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第221回 ニューヨークのポケモン
しばらく、体調不全で休載状態だったが、続きを始めようと思う。
思い出していただけるなら、劇場版『ポケモン』第3作の脚本1稿を書き上げた後――決定稿は、他の脚本家の方にいわゆる直しをお願いしたものである――ニューヨークに行った時の頃のことだ。
今から、ほぼ10年ほど前、まだ、貿易センタービルがあった頃である。
一般的にテロという名で、貿易センタービルが破壊され、その日から、明らかにアメリカが変わった、その直前という時期にあたる。
もちろん、そんなことは予想できるはずもなく、僕の目的は、世界で一番(正確には欧米で)ヒットした日本映画『ポケモン・ファーストムービー』(つまり、『ミュウツーの逆襲』)が、アメリカで実際はどう受け止められているか知ることにあった。
同行した妻や、その妹にとっては『ポケモン』はどうでもいい。
彼女たちの目的は、いわゆるニューヨーク観光とウィンドーショッピングである。
したがって、僕と『ポケモン』に関心を持ちそうな当時5歳の娘と、妻とその妹のニューヨークでの見どころは違ってくる。
僕にとっては、とりあえず『ポケモン』である。
『ミュウツーの逆襲』のニューヨークでの映画公開はとっくに終わっており、僕の知る限り、日本で聞くほどニューヨークの街にポケモンブームらしきものは、見当たらない。
で、ニューヨークで一番大きいという玩具専門の店に行ってみた。
東京・原宿のキディランドを、数倍大きくしたような店である。
地図を頼りに行ってみた僕と娘の前に、店を取り囲むような大きな宣伝用の壁があった。
それを見た僕と娘は、思わず「あ〜らら?」となった。
その壁に描かれた宣伝は『ポケモン』ではなく、『デジモン』だった。
どうやら、『ポケモン』の成功を追いかけ、『デジモン』が玩具やゲームで大攻勢を仕掛けていたようだ。
少なくとも、玩具専門店の外側は、『デジモン』一色だった。
いささか白けたが、どちらも日本発信のものである。
しかたないから、『デジモン』の看板の前で、僕と娘の記念写真を撮った。
だから、僕のアルバムには、僕が全く関わっていない『デジモン』の壁の前で、Vサインをしている僕と娘が写っている写真が貼ってある。
ま、いいか……である。
しかし、この『デジモン』の宣伝、いささか関係業者があせりすぎたものだったようだ。
なぜなら、肝心の玩具専門店の中に『デジモン』関係のものは、ほとんど見当たらなかったからだ。
その玩具専門店、世界中の人気キャラクターがそろっていた。
その玩具店やホテルのTVを見れば「テレタビーズ」がかなり目立っていて、僕も好きだが、その後、渋谷のセンター街を歩くとテーマ曲が流れていたから、かなり日本でも流行したようだ。
ディズニー系が少ないようだったが、東京の渋谷にディズニーキャラクター専門店があるように、ニューヨークにもディズニー専門店があるのだろう……確かめたわけではないが、ディズニーランドの本場、アメリカである。ニューヨークに専門店がないはずがないと思う。
で、『ポケモン』は……見当たらないと思ってちょっと困ったが、店員に聞いたらすぐ教えてくれた。
なんと、数階建てある玩具店のワンフロアの一角を占領した『ポケモン』売り場があったのである。
そこはもう、『ポケモン』グッズだらけで、しかも客がごったがえしていた。
『ポケモン』は、しっかり、ニューヨークに根づいていたのである。
『デジモン』の食い込む余地はなさそうだった。
日本でも『デジモン』は、『ポケモン』に追いつけなかったようだ。
もっとも、アニメとしての『デジモン』からは、優れたアニメ作家が出てきたことを我々はすでに知っている。
余談に近いが、今もこの手のアニメの本家ともいえる『ポケモン』は暖簾を守り、その実績も続いている。
アニメにおいて欧米での成績は落ち込んだが――その理由が僕にはわかる気がする――日本での実績がこれだけ続いていれば、それはそれで十分であり、立派である。
が、新しい才能を生み出せたかと言えば……僕から見れば後追いの『デジモン』の方が、失敗を恐れずいろいろ、挑戦ができるだけ有利な気がする。
今年、新たにアニメの『デジモン』が再出発するらしいが、頑張ってほしいと思う。
それを受けて『ポケモン』も頑張るだろうし……。
少なくとも、過去の実績を懐かしんで、わけもわからず姿だけ真似て、せっかく猿が人間になったのを、また猿に戻るような先祖がえりの愚をおかしている某魔女っ子もののようなことにはならないだろう。
10年ほど前のニューヨークの僕に戻ろう。
ニューヨークの『ポケモン』の人気を見て、僕は正直うれしかった。
で、他にニューヨークで見たかったところに行った。
カーネギーホール――音楽の殿堂(主にクラシック)――は残念ながら改装中だった。
改装後の初演は、アイザック・スターン(バイオリニスト)だと聞いた。
ジュリアード音楽院――音楽を学ぼうとする世界中の若い人が一度はあこがれる学校――は、お土産屋さんには入れたが、校内には入れなかった。事前に手を打てば、見学ぐらいできたのだが、うかつだった。
若い頃、東大や京大の講義や図書館、生協にはこっそり(つまり偽学生)入り込んでいた経験があった僕は、ジュリアードもそのつもりでいたのである。
ニューヨーク市立図書館は大丈夫だった。
で、まあ、お決まりのブロードウェイだが、20代の前半、ドイツ、フランス、イギリスをさまよった頃、ロンドンの劇場で当時始まったばかりであまりの人気のため、切符が取れずに見損なった「Cats」の20年以上のロングランの終演間際に間に合った。感慨は深かったが、演技、歌、演出とも、慣れ切ってしまったのか、ベストメンバーの「Cats」をビデオ化したものには遠く及ばなかった(ちなみに、日本人の日本版は論外である)。
そして、ラジオシティミュージックホール……世界最大のショー劇場である。
演劇やミュージカルのアカデミー賞といわれるトニー賞の授賞式が行われるどでかい劇場でもある。
ここで、びっくりさせられた。
なんと、「ポケモン」のショーが近日上演とのポスターがあった。
「ポケモン」って、ここで上演されるような存在になったのか……いささか呆然としていると、劇場の人が声を掛けてくれた。「日本人か?」と聞く。「『ポケモン』の映画の脚本を書いた」というと、急に親切になり「午前中に、『ポケモン』のスタッフが視察に来た。大きな女性の歌手もいた」という。大きな体格の劇場の人が、大きいというのだから、相当大きい女性である。すぐに、『結晶塔の帝王』のエンドテーマを歌う森公美子さんのことだと気がついた。
後で聞いたが、『ポケモン』のPR番組のためのニューヨークとんぼ返りの忙しい視察だったそうだ。
僕や妻は個人的にラジオシティミュージックホールに行ったのだが、劇場の人は、僕を視察団の遅れ組とでも思ったらしい。劇場内のツアーを教えてくれた。その劇場はあまりに広く、舞台裏を含めて、そのいたるところをめぐるツアーがあるのだ。
僕たちはそのツアーに参加した。
劇場専属のダンサーたちをロケッティーといい――偶然だがロケット団という意味である――そのコスチュームを着たロケット団の美女と記念撮影をし、大舞台に娘の持ってきた小さなピカチュウぬいぐるみをポツンとひとつ置いて、客席側からその写真を撮った。
客席には誰もいないが、そのピカチュウ、おそらく、ラジオシティの舞台にソロで立った、もっとも小さな出演者だったかもしれない。
『ポケモン』って、ここまで来たのかととてもうれしく思ったと同時に、もうこれで『ポケモン』は……少なくとも、僕の関わる「ポケモン」は、これで充分だという気持ちにもなった。
だが、ニューヨークはもうひとつ、大事な経験を僕に与えてくれた。
翌日、妻とその妹は、女性の好むニューヨーク……つまり、お買い物関係のブランド系(?)のお店回り。
そんなつきあいは、まっぴら御免の僕と5歳の娘は、ホテルに近いセントラルパークを散歩した。
やたらひろい公園である。1日ではとても回りきれない。
公園の入り口近くに、小さな子供向きの広場があった。ブランコがあって、砂場があって、滑り台があるような、日本の町ならどこにでもある小さな広場で、子供たちが遊んでいる。
5歳の子供にとっては、ブランコと砂場と滑り台があればうれしくなるらしい。
そこがニューヨークだろうと小田原だろうと東京の渋谷だろうと関係がない。遊んでいる子供たちの肌の色、顔つきが違っていても気にしない。
娘は、喜々としてブランコや滑り台で遊び始めた。
昔からニューヨークは人種のるつぼと言われている。
ニューヨークの街中を歩くときは、すれ違う人を、じろじろ見たりしないから、その人たちが東洋系、西洋系、黒い肌の人ぐらいの違いしか感じないが、広場で遊ぶ子供たちを何気に見ていると、本当に人種って多種多様だなと思う。
その時である。
雨が降ってきた。
それも、いきなりの土砂降りである。
なぜか広場には、何のために作られたのかわからないが屋根がついた石造りの小屋のようなものがあり、前面が鉄格子で開けっ放しになっている。
子供たちは、様々な声をあげて、雨宿りに駆け込んでいく。
僕も娘も、そこに入った。
様々な人種の子供たちが大勢そこにいた。
大人はあまりいなかった。
普通、これだけの子供がいれば、その親たちもいるはずである。
傘を持ってくる親が、そこに来てもいいはずである。
だが、それらしい大人は来ない。
考えてみれば、平日の午前中だった。親はどこかで働いているはずだ。雨が降っても迎えにくることができないのかもしれない。
けれど、子供をほったらかしにできるほど、ニューヨークのセントラルパークは安全なのか?
確かに、昔と比べ、ニューヨークの治安がよくなったとは聞いている。
とはいえ、ほったらかしの子供である。誘拐でもされたら、どうするんだろう?
もっとも、誘拐されるほどお金のある家の子は、幼稚園なり、小学校なりに通っている時間であることも確かだ。
僕は、なんとなく、持っていた小さなビデオカメラで、子供たちを写していた。音も同時に録音されるようになっている。
子供たちの言葉は、様々だった。アメリカ英語だけではない様々な国の言葉が入り混じっている。
でもまあ、意味は分かる。「早く雨がやまないかなあ」みたいな意味であろう。
そこには、人種の違いも、国の違いも、民族の違いもなかった。
みんな、鉄格子の向こうの土砂降りの雨を見つめている。気になるのは雨のことだけだ。
僕の娘も、親の僕のことなど気にせず、土砂降りの雨を見ている。
土砂降りの雨の中、小屋に入らず、雨に打たれながらうれしそうに踊っている黒い肌の子供が2人いた。
「なにやってんだ。あいつら」とでもおもっているのか、小屋の中でそんな2人を見ながら笑っている子がいる。
肩をすくめる子もいる。
どちらにしても、子供たちに共通しているその時のテーマは土砂降りの雨である。
雨が止めば、それぞれ別のテーマをもって、その雨宿りの場から出て行くのだろう。
土砂降りの雨は30分ほどで止んだ。
子供たちは、それぞればらばらに出ていった。
ブランコも滑り台も砂場も、水浸しで遊べない。
広場に子供はいなくなった。
「雨、終わった。帰ろ」
娘が言った。
その時の様子は、僕のビデオに残っている。
DVDにダビングして、今は中学生になった娘にも渡してある。
気の向いた時、自分のパソコンで見るかもしれない。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
このコラムでは、本来、書くことが嫌いな僕が、成り行きで物書きになり、今まで物書きとして出会った様々なことを書いてきた。そもそも、なぜ書くことが嫌いか。このコラムを書いてきて気がついたのだが、どうやらその理由は簡単で、僕が左利きだったからのようである。
今のように、パソコンのない時代……書くときだけ右で鉛筆または万年筆を使い、ノートや原稿用紙相手に自分に無理をしいていたから、書くのが苦痛になってしまった。
左利きが有利な、楽器を使う仕事や、両刀使いで筆をふるえる絵を描く仕事も考えたこともあるのだが、練習やデッサンが面倒くさい。仮にそれらに励んだとしても、その末に自分に才能がないと気がついたとしたら、悲劇である。
書くのが嫌だ、の気持ちは、左利きが便利なはずのパソコン時代になった現代も、三つ子の魂百までではないが、消えないようだ。それに生来の面倒くさいことは嫌いな性格は直らず、今にいたってしまった。
つまり、他の人が書けそうなことは、なにもわざわざ自分が書くことはないと思ってしまうのである。
で、どうやらここらに、今まで曲がりなりにも物書きで生きてこれた僕なりの秘訣がありそうなのである。
こんなのは、誰でもできる秘訣だから、実は秘訣でも何でもない。
他人に書けそうなことは書くな。つまり他人の誰もが考えそうなことは、ちょっと見方を変えて考えてみよう……である。
いままで、あなたが読んできた本、見てきた映画、ドラマ、アニメ、それはもう、他人が書き、作ってしまったものである。
しかし、それらの人々が素材にしたものは、さほど僕たちのまわりにあるものと違うものはないのである。
素材などというものは、どこにでも転がっているものなのである。
その人だけが持っている素材ならば、他の人が誰も知らないことだから、共感を得ることができるはずがない。
そんな素材はどんな形で表現しても「ありえない」と思われ、無視されるだけである。
もう一度繰り返すが、素材はどこにでもある。
要は、そんな素材を、他人が書いたように書くな、他人が考えたように考えるな、である。
それでも、誰かが同じ素材を同じように書いたもの、同じように考えたものがあるかもしれない。
そんなものがあなたの前に現れたら、あなたはそれとは別の書きよう、考えようをやってみればいい。
まあ、指紋と同じように、人間それぞれ、どこか違うのである。
自分に正直に、他人と違う部分を探せば、違うものが見つかるはずである。
素材がない? そんなはずはない。あなたが、読んできた本、見てきた映画、ドラマ、アニメ、みんな素材である。
さらに、あなたの体験、経験、素材はいくらでもある。それを、他人と同じように表現しようとしなければ、書こうとしなければいいのである。
これって、他人の真似をするより、簡単なことだと思う。見つけた素材を処理するのに、自分を出せばいいだけなのだから……
つづく
■第222回へ続く
(10.05.12)
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編集・著作:
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