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第47回 ミンキーモモ完成前夜
ミンキーモモの名前が決まった頃、芦田豊雄氏から、決定版ともいえるキャラクターデザインが届いた。
正直な話、はじめて見た時は、みんな、あっと驚いたと思う。
なにより髪形である。そして、髪の色がピンクなこと……。
芦田氏の説明によると、シルエットになった時、誰が見てもミンキーモモだと分かる事……どんな小さな子供が似顔絵を描いても、つまり誰が書いても髪がピンクならミンキーモモだと了解できるデザインを目指したという。
今では見慣れたミンキーモモだが、当時は、相当奇抜だったと思う。
誰かが、これで行こうよと言い出し、あまりびっくりしたのか、誰も異論をとなえる人がいなかった。
スポンサーからも異論がなかった。
今、思うと、スポンサーはミンキーモモ自身の人形化は考えてなかったのだ。
スポンサーの関心はミンキーモモが使う魔法の小道具の玩具化だった(もし、ミンキーモモの人形を考えていたら、フィギュアのない時代、毛を使ってあの髪のスタイルをしたミンキーモモの人形を作るのは、難しいことに気づくだろう。
スポンサーから、あのキャラクターデザインには反論がでたかもしれない。
コスプレでも、あの髪形の再現はたぶんできないはずである。
当時は女児用玩具としては、動物や人形は、ぬいぐるみか、バービーちゃん人形のような髪のスタイルのいじりやすい人形だった。
スポンサーがミンキーモモ自身の人形化を考えていなかった事は、幸いした。
こうして、ミンキーモモのキャラクターデザインが決まり、三匹のお供も地球上のパパとママも決まった。
三匹のお供は、ぬいぐるみを意識したのかふわふわした感じで、その名前……犬のシンドブックも、小鳥のピピルも、猿のモチャーもスポンサー関係の誰かが決めたのである。
ただし、三匹のぬいぐるみが発売されたという話は聞かない。
企画倒れに終わったのかもしれないし、スポンサーから、玩具を作るからアニメに出してくれと言われて、アニメに出したはいいが、結局その玩具がつくられなかったのは、よくある事である。
面白いことだが、『ミンキーモモ』の原作とか原案とかシリーズ構成というタイトルのついている僕は、キャラクター達の名前は、決めていないのである。
みんな、他の人が名づけ親なのだ。
正直な話を言うと、僕は、キャラクターにはどんな名前がつけられようと構わなかった。
ただ、主人公の女の子と三匹のお供、フィナリナーサの王様とお妃、地球上のパパとママの性格設定だけは、きっちりと決めていて、どんな名前がつけられようと、変える気はなかった。
現に、王様とお妃様、パパとママの名前は、ストーリーや会話に出てこないので、当初はそのまんま、王様とお妃様、パパとママである。
ママの名前が出てきたのは、シリーズも後半で、その時は、ママの名前を呼ぶ必要があったので、たまたまその回の脚本を書いた金春智子さんが必要にかられて、僕の記憶に違いがなければ、デイジーと名づけた。
つまり、そのエピソードまで、ママは自分の名前を呼ばれる必要もなく、ママの名前はママでよかったのである。
パパの名前もどこかで出てきたたかもしれないが、どうでもいい事なので、僕は忘れている。
そこら辺は極めてアバウトで、むしろ、名前なんかあったら、妙な設定をしょい込みそうなので、避けたかったのである。
ミンキーモモが住む事になる地球の町も、最初は、山の手の代官山風とか、港の見える神戸・横浜風とか、下町情緒の浅草風とか、いろいろ意見が出たが、これも、妙な設定をしょい込みたくないので、「どこかの町でいいんじゃない」という僕の意見が通り、「どこかの地球のどこかの町」ということになった。
ただし、「どこかの町」は、ミンキーモモの住む町である。
少なくとも、僕だけは「どこかの町」のイメージを持っていた。
モデルにした町もある。
そのイメージを持っていないと、ミンキーモモが「どこかの町」で、脚本上動けない。
他のスタッフに言っても、アニメの美術設定のハンティングに行けるわけでもなく、かえって混乱するだけだから、脚本からイメージする「町」を描いていただくことにした。
だから誰も、「どこかの町」が世界のどの町をモデルにしたのかは、知らないはずである。
その町はドイツのヴァルツブルグ……ロマンチック街道の北の入り口に位置し、街の中央に川が流れている。
川の向かい側には、丘の上に古い城塞がある。
僕自身も行った事があるが、ヨーロッパの街は、ひとつの町で小さくとも都市の機能が全てそろっている町が多い。
それぞれの都市が独立していて、他に頼らなくても自給自足できるようになっているのである。
ミンキーモモが活動するには、もってこいの町である。
日本で言えば、小田原のような町だが、まさかミンキーモモが小田原住まいをするわけにもいかない。
ミンキーモモも「どこかの町」も無国籍である。
通常は「モモ」と呼ばれて、日本のどこかに住んでいてもおかしくないような感じだが、「どこかの町」に日本的要素はいっさい見えない。
これは、制作会社葦プロダクションの、日本だけでなく世界に『ミンキーモモ』というアニメを売ろうという深慮遠謀があって、実際、画面には日本語がいっさい出てこない。
それは、僕も最初からそのつもりで、原形とも言える「フィナリナーサから来た男の子」も日本人や日本を舞台にするつもりはなった。『ミンキーモモ』のパパを世界的な獣医にして、いつもどこかの外国に出張するとしていたのも、ミンキーモモがこぢんまりとした町の中だけでなく、世界中を舞台に活躍させたいためだった。
ここいらは、背景や美術の関係で、あまり背景が変わるのは、絵を描く時に調べたりする手間や予算がかかるから、できるだけエピソードは「どこかの町」の中ですませてくれという葦プロダクションからの要望があったのだが、すぐになし崩しになり、あっという間に、世界中が舞台のアニメになった。
脚本の舞台が、世界中を飛び回ったから、制作サイドからはもう止めようがなくなったのである。
それに、背景が世界のどこになろうと、絵で描くアニメでは、予算に関わるほど大きな違いはない。
手間は確かにかかるだろうが、作品が始まると、葦プロダクションもケチな事は忘れてしまったように言わなくなった。
CD(チーフ・ディレクター)は湯山邦彦氏に決まっていた。
『バルディオス』や『ゴーショーグン』のメインの演出や絵コンテが買われたようで、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が初の総監督作品ということになる。
しかし、脚本に関しては、全て僕に任してくれていたようで、本読みなどは、ほとんど僕が責任を持った。
『宇宙戦士バルディオス』や『戦国魔神ゴーショーグン』で、作品での関わりはずいぶんあったが、実際に親しく仕事上で語り合うようになったのは『ミンキーモモ』からだ。
当時「湯山・首藤コンビ」と言われたわりには、『ミンキーモモ』の空・海2シリーズ以外は『ポケットモンスター』しか共同の仕事は、他に小さな仕事を除いて、ない。
それだけ『ミンキーモモ』シリーズが、当時の皆さんには、鮮烈に見えたのだろう。
実は、僕が湯山邦彦氏を意識したのは、『宇宙戦士バルディオス』や『戦国魔神ゴーショーグン』自体ではなく、葦プロダクションとは違う作品の打ち合わせのときだった。
打ち合わせした演出家が、「ゴーショーグンの湯山邦彦さんってどうですか?」と、かなり湯山邦彦氏を意識している様子だったのである。
その演出家は、他の作品でかなり注目を集めていた人だったから、その人が意識しているのだから、湯山邦彦氏もそれなりの演出家として注目されている人だと思ったのである。
そう言われて、改めて『宇宙戦士バルディオス』や『戦国魔神ゴーショーグン』の湯山邦彦氏の演出や絵コンテを見ると、手堅く面白いし、なにより妙な臭みがない。演出の臭みとは個性的とも取られるが、時として辟易させられる事がある。
つまり、湯山邦彦氏は没個性なところが個性的なのである。
そして、もう一つ、若い頃にフォーク風の音楽をやっていた事があるらしく、ある種のリズムを持っている。
さらに、僕と趣味が合うのは、アメリカ映画、それも、ジョージ・ロイ・ヒル監督(代表作「明日に向って撃て」「スティング」)的な軽妙な作品が好きな事である。TV番組だった「奥さまは魔女」なども、お気に入りのようだった。
アクションよりは、洒落た作品が好みなのである。
湯山邦彦論を語ると、皆さんのおそらく知らないイギリス映画の「ジョアンナ」(マイケル・サーン監督、ジュネビエーブ・ウェイト主演)などという、数十年前、日本でたった1回公開され、その後、フアンの要望で、10年以上後に限定上映されたカルト作品(もちろんビデオ化などされていない)などを、たまたま、お互い見ていて好きだったこと等……「ジョアンナ」上映の当時、前代未聞だった素敵なラスト(その後、そのシーンを多くの映画が引用した)を参考にしたシーンが『ミンキーモモ』にもある。
そんな話題も話さなければならなくなり、長くなりそうだから、このあたりで止めておくが、ともかく『ミンキーモモ』には、ぴったりの監督だったと思う。
演出面は、湯山邦彦氏に任せておくとして、僕には、『ミンキーモモ』のシリーズ構成として、最も大切な事があった。
どんな脚本家を『ミンキーモモ』に起用すればいいか……である。
決めるところは、僕が書くにしても、他の脚本を誰に書いてもらうかで、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の全体のカラーが決まってくる。いったい誰を選ぶか……誰に頼むか……これが大問題だった。
つづく
●昨日の私(近況報告)
近況報告と言うより、「誰でもできる脚本家」というテーマである。
ともかく、色々な人に出会う事である。
僕の場合、セールスの他に意外に役に立ったのは、大病院に入院することだった。
この話は、病院が人の病や命にかかわるところだから、不謹慎である。
だが、不謹慎を承知で言わせていただければ、大病院ほど様々な人々と出会える場所はない。
僕は普段から体調が悪く、何度か入院をした事がある。
幸い、命に関わるほどひどい症状ではなかったから、ベッドに釘づけというわけでなく色々な病人と出会った。
特に、今は禁煙でほとんどなくなったが、昔は病院には病人のための喫煙コーナーがあった。
そこには、比較的症状の軽い入院患者や、命には別状のない骨折などの外傷患者が、集まって煙草を吸っている。
入院中だから、医師の回診時間と食事時間以外は暇である。
彼らは、同じ病院に入院しているという以外、全く関わりがない。
病気や怪我をしているから、みんな気が弱くなっている。
同病相哀れむではないが、そこに職業の差はない。
例えば、警察官とやくざ屋さん関係が隣り合わせて、煙草を吸いながらしみじみと人生を語り合うなどという事もある。
病院を出れば関わりがなくなるから、色々な事を気兼ねなく話せる。
お互い病気で相手を思いやる気持ちもあるから、しみじみと自分の人生を語り合う。
それを聞いていると、本当に色々な人生があるのだなあ……と思う。
酒場やコーヒー・ショップでは、こんな話は聞けない。
互いに知り合い同士が話し合っているから、共通の話題になりがちだ。
いつもは関わりの全くない人間同士だから話せる事もあるし、聞ける事もあるのだ。
それは、色々な人を知る上でとても役に立つ。
だれも他人の人生を聞くために入院する人はいない。
僕だってそうである。
だが、大病院が様々な人のるつぼである。
あなたに、もしも入院するような不運が起こったら、それはある意味で様々な人を知る機会でもある。
病院を人間取材の場所に使うのか? と怒る方も多いだろう。
重病人の気持ちにもなってみろ……確かにそのとおりである。
だが、知らない人と出会う上でのひとつの場所として、こういう所もあったのだ。
なお、今はほとんどの大病院が禁煙である。
けれど、どこにいても人と出会える場所はある。
その時に、あなたは、耳だけは大きく開いておこう。
つづく
■第48回へ続く
(06.04.26)
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編集・著作:
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