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第217回 病室の妄想病悪化? 『ポケモン』の世界で一番って?
その頃の入院中の僕の精神状態が少し変なのは、自覚してもいた。
僕は病院の個室の中で、とりとめもなくいろいろなことを考えていた。
つきつめれば「自分はこれからどう生きるか?」である。
いいおじさんになって、「自分はどう生きたらいいのか?」などと考えるのは青臭くて、手遅れ状態である。
まして、40歳半ばでひと回り年下の女性と結婚して、5歳に満たない幼い子供もいる状態である。
人生の半分は完全に通り過ぎてしまっている。
まれに超高齢者で創作活動を続けている方もいらっしゃるが、僕には無理だと思っている。
20代の時は、ものを書いて気楽に生きていけるのは、奇跡的なラッキーが続いても僕には50歳が限界だと思っていた。
それまでに表現したいものを書けたかどうかは、ほとんど確実に「?」だが、ともかく、生まれてからそれぐらいの年月はたってしまった。
あとの人生はおまけで、どこかの山奥にこもって浮世離れした仙人もどきの暮らしをして、世界を達観しつつのんびり死ぬのを待とうかとも、若いころの僕は考えてえいたのである。
それが無理なら、都会の公園でホームレスとして、迷惑をかけないように死体処理の費用ぐらいは持っていて野垂れ死。
ところが現実は違う。
達観というのが難しいというか面倒くさいというか……。
映画版の『ポケモン』にしたって、
自己存在?――わかっちゃいない。
共存?――無理だろう。
生きている世界とは何?――知るか。
脚本を書いた本人が、このありさまである。
残念なことに、僕は自分が信じ自分を納得させる宗教も哲学も持ち合わせていない。
なぜ自分が生きているかへの探究心もない。
あるとしたら、生きている世界への極めて薄く広い好奇心だけである。
広い好奇心と言っても、もともと不勉強だから自分の経験や体験から生じる好奇心にすぎない。
それでも、そんな好奇心から生まれた様々なアイデアやテーマは山のように溜まり、全部、自分が納得できる終わりを見つけ出していない。少しの作品以外は、みんな模索中である。
たとえば『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のテーマは、誰のものでもない自分自身の夢をかなえよう……のつもりである。
しかし、僕自身の夢が自分自身にも分かっていないから、誰のものでもないあなた自身の夢をかなえよう……という提案になる。
あなたは僕ではない。現実に生きている人間であるあなたである。
まあ、少なくとも生きているあなたであって、死んでしまっては、夢なんか見ることはできない。……と僕は思っている。僕は、死後の極楽地獄、輪廻転生、最後の審判、等々の宗教的感性(?)は持ち合わせていないようなのである。
だから、現在、生きているあなたの夢をかなえませんか、であり、僕はあなたを知らないから、まあ、いろいろあってもいいんじゃない、ええだば、ええだば、になる。
だが、それでは無責任な気がするから、僕なりの物語としての『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の結末は考える。
これがとても面倒くさい。でもまあ作品である以上、それを見て、読んで、何かを感じる相手がいるだろう。
その人たちは、キツネにだまされたように感じるかもしれないが、とりあえず『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という物語の終わりは思いついている。それが、3代目『ミンキーモモ』になる予定だった。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』といえば、よく引き合いに出される哲学的(?)児童文学の「モモ」というエンデという人の小説(時間泥棒との戦いを描いたこの作品を初代『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の頃、僕は知らなかった)があるが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、「モモ」よりも、同じ作家の虚無との戦いを描いた「はてしない物語(ネバー・エンディング・ストーリー)」に近いかもしれない。
エンデは、この作品の後、僕の知る限り、わずかしか児童文学風のものは書いていない。
「はてしない物語」を書いてしまったら、次回作が書けなくなることは、僕にもなんとなくわかる気がする。
だが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』には一応、楽観的な終わりがある。
それを見つめるのは、楽しいが、とても面倒くさくもあった。
僕が書くものは、思いつきが身近かだから、アイデアやテーマは一瞬だが、大風呂敷を広げすぎて、収拾が難しいものが多い。
僕は何の思想性も持ちあわせていない。だが、たまたま、1970年近辺の学生運動が、20代前後にあったから、「そもそも、共産主義、社会主義ってなんなのさ」から思いついて、子供でも面白く見られるように書いたつもりのアニメ脚本が『巴里のイザベル』という、ほとんど知られていないアニメ作品だ。これまでも触れたように、世界最初にして最後の労働者革命と言われることもあるパリ・コミューン(知らない方はネットで概略を……別に知らなくてもいいけれど)を背景にしていて(実在した人物、マルクスらしき人物も出てくる)、いいかげんに数冊の関連書物を調べて書いた。
作品が放送された後で、「パリ燃ゆ」という故・大佛次郎氏のパリ・コミューンについて書いたノンフィクション大作があることを知ってあわてたが、それこそ後の祭り……アニメとは全然アプローチの仕方が違う大作だから、比較するほうが馬鹿みたいだが、僕が参考として使うには欠かせない作品だったはずである。若気の至りというよりも、不勉強の極みである。
で、アニメ『巴里のイザベル』はパリ・コミューンの最後の戦いがラストだが(最後の戦闘が行われたパリのペール・ラシェーズ墓地には、20代の時、何度か通った)、本当は、大人向けの小説にして、続編を続け、ロシア革命で共産主義、社会主義の限界を予測するという大風呂敷を広げた作品にするつもりだった。
ところが、だらだらしているうちに、あれよあれよと言う間に、東西ドイツの壁がなくなりソ連が崩壊してしまった。
いまさら共産主義や社会主義の限界など書いても、証文の出し遅れである。
数年前、ペール・ラシェーズ墓地に行ったが、パリ・コミューンの戦士たちが銃殺された壁の前に供えられた花束の数は、20代に訪れた頃に比べ、極端に少なかった。
時代は、どんどん移り変わっているのである。
別に思想小説を書く気は最初からないから、パリ・コミューンからロシア革命までを、1人の女性を通して描く手法は、今でも可能だろうが、次々と明らかにされていく事実を調べ、フイクションと混ぜ合わせる体力も気力もない。
僕の書いていない作品(書いていないから作品とはいえないのだが)は、そんなのばかりである。
そのくせいろいろな経験や体験はしてきたから、新しいアイデアやテーマは増える一方である。
18年も住んでいる小田原に関わる話もまだ何も書いていない。
ネタは山ほど転がっているのに……。
小田原の病院の天井を見ながら、「俺って何にもやってないなあ」と、どんどん、気分がマイナーになっていく。
ついでといっては家族に失礼だが、30代から40代前半の僕は、まるで結婚や子供など考えていなかった。
それが、50代間近かの僕にはいる。
若いころに子供のできた知人には、孫のいる人もまれにいる。
本来なら自分の家族を守る姿勢にとっくになっている年齢である。
「これでいいのか……これでいいのか……これでいいのか」の繰り返しである。
精神状態が、落ち込んでくると他のことまで気になってくる。
今このコラムは、『ポケモン』を話題にして書いている。
「僕は物書きです」というと、必ず帰ってくる問いが「今、何をお書きですか?」である。
相手が知らない作品を言っても分からないだろうから、「ポケモンとか……」というと、相手の反応は、「子供が夢中ですよ」はいいとして、いささか品のない表現をすると「わあ、儲かっているんですね」である。
「面白いアニメですね」「いいアニメ」ですね、の評価は少ない。
その評価は日本では絶大な人気を誇る国民的アニメ作家の作品群に向けられている。
事実、その方の所属している制作会社のアニメのクオリティは高いし、本場のアカデミー賞もとっているし、毎年の日本映画の中では、図抜けたヒットである。劇場版『ポケモン』が日本映画のアニメ映画のトップになるのは、日本で国民的アニメが上映されていない年である。
確かに『ポケモン』は制作体制のしっかりた大プロジェクトだから、他の作品よりは収入は多い。特にしっかりと出してくれる脚本印税収入は、貧乏物書きとしては仰天するぐらいである。
『ポケモン』を書いている脚本家の誰かが、思わず「僕たち勝ち組ですね」と言ったぐらいだ。
しかし、皆さんが知る『ポケモン』は、アニメ、グッズ、ゲーム、大々的なPRによる総合的な大ヒットである。
『ポケモン』の脚本家の得る収入は、アニメの脚本が関わる部分でしかない。「ポケモン」ヒットの一部分である。
一般の方の連想する『ポケモン』全体の儲けと、脚本家の収入は、かなり、いや相当誤差があるのである。
『ポケモン』の脚本家が「ポケモン」全体のヒットの恩恵にあずかったことはまぎれもない事実である。
けれども、精神的にマイナー状態の僕は、「ポケモン」=「もうかっている」の図式的、評価がひっかかってしょうがない。
「ポケモン」ヒットは、「ポケモン」に関わる様々な人たちの、その人たちの立場の努力の集合である。
『ポケモン』アニメの脚本家が、言われて嬉しいのは、「あのアニメ、よかったですよ」「あのアニメ、面白かったですよ」のはずである。「儲かってますね」ではないと僕は思う。
自分の関わった作品に、自分で突っ込みを入れだすのは、精神的にドつぼにはまりつつある徴候である。
本来、素直に喜んでいればいいのである。しかし、そうは思えなくなってくる。
たとえば、映画第1弾『ミュウツーの逆襲』は実写、アニメを通して世界で一番ヒットした日本映画である。2位も映画第2弾。3位は別の映画だが、4位はまたまた『ポケモン』映画弟3弾、5位に日本で一番ヒットした国民的アニメが入っている。
僕自身もうれしそうにいろいろなところで、そのことを書いたり、しゃべったりしている。
でも、そうしながらも、僕のマイナーな部分はどこかでそれでいいのかと思う時があった。
ひっかかるのは世界で一番の「世界」の部分である。
世界とは、欧米、特にアメリカである。アジア、中東、アフリカは計算に入っていない。
『ポケモン』が中東でヒットした話は聞かない。
むしろ、『ポケモン』アニメを非難している。
世界の映画産業は、アメリカを中心に動いている。
世界で一番映画が多く作られている国は、アメリカである。
ご存知の方も多いだろうが、世界で2番目に多く映画が作られているのはインドである。
そして、3番目は、なんと、ナイジェリア……アフリカの国である。
映画が作られている本数が多いということは、観客が多いということでもある。
そして、それらの国々は、欧米とは違う宗教観世界観をもっている国々である。
「世界」でヒットしたといっても、その「世界」は、本当の世界の半分にも満たない「世界」なのだ。
世界の半分以上で、ポケモンは支持されていない。
大まかな理由は、分かるような気がしていた。
しかし、精神的にマイナーな状態では、それが気になってしょうがない。
気にしてもどうしようもないことなのだが、どんどんそんな気持ちが大きくなってくる。
やっぱり、僕は病んでいたのである。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
小田原に行ってきた。文学館で開かれる、ほかのイベントにも参加しろというのである。
桜の季節を間近にして、様々なイベントが企画されているが、小田原文学館の僕の展示は、その中のささやかな企画のひとつにすぎない。
この文学館の本来の見ものは併設された北原白秋の家である。
いくら21世紀に生きる若い人でも、北原白秋の数多い童謡を聞いたことのない人はいないだろう。
こっちのほうが本命だから、お見逃しのなきよう。
ところで僕の展示物だが、僕が選んだものでなく、図書館の方に選んでいただいたものである。
個人的には、うひゃー、これを選んだの? というものもある。
たとえば、いのまたむつみさんの描かれた不思議なキスマーク入りの色紙――『ゴーショーグン』のブンドルのような人物が描かれているが、あれは僕の似顔絵である。もちろん、ご本人は冗談で描いてくださったのだろうが、キスマークについては……まあいいや。
それぞれの展示品にいろいろな思い出がある。
展示されているのは、図書館に収蔵されているものの1/20ほどである。
代表作だけというわけでもない。
もっとイラストやフィギュア、ポスターの原画、セル画なども展示していただきたかったが、文学館の性格上、オタク的趣味だけにも走れなかったのだろう。
比較的、内容の真面目な脚本が並んでいる。
原稿用紙に万年筆で書いた原稿なんて、今の僕は書けないなあ。
脚本は展示されているだけで中身は読めないので、じっくり中身を閲覧希望の方は、小田原市立図書館に、希望する3日ぐらい前に電話してほしい。展示物以外のものももちろん閲覧可能だ。
図書館に所蔵されたもののリストは、図書館のホームページからダウンロードできる。
なお、文学館で展示されなかったもののいくつかは、3月27日、小田原ダイナシティウエスト(小田原駅の隣、JR鴨宮駅が近い)で開かれる、小田原スタイルEXPO2010というイベントでも展示される。
桜と小田原城をメインに、小田原は必死に頑張っているようだ。
とても残念なのは、小田原駅を出るとせっかく小田原城が見えるのに、その視界に入る手前のビルに、金融会社レイクのおおきな看板があって、小田原城がレイクの宣伝のようなのだが、これは気にしないでほしい。駅前の地図どおり、10分も歩けば、桜と広大な城の世界が待っている。
なお、小田原の海と魚料理と桜もついでに楽しみたい方は、辺鄙を絵にかいたようなJR早川駅(小田原の隣)から、早川の橋を渡り小田原駅に歩いていくコースがある。その途中、桜並木の途中に文学館、そして小田原城が見えてくる。僕は、このコースがお勧め。
以上、今回、小田原の客寄せパンダならぬ客が敬遠するかもしれないアニメおじさんに徹してみた。なにせ、18年もいたし、いい街であることは確かなので……。
僕とはお会いしただけの関係ですが、ガンダム先生の故郷であり、1泊すれば、これも僕とは関わりないけれど、小田原、箱根、芦ノ湖というエヴァンゲリオンコースも可能。
あ、不景気の折、薪を担いでお勉強の二宮金次郎の里でもある。ついでながら。
つづく
■第218回へ続く
(10.03.24)
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