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第35回 『戦国魔神ゴーショーグン』企画とキャラクター名と……
『宇宙戦士バルディオス』の打ち切りが決まったころ、夕暮れ、西荻窪のすり切れた畳敷きの安宿に、怪しげな男3人が、セブンイレブンのビニール袋に、スナック菓子とボトル入りのコーラやコーヒーを入れて集まった。
葦プロの社長、佐藤俊彦氏、脚本家の酒井あきよし氏と首藤剛志こと僕である。夕食はすでに、荻窪名物のラーメン屋で済ませている。
次回のロボットものの企画を徹夜でブレインストーミングしようというのである。僕が呼ばれたのは、『バルディオス』で一番本数を書いたかららしい。3人は、畳にごろりと横たわり、スナック菓子を食べ、世間話をしながら、次回作の構想を練った。
ようするに『バルディオス』の打ち切りの原因は、視聴率の低さと、ロボットの売れ行きの悪さである。ロボットの売れ行きの悪さは、デザインをした玩具屋さんの責任もあるが、そんな悪口をアニメ製作会社が言える立場ではない。視聴率の悪さは、12チャンネルという放送局のハンディもある。が、それも、アニメ製作会社の言える文句ではない。
ようするに、我々には、別に悪いところはなかったのである。
あるとすれば、内容が少し大人すぎ、過去の地球と未来の地球が戦うという設定が複雑だったこと、話が暗すぎたことだろう……ということになった。
これは、もともと、酒井氏が『バルディオス』で狙ったテーマである。酒井氏は当然白ける。『バルディオス』はマイナーなファン層には、結構人気があって、打ち切りのショックで、ファンからテレビがダメなら映画化しろ……などという声も出始めたころである。
その『バルディオス』がダメなら、今度のロボットものは首藤君がやってよ。……なんだか、いともかんたんに、僕のシリーズ構成が決まった。
事実、その後『バルディオス』の映画化が決定し、酒井氏は忙しくなり、新しいロボット企画からはいなくなった。
でもって、新しいロボットものはどうする。ロボットのデザインは、玩具屋さんと相談しなければならないから……今は、「バルディオスより、かっこいいロボットにする」としかいいようがない。
話は、まじめに地球征服などというテーマを持ち込むと、話が重くなる。もっとすっきりした話にならないか……ごちゃごちゃ話しているうちに、眠くなってきた。
だれかが、昔のテレビ映画の名前を思い出した。「逃亡者」――デビッド・ジャンセン扮する医者が、殺人犯に間違えられ、逃げ回る話である。
いままで、ロボットものでは、正義が悪と戦う話はいっぱいあったが、悪から追われて正義が逃げる話はなかった。逃げながら悪と戦うのである。
では、なぜ、悪は逃げるやつらを追いかけるのか? ……正義の逃亡者達が、悪が欲しくて欲しくてたまらない貴重なものを持って、逃げ回っているからである。その貴重なものとは何か? ……そんなところまで話して、夜が明けた。
題名だけは決まった。『逃亡戦隊バッキング』。
逃亡している連中が、貴重なものを持って、ばっくれているからである。逃げるということを、ばっくれやがるという言い方がある。
まさにそのままである。逃亡戦隊が持ち逃げしている貴重なものがなんであるか、決まっていなかったと思う。多分、未知のエネルギーで、そのエネルギーは、悪の追っ手に行き先が分かると面倒だから、逃げ出したらどこに現れるか分からない、逃亡者達が忍術のように、ぱっと目の前から消えてしまう瞬間移動のようなエネルギーにしよう、というあたりまでは決まったような気がする。
「これを企画にしよう」
眠い目をこすりながら、佐藤氏は、安宿から出ていった。
セブンイレブンのビニール袋に詰め込まれたスナック菓子や空になったコーラやコーヒーのボトルが、なんだか寒々としていたが、佐藤氏が持っていった『逃亡戦隊バッキング』は数ヶ月も経たないうちに企画書になって印刷されてきた。
きっと葦プロのスタッフの知恵をしぼって、ああだ、こうだ、と形にしたのだろう。
「こんなストーリーでどうか、検討してよ」
なんと、簡単なストーリーがいろいろついていた。その初期ストーリーを書いた人の中には、SFファンもいたらしく、瞬間移動のエネルギーについて、かなり詳しく書いてあったものもあった。そのほかにも、SFマニアらしい設定やら、理解不能のものやら、いろいろ入っていたが、複雑でマニア的になるだけな気がして、SF要素をかなり修正し、ストーリーも変えた。
この初期ストーリーを書いたうちのひとりの文体は特徴があり、その後、その人がシナリオを書くようになって、誰であるかすぐに分かった。当時、葦プロのフィルム編集をやっていた山崎昌三氏、後に谷本敬次氏と名前を変え、今や武上純希氏という名の脚本家である。
ばらばらにでき上がってくるフィルムをつなげる編集技術が、脚本家になるのに役立ついい例である。
彼は、モンタージュや映画が時間芸術であることを、体で覚えたのだと思う。
企画書は、その後も色々な人が知恵を絞ったらしく、いつのまにか、表紙の名前も変えられえた。『戦国魔神ゴーショーグン』である。
どこからこの名前が出てきたのか知らないが、戦国だから将軍という呼び名が出てきたのは見当がついた。悪の組織ドクーガは毒蛾でなく徳川で、対する正義の博士が真田博士(真田幸村)、ゴーショーグンを乗せて移動する巨大基地がグッドサンダー(真田幸村の九度山)、正義側のメンバーが北条信吾(小田原の北条家だろう)、キリー・ギャグレー(忍者の霧隠才蔵)、ここいらから名前はめちゃめちゃである。
正義の紅一点は、○○朝丘……当時、どこかで聞いたことのあるストリッパーの名に似ていたので、あんまりだというので、レミー島田に変えたのは僕である。
レミーはフランスのブランデーの名柄である。カミュという女性らしい銘柄もあったが、他に使いたい名前だったし、レミーの味のほうが僕の舌には合ったと、格好のいいことを言うより、たまたまフランス帰りの友人からレミーを土産にもらったから、レミーにしたのだ。
カミュはカミーユ・クローデル……フランスの彫刻家ロダンの恋人で、本人も彫刻家の名前に似ている……(余談だが『ゴーショーグン』のルネサンスを舞台にした小説「美しき黄昏のパバーヌ」に登場する)。余談のついでだが、ナポレオンというブランデーは、銘柄ではなくブランデーの等級を表している。VSOとかVSOPとかナポレオン……日本酒でいえば、二級酒、一級酒、特級酒、極上酒のような等級である。
レミー島田の島田は、当時、日本をテーマにしたアメリカのTVミニシリーズ「将軍」のヒロインを島田陽子さんが演じていたからつけたのである。
頭が禿げている隊長のサバラスの名は、「刑事コジャック」というTVドラマの俳優のテリー・サバラスが、頭を剃っていたから、そのまんまである。
そこまではまだ我慢ができるが、チームに付録についてきて、みんなの足をひっぱる子供には月見ポン太(真田ケン太に変えた)……その教育用ロボットの名前はOVA、オヴァ……おばさんの意味かと思ったら、スタッフの大庭寿太郎氏の名前からとったという。
悪役の三幹部にいたっては、ブンドル、ケルナグール、カットナル……悪の科学者はいつもゴーショーグン相手にじたばたしているからジッター、悪の親玉はネオネロス(新しい暴君ネロ)ときている。
僕が、彼らの名前に責任を持てるのは、弁解するわけではないが、ほんのわずかである。
キャラクター・デザインも次々とできてきた。
ブンドルは、放映されたキャラクターより精悍かつ残忍そうな顔をしていた。
『戦国魔神ゴーショーグン』のキャラクター設定とデザインは、当時よくあったロボットものをほとんど踏襲していたものだった。
御丁寧に、正義側の何人かは途中で戦死して、視聴者の涙をしぼらせる予定にもなっていた。
だが僕は、残念ながら、『バルディオス』以外のロボットものといえば、子供の持つライターが変身する『ゴールドライタン』しか知らなかったし、『バルディオス』調にする気もなかった。
妙な名前を背負って僕の前に出てきたキャラクター達だったが、そのキャラクター達を、深く楽しく描くアニメにしたかった。
そして、最終的に、主役でありながら邪魔者扱いされ道具にしか使われない、ロボットと子役がテーマになるSFファンタジーのようなものにしたかった。
そのために、周りを固めるキャラクター達には、しっかりしたキャラクター性……風変わりなリアル感を持たせたかった。
どこにもいそうになく、でも、どこかに現実にいるかもしれないキャラクター性を持たせたかった。
だから、どのキャラクターにも、元になるモデルを起用した。
現実にいる人がモデルだった。ただアニメの中では、その行動が極端にオーバーなだけだ。
どんなふうに、キャラクターを作っていったか、その一例として、レミー島田の場合を話してみよう。レミー島田というキャラクターの少なくとも三分の一は、このエッセイの途中で忘れられたように消えている『街角のメルヘン』のモデルになったガールフレンドが占めている。
そして、このエピソードには、僕が、なぜ、たった一度だけ、『まんが世界昔ばなし』で本気で脚本家になろうとしたかの理由がふくまれている。
もしかしたら、この35話すぎにして、このエッセイの1話目に戻ることになるかもしれない。
つづく
●昨日の私(近況報告)
映画が、時間を、視聴者の思惑を無視してでも、自在にあやつることのできるものだということを、脚本家も意識したほうがいい。
時間はどんどん流れていく。あなたが、視聴者に聞かせようとする台詞もどんどん視聴者の耳を通り過ぎていく。
どんなに名台詞が続いても、流れていく。
どんなに見せたい場面であっても通り過ぎていく。
だから、絶対に聞かせたい台詞、見せたい場面は、流れていく時間の中で、最も効果的な場所(時間)、視聴者の印象に残る場所(時間)にあるべきである。
他の台詞や場面は忘れてもらっていいぐらいの割り切りが必要だと思う。「どんな映画だったの?」と聞かれて、「面白い話だった」と言われるより、「あのシーンのあの台詞が忘れられない……どんな話だったかはどうでもいいんだけどさ」と言われるほうがいいのである。
あるシーンと、ある台詞を忘れられない人は、きっとそのストーリーも、覚えているはずである。
でなければ、忘れられないシーンや台詞があるはずがない。
つまり、脚本家の仕事は、流れていく時間の、効果的な場所に、聞かせたい台詞や見せたいシーンをよく選んで、置くことが一番大事な仕事であると思うのである。
脚本家の仕事は、原稿用紙を書くことではなく、上映時間のなかで必要な場所に必要なものを文字(または文章)の形で置くことである。
文章や文字を書くのではなく置くのだという感覚を、多くの映画を見て、つかみ取ってほしい。
だいたいの映画(TV)は、30分、1時間、2時間程度だろう。
よく、1時間ドラマはペラ(200字)詰め120枚程度と言われるが、それは、あくまで、目安で言われているのであって、あなたには、あなたの1時間に要する枚数があるはずである。その枚数を大切にしよう。
そして、効果的なところに、あなたの大切なシーンや台詞を置くようにしよう。結果的にあなたの1時間ものが、200枚になろうと60枚になろうと気にしないでいい。その枚数が、あなたの1時間なのだから……(ただし、コンクールでは、枚数を守ったほうがいい。審査員は、時間の長さを一般的な目安で見るからだ)。
枚数に収めるにはテクニックがいる。最初は、そのテクニックよりも、自分の感じる時間感覚で、枚数が決まるほうがいい。くどいようだが、脚本は原稿用紙を枚数分だけ埋めたものではない。上映時間分だけ文字や文章が埋まっているものである。その時間分だけ、どんな文字とどんな文章とどんな台詞が埋まっていればいいか……それは、やっぱり、多くの映画を見て、感じ取っていくしかないのである。
映画と時間の関係はこのくらいにして、脚本に、あなた自身、自分が何を描くかについて考えてみよう。
気の早い人で書くことの好きな人は、もう脚本らしいものを書き始めてもかまいません。ただし、その脚本の上映時間が終わるまでは書き続けてくださいよ。
でなければ、上映時間と脚本の関係が分かりません。
書きかけたら、必ず書き終えてください。ね。
つづく
■第36回へ続く
(06.02.01)
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