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第65回 脚本家を止めようと思った頃
「日本人は、アニメで、子どもたちを、どうするつもりなのか」
そう、ドイツ人の教師に言われ、僕は戸惑うしかなかった。
確かに、アニメは、本来小さな子供の見るものである。
しかし、僕自身、あえて小さな子供を対象にして脚本を書いたことはなかったのである。
実写でできない事が、アニメではできるから、やっていたというところがある。
勿論、視聴対象は子供ではあるが、小学生以下に分かるようにやさしい内容にしようとは、意識すらしていなかった。
『まんが世界昔ばなし』でも、『まんがはじめて物語』でも、対象は幼児のように見えても、内容は、大人の観賞に耐えうるものを心がけていた。
だから、ドイツ人の教師の言葉は、僕の虚を突いたような気がしたのである。
彼の言いたい事を、要約すればこうである。
「自分は、日本語がわからないから、アニメのストーリーについては、なにもいえない。しかし、自然には存在しないどぎつい人工の色彩が入り乱れ、ぴかぴか光り、ぎくしゃく動き回り、派手な音楽が、鳴り響く。
それが、三十分近くも続く。
こんなものを見て、子供の体に悪くないのか?
しかも、それが、1本だけでなく、子供が見るような視聴時間に、どこのチャンネルでもやっている。
こんな過激な映像を子供が見続けたら、子供の生理や体や精神に、どんな悪影響をもよおすか、日本人は考えているのだろうか。
それとも、意図的に子どもたちをアニメで洗脳して、日本人の性格を変えようとしているのだろうか?
日本の精神医学者は、この状態を、なんとも思っていないのだろうか……」とまでいう。
確かにその頃のドイツは、チャンネル数も少ないし、大人向けの硬い番組が多かったし、娯楽番組も、刺激的なものは少なかった。
僕が20代でドイツに行った頃など、カラーテレビなど少なく、平日の昼間は何の番組も放送しておらず、テレビをつけても、サンドストームしか映っていなかった。
そんなドイツから来た教師の目から見た日本のテレビは、色彩乱舞、狂気の沙汰に見えただろう。
特にアニメは幼児のためのものという意識が強いから、日本のアニメの状態は、子供への影響を考えると、信じられないものだったかもしれない。
1980年代ですら、こうである。
今の日本の、深夜にまでアニメをやっている状態を知れば、卒倒するかもしれない。
「子供を情緒不安定にして育て、また、戦争でもはじめようと考えているのかな?」
と、冗談まで言っていた。
確かに、今はどうだか知らないが、当時は第2次世界大戦で、同じ敗戦国のドイツでは戦争の悲惨を憎悪する教育が日本より徹底していた。
ドイツ人の教師から、そう言われても、「文化の違いだろうな」としか、僕は答えられなかった。
「アメリカやフランスでは、日本のアニメはどんどん放送されている」
そう付け加えた。
ドイツ人は議論好きである。
さらに突っ込んでくる。
「もし、君に子供がいたら、日本のアニメを見せるのか?」
「ものによるね。テレビはスイッチを切れば消える。その子の親がきめればいい。その選択肢が多いのは悪いこっちゃない。親の立場と作者としての僕の立場は違う。僕は作りたいものを作っているだけだ。親の立場として、子供に悪いものだと思ったら、それが僕の作品だとしても見せはしないよ」
そう答えるしかなかった。
実は、僕も小学校にいる間は、家にテレビがなかった。
父が、子供の教育に悪いと言って、買わなかったのだ。
子供の間で話題になった作品は、隣の家で見せてもらっていた。
親が注意を払っていたから、テレビやアニメの影響力に関心がないわけではない。
だが、1人の女性をはさんで、ドイツ人と話しあっている日本人の僕としては、簡単にドイツ人の意見に従うわけにはいかなかった。
つらいところである。
実は、僕は、子を持つ親になった今も、11歳の子供にテレビもアニメもなかなか見せない。
自分はプロジェクターで100インチのスクリーンで、テレビを見ているが、子供には14インチのテレビしか見せないようにしている。
20インチを越えるテレビは、子供の視界には大きすぎると思っているからだ。
自分の作ったアニメも、一応、自分で見返した後、よしと思ったものしかビデオで見せないようにしている。
だから、娘は、ぼくが初期の『ポケモン』の脚本家である事を、あまり意識していない。
自分で作っておいて恥ずかしい話だが、娘が見た『ポケモン』は、僕の作った作品を入れても、映画を含めて数本だけである。
ともかく、その後も、気にはしないつもりだったが「日本人は、アニメで子どもたちをどうするつもりなのか」というドイツ人教師の言葉は、どこかにひっかかっていた。
その言葉を忘れた頃、20年近くも経って、『ポケモン』のあるエピソードを見て、大勢の子供が倒れる事件が起こった。
その時の事は、また『ポケモン』を語る時に書こうと思う。
ともかく、ドイツ人の教師は、僕の咽に小骨のささるようなことを言って、夏休みが終わると帰っていった。
ところで、彼女の話だが……結局、彼女はドイツに戻る方が幸せだろうという結論が出て、ドイツ人の教師が帰った後も、結婚についての何やかにやの手続きで、彼女は日本にいた。
そして、いよいよドイツに戻る事になって、成田まで見送りに行ったのは、僕1人だった。
彼女は、搭乗口にいたるエスカレーターの前で、こう言った。
「これで、ほっとしたでしょう」
「正直言って、ほっとした」と、僕は答えた。
これで、僕とガールフレンドの話は終わるはずだった。
ところが、5年おき、10年おきぐらいに、こちらがヨーロッパに行った時や、彼女が日本にきた時に、偶然のように会ってしまう。
こういうのを腐れ縁とでも言うのだろうか?
あちらは、東西ドイツが統一され、チェルノブイリの原発事故が近くで起こり、ユーロの世界になった。
それなりのドラマがあった、と思う。
こちらは、結婚して子供もできた。
結婚後にも会ったが、僕の妻が激怒した……考えれば当たり前である……ので、以降は会っていない。
彼女は90歳まで生きるつもりと言っていたから、これからも波乱万丈の人生を送るかもしれない。
僕は到底そこまでいけないだろうから、もう、会う事もないかもしれない。
話を『さすがの猿飛』以降に戻そう。
『さすがの猿飛』をやっている間ははしゃいでいたが、終わると疲れがどっと出た。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』もすでに終わっていたし、『戦国魔神ゴーショーグン』の小説と『まんがはじめて物語』が残るだけになった。
アニメでやりたいことは一応やってしまったし、脚本家以外にもやりたいことがあった。
昔、セールスをやっていたが、その頃と収入がやっと一緒程度になっていた。
それにしても、疲れの度合いはセールスの数倍である。
そんな時である。
日本アニメ大賞という賞の第1回脚本賞を戴ける事になった。
対象作は、『さすがの猿飛』『魔法のプリンセス ミンキーモモ』『まんがはじめて物語』である。
何にしたって第1回である。これから先も、ずーっと名前が残るねと、『さすがの猿飛』のプロデューサーの片岡氏から、おだてられた。
だが、僕の気持ちは違っていた。
今なら脚本家を辞められる……だった。
第1回の脚本賞をもらって、脚本家を辞める。
これから先、ろくでもない脚本を書いて、首藤剛志という脚本家の値打ちを下げるより、ここで辞めたら、最盛期に辞めた不思議な脚本家として伝説に残るぞ……カッコいいじゃん……である。
もともと書く事の嫌いな僕である。
おまけに疲れてへとへとで体調も悪い。
脚本家を辞めるのに、こんないいチャンスはないとも思った。
だから『さすがの猿飛』の後番組も、体調を理由にお断りさせていただいた。
受賞を機会に、アニメ作家の塾のようなものを作り、弟子を育てたら、プロデューサー側もまとめて何人もの脚本家を頼めるから便利である……その塾を作る事に協力する……というお話もいただいた。
だが、脚本は個性が大切であり、教えられるものではない、と僕は思っているから、技術論を教えたり、業界の対人関係を教える塾を作るのは、僕には向いていなかった。
僕は、ある作品を作るなら、それに合った脚本家を、プロや素人を問わず自分で探すタイプだった。
塾を持って、そこの生徒の中から脚本家を選ぶのは、苦痛だった。
その作品に向いていない生徒、または弟子を使うのは、作品の質を落とすだけだと思っていたからだ。
第一、僕には塾を経営する気力も体力もないし、気まぐれである。
塾に入った生徒が迷惑するだけである。
この話も遠慮する事にした。
ちなみに、塾の話は、第2回の脚本賞を受賞された小山高生氏がおやりになり、「ぶらざあのっぽ」という名で、何人もの脚本家を世に出している。
ともかく、脚本家を辞める方向で、僕の気持ちが決まりかけていた時、行きつけの飲み屋で出てきた企画が『街角のメルヘン』だった。
僕の、実質上の処女作である。
これだけは、作っておきたいなと思っている作品だった。
結局、この作品が、その後も僕が脚本家をやっている理由になってしまった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
まず、あなたが書いたアニメ脚本が、採用される過程を再現してみよう。
あなたの書いた脚本をもとに、本読みという儀式が行われる。
儀式と書いたのは、形式は打ち合わせだが、内容は儀式のようなものだからである。
あなたの書いた脚本に、プロデューサーやディレクターから、いろいろな意見が出される。
ここはああしたほうがいい。
ここはこうしたほうがいい。
ここで言っておくべきは、そのプロデューサーやディレクターが、本当に脚本を読める人たちかどうかという事だ。
仮に読める人だとしても、その日、読んでいる本は、あなたの本だけではない。
別の打ち合わせの別の本も読んでいるのである。
例えば、1ヶ月4本消化する番組の打ち合わせでは、その日に、4本の脚本を読んでいる場合もありうるのである。
だから、あなたの脚本に意見を言ったとしても、その場の思いつきの場合も多い。
あなたは、脚本を採用されたい。
気持ちは分かる。
だから、思わず、その場で出てきた様々な意見に頷いてしまう。
だが、相手のその場の思いつきを了解していたのでは、全体から見たあなたの脚本は、がたがたになってしまう場合が多い。
決して、頷いてはいけないのである。
一度頷いてしまうと、相手は脚本を自分の思った通りに書き換えてくると思い込む。
ところが、思い通り書き換えてないと、トラブルのもとになる。
そんなときは、頷くかわりに「ご意見、よく検討してみます」と言って、家に持って帰って、本当に相手の言っている意見が正しいか、よーく考えよう。
そして、どうしても受け入れられない意見なら、「検討した結果……これこれこういうわけで、矛盾が起きてしまいます」と丁寧に説明しよう。
どうせ、相手は、思いつきで言った意見である。
あなたの説明に納得してくれるだろう。
「いいなりライター」という言葉がある。
プロデューサーやディレクターのいいなりに脚本を書き直して、ろくでもない脚本を書くライターのことである。
そういう脚本家は、結果的に評価が低い。
「いいなりライター」にならないためにも、大切なのは最初の本読みである。
自分が納得できない直しには、決して頷いてはならないと思う。
つづく
■第66回へ続く
(06.09.06)
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編集・著作:
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