア爆誕』のゲスト、フルーラから挑発的に「あなた、サトシのガールフレンドなの? 趣味悪いわね」という意味の台詞――これは、『ルギア爆誕』におけるカスミという存在への挑発でもある――への、いわば、売り言葉に買い言葉的な台詞である。
 「私の行きたいところにたまたまサトシがいるだけ」という台詞の裏に、カスミ自身も気がついていないサトシへの恋愛感情が隠されていると感じていただく方々もいるが、それは、僕がカスミの存在感を目立たせるために用意したフェイク(ひっかけ)シーンである。
 カスミはサトシに対して、恋愛感情など持っていない。カスミの持つサトシへの恋愛感情が『ポケモン』のテーマの一つになると、『ポケモン』というシリーズの全体構造が壊れてしまうのである。
 『ポケモン』のテーマは、ポケモンという架空の生物と人間のかかわり、そして、サトシという少年(これはすべての人間の少年少女期を意味する)のよきにしろ悪しきにしろ大人への成長である。少なくとも僕が『ポケモン』のシリーズ構成を引き受けたときに、直感的に決めたテーマがそれだった。
 『ポケモン』の重要なテーマは、いわゆる「スタンド・バイ・ミー」にすることは、すでにこのコラムで述べた。
 人間はいやでも歳をとって大人になるというのは、極めて普遍的な人間のテーマで、僕自身『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のエピソードで、何度も取り上げている。
 『ポケモン』では、そのテーマに、架空生物ポケモンとの関わりが最重要テーマとして加わる。
 子供であるサトシには、ピカチュウという盤石の相手がいる。
 仮にカスミにサトシに対する恋愛感情が芽生えたとしても、サトシとピカチュウの関係には割り込めない。
 カスミの中にサトシへの幼い恋愛感情が芽生えたとしても、それを描けば、『ポケモン』は別のテーマを内蔵してしまい、基本的なテーマが、ややこしくなるばかりか希薄になってしまう。
 『ポケモン』において、カスミに恋愛感情があったとしても、それは料理の薬味程度の意味しかもたないし、『ポケモン』のテーマに、味を複雑にする薬味ははっきりいって邪魔ですらある。
 そもそも、カスミというキャラクターには、サトシに恋愛感情をいだく要素がない。
 確かにカスミは恋に恋する年齢ではあろうが、『ポケモン』は少女マンガでもケータイ小説でもない。
 『ポケモン』というアニメシリーズにおいて、主要人物の中で最も存在感が希薄なのはカスミだったのである。
 もともと、『ポケモン』アニメの企画時に、男の子とポケモンだけでは殺風景で女の子の視聴者を取り込みにくいから――という理由で、サトシの旅の仲間として加えたキャラクターなのである。
 料理におけるパセリのような存在である。あってもなくてもいいが、あった方が見栄えがいい。
 たまに、料理についてくるパセリが好きな人がいるが、少数のもの好きである。
 おまけに僕がシリーズ構成をしていた初期の『ポケモン』の脚本家陣は、全員男性だったから、カスミのキャラクターが個性的に描けていない。
 少女の移ろいやすい微妙な機微が描けていればいいのだが、現実に登場するカスミは、ステロタイプのおてんば娘でしかない。
 出番は少なくても、『ポケモン』のテーマを語る本当の主役は我々だ……と、自覚しているロケット団トリオ(僕自身も声優さんにそう言ったし、声優さんたちもすでに理解していて、ロケット団トリオが最初に登場した時から、彼らの「なんだかんだといわれたら……」の口上を暗記していて――恥ずかしながら口上を書いた僕すら暗記まではしていなかった――この口上を絶対に流行させてみせると意気込んでいたのは、以前このコラムに書いたと思う)とは違う。
 出だしから『ポケモン』アニメにおける存在感は、ロケット団トリオのほうが主役級のカスミのはるか上だったのである。
 事実、最初に僕が考えていた『ポケモン』アニメは、ロケット団トリオが、大人になるサトシを追い抜いて「ポケモン世界」の永遠の主役になるラストのつもりだった。
 カスミの事に話を戻そう。
 僕自身は、『ポケモン』アニメ開始当初から、カスミの存在感の薄さが気になっていた。
 だから、僕が書いた脚本の中では、小手先ではあったかもしれないが、かなりカスミの存在感に気を使った。
 台詞もカスミならではの感情を持たせようとした。
 そもそも、『ポケモン』アニメの初期設定は、僕に大きな責任がある。
 カスミの存在感を高めようとするのは人情である。
 『ポケモン』は、外国に東洋人の顔の細目は受けないだろうという理由で、主役級のタケシの交代劇を行ったアニメである。結局、外国にもタケシが受けていることが分かり、アニメに戻ってきたのは御承知のとおりである。
 番組が長く続き、視聴率が落ち目になりだすと、強化という名目で主役級や敵役の交代劇が行われる。
 主役級の交代となると、一番危険性の高いのが存在感の薄いカスミだった。
 僕は、カスミを代えたくはなかった。そのためには、魅力的な個性、存在感が必要だった。
 努力はしたが、僕にとっては、ロケット団トリオの存在感のほうが重要だった。
 ロケット団トリオは声優さんたちの実力もあって、彼らは充分な存在感を持ち、交代を許さなかった。
 僕が『ポケモン』の脚本を書かなくなってから10年近く経ってもロケット団トリオは、しっかり存在している。
 たまに、何のために登場しているのか分からないエピソードもあるようだが、もはやロケット団トリオの出てこない『ポケモン』は、『ポケモン』ではない。そう言い切れる域にまで達している。『ポケモン』のランドマークのような存在である。
 別の敵役が登場しても、ロケット団トリオはびくともしない。ロケット団トリオに交代はありえないのだ。
 カスミにとって申し訳なかったのは、僕がロケット団トリオを最重要視したこと。そして、これは、僕個人の偏った考えにすぎないかもしれないが、ポケモンアニメ制作の上層クラス並びに脚本陣のほとんどが男性だったことである。
 この業界の男性は、女性の魅力に色々目移りしがちだが、女性の魅力を引き出すことが苦手である(これ、僕の独断と偏見)。実際、僕の限られた経験によると、この業界の多くの人は、女性を口説くのが呆れるほど下手である。で、僕の持論だが、女性を口説くコツは、相手の女性の魅力を引き出し、それをほめることである。
 余談だが、女性を口説くなら、自分の持っている妙な理屈を言って相手の気を引くより、「あなたはきれいだ」または「あなたは美しい」を100回連呼した方が効率がいい。
 もちろん、相手の女性のきれいな部分、きれいになってほしい部分を分かっていなければ話にならないが……。すると、これも僕の独断だが、実際に相手の女性も美しくなっていくのである。
 相手を美しいと言っている男性も、言われている女性も、自己暗示にかかってしまっているからと言われれば、返す言葉もないが……。
 これは、脚本で魅力のある女性を描くときのコツでもある。
 で、これも余談だが、男性の脚本家や監督の作る最近の映画やドラマやアニメは、女性に驚くほど魅力がない。
 魅力があるように見えても、それは、女優の外見や演技力や存在感に頼っている。
 たまに魅力のある女性が描かれている作品に出会うと、監督や脚本家が女性だったりする。
 つまり、女性の方が同性の女性の魅力が分かり、その魅力を引き出すのが上手だということだ。
 じゃあ、男性の監督や脚本家は、魅力的な男性を描くのがうまいかというと、そうでもない。
 どこかゆがんだ、あまり友達としてつきあいたくない男性像ばかり登場してくる。
 昔は、女性の魅力を引き出すのがうまい男性の監督や脚本家がいたのだが、今時は、いったいどうなってしまったのだろう。
 余談がすぎたが、ポケモンのカスミを魅力的に描けなかったのは、基本的にシリーズ構成の僕の責任である。
 どうにかしようと思って『ミュウツーの逆襲』では、サトシの「どうしてここにいるんだろう?」の問いに対して、「存在しているから存在している。それでいい」という意味の、この作品のテーマを語らせてもみたが、ラストシーンのロケット団トリオの「なんだかとってもいい感じ〜」の台詞で、カスミの存在は吹っ飛んでしまった。
 『ルギア爆誕』では、海でおぼれたサトシを助けるシーンを用意した。
 サトシを人工呼吸で蘇生させるのだが、実はこのシーン、脚本でのカスミは、息をしていないサトシの胸を何度もぶんなぐるのである。
 ここで、サトシに死なれたら、わたしの『ポケモン』における存在位置はなんなのよ――サトシに生きていてほしいという愛ではなく、サトシに死なれて、自分の存在がより希薄になることへの怒りがこもっている、というつもりだった。
 このシーン、外国では暴力シーンに誤解される恐れがあるという上層部の考えで、ぶんなぐりは消されてしまった。
 カスミの怒りの見えないそのシーンは、サトシの命を助けようとして必死になっているカスミの愛情表現に見えかねないシーンになってしまった。しかし、それでは、ごく普通のステロタイプの女の子でしかない。
 個性的なキャラクターで埋め尽くそうとした『ルギア爆誕』のなかで、カスミはごく普通の女の子になってしまった。
 その後、『ポケモン』が新シリーズになり、カスミは他の女の子に交代した。
 しかし、代わりに出てきた女の子たちが、カスミ以上に魅力的かどうかは、僕のあずかり知らぬところである。
 僕がシリーズ構成として関わった『ポケモン』で申し訳ないと思っている事のひとつが、カスミの魅力を引き出せなかったことである。
 声優さんにも気の毒だったが、他の方たちから「首藤という脚本家は女の子を書くのがうまい」と言われていた僕だけに、『ポケモン』のカスミは、かなり僕にとってもイタイ存在だった。
 あ、カスミのことを思い出していたら、『ルギア爆誕』の話が今回で終わらなくなった。
 「何でも書いてなさいよ。どうせ、トリは私たちなんだから……」ロケット団トリオの声が聞こえてくる。
 アニメスタイルの編集の方からも「早く『ルギア爆誕』の話の先にいきましょう」と言われているだけに申し訳ない。
 次回こそ『ルギア爆誕』におけるロケット団トリオの立ち位置と彼らの意識の話を書きますのでお許しください。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 ここ1週間は、ほとんど仕事場にひきこもって資料の整理をしている。
 とはいえ、外出をしていないわけではない。
 近くの大学病院に通院するついでに、タクシーで渋谷の街に出て、相変わらず映画を見ている。
 そして、レンタルショップTSUTAYAで劇場未公開だが話題になっているDVDを借りてくる。
 いつもは歩いていける距離なのに、タクシー利用はなんとも情けない。
 で、なんだかくたびれ果てながら、びっくり仰天で目が点になった映画を見た。
 「天使の恋」、ケータイ小説の映画化である。
 典型的ケータイ小説だから、援助交際、いじめ、余命数年、強姦、妊娠、同性愛、自殺、年齢差純愛、はやりの歴女……なんでもありである。
 これを、若い女の子がケータイで読んでいると思うと、日本は終わりだと実感してしまう。
 その映画化だから、脚本なんてあってないようなもんである。脚本だけ読んだら、即、ゴミ箱行きである。
 ところが、病気のおじさん、けっこう、にこにこ見てしまったのである。
 主人公の女の子が、めちゃくちゃ可愛いというか美人なのである。どんなにひどいストーリーだろうと許したくなる。
 演技は演技と呼べない下手さである。
 もっとも、これで演技がうまかったら、逆に気持ちが悪いかもしれない。
 演出もすごい。20代の女性監督だそうだが、100年前ぐらいのいさぎよい少女マンガ演出である。
 照れるのも照れくさいぐらい、どうどうと少女趣味演出をしてくれている。
 人は見た目が100%を地でいったような主人公と、思わず「かーいい」といいたい演出。
 見とれているだけで、あっという間に終わってしまった。
 で、同じビルで「ヴィヨンの妻」を上映していた。
 太宰治原作である。太宰文学だからしょうもない話である。
 終戦後の話だが、まるでケータイ小説のような内容である。
 だが、こっちは、外国で映画賞をとった映画である。
 ベテラン脚本家の脚本はがっちりできているような感じだし。演出もしっかり。松たか子さんをはじめ俳優がそろって名演。「天使の恋」の主役の女の子に比べたら、大根畑の華のような広末さんですら名女優に見える。
 けれどである。
 「天使の恋」を見た後だと、この作品の俳優たちの演技が全部芝居っぽく見える。演技がうまいゆえに嘘っぽいのである。
 「天使の恋」では許せるでたらめさが、「ヴィヨンの妻」ではかなり引っかかる。
 松たか子さん、夫にひどいことをされながら、なぜか他の男からはもてもてである。
 松たかこさんのもてもてぶりは、「天使の恋」の主人公も真っ青である。
 ありえないと感じてしまう。
 松さんは夫に心中未遂された現場に行き、残された自殺用の睡眠薬を飲もうとする。
 なぜ、睡眠薬が残っているのだろう。警察は現場検証しないのか……。
 つまり、脚本における説明不足が気になってしかたないのである。
 「天使の恋」での脚本のでたらめはニコニコで、「ヴィヨンの妻」の脚本には渋い顔になってしまう。
 太宰にしろケータイ小説にしろ、性格破綻者の、めちゃくちゃ話である。
 どっちが面白いかと言えば、僕は「天使の恋」を取る。
 この2本の映画に関して、脚本の優劣は作品に機能していない。
 脚本ってなんだ? いささか考え込んでしまった。
 いずれにしても、劇場で見る映画がこの2本で最後にはしたくないと思った。
   つづく
 


■第202回へ続く

(09.11.11)

 
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