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第80回 『ようこそようこ』七転八倒
「ようこそようこ、山杜サキ暗殺指令」といえば、大袈裟なように聞こえるが、まんざら嘘でもない。
スポンサー・サイドから、「殺してくれ」と、そのままの言葉で僕に伝えられたのは確かだったからだ……。もちろん、アイドル・アニメで、殺生沙汰などできないから、サキが外国へ行くか、家出してきた故郷に戻るかして、ともかく『アイドル天使ようこそようこ』というアニメからサキを消してくれという意味だった。
理由は簡単である。
当時のアニメには玩具屋さんがスポンサーについている事が多く、当然、スポンサーが売りたい玩具が、『ようこ』には目一杯登場していた。
玩具スポンサーにとっては、なにより、アニメは玩具を売るための30分のCMなのである。
それは、当時のロボットものアニメにも言える事だった。
主たる目的はロボットの玩具やモデルを売る事にあった。
だから、ようこの持つマイクから、ようこが何かの歌謡賞に優勝するストーリーでもないのに、アイドルなら何かのトロフィーを受け取るだろうというスポンサーの憶測で、優勝トロフィーまでできていた。
アイスクリームを作る玩具まで企画されていて、商品は実現はしなかったが、ストーリーの中にアイスクリーム屋が登場するのも、実はスポンサーの意向を反映したものだった。
ようことサキの住むロフトを玩具屋の倉庫にしたのも、どんな玩具をスポンサー側から出せと要求されても、それを登場させても不自然でないように、シリーズ構成として、先回りして設定しておいたからである。
トロフィーと無縁の『アイドル天使ようこそようこ』では、監督のアミノテツロ氏のアイデアで、ようこが舞台で歌いだすと、なぜか世界が異次元になり、ようこのお供であるムササビのムーが、意味もなくトロフィーを持って飛びだしてくるというシュールな表現で、トロフィーの出番をこなしていた。
どこから、アミノ氏がそんなアイデアを考えだしたのか、いまだにそのシーンが出るたびに、僕は感心している。
山杜サキは、ようこと同居している女優志望の女の子である。
それぞれのエピソードの出番は少ない時もあるが、ようこなくしてサキはなく、サキなくしてはようこはないほどのコンビである。
サキが消えてしまっては、『アイドル天使ようこそようこ』のストーリー自体が、破綻してしまう。
だが、スポンサー側としては、主人公でないサキはノーマークだった。
だからサキは、売り物になる玩具を何も持っていない。
ところが、サキのキャラクターと林原めぐみさんの声のマッチングもあって、番組が始まってみると、主人公のようこと同等か、それ以上の人気が出てしまった。
それは、シリーズ構成の僕が狙っていた事だから、当然といえば当然である。
前回も書いたが、『アイドル天使ようこそようこ』の主要人物は、「ようこ」と「サキ」と「アイドル歌手京子」と歳上の女性「久美子」の4人である。
その内の「サキ」が目立ってくると、玩具を持っていない「サキ」の人気は、スポンサーにとっては邪魔である。
おまけに、ようことリンクしているはずの実物の歌手、田中陽子さんの人気もぱっとしない。
現実の田中陽子さんと、アニメのようこのキャラクターが違いすぎるのである。
こうなったら、手っ取り早い手は、人気のあるサキに、番組から消えてもらうのが一番である。
それが、「サキを殺せ」発言になる。
だが、サキのいない『アイドル天使ようこそようこ』は、もう僕の考えている『アイドル天使ようこそようこ』ではない。
しかし、スポンサーは番組にとって神様である。
スポンサーに、何を言ってもラチがあかないだろう。
仮に、僕が原案・シリーズ構成を降りて他の人がやっても、どうせスポンサーの言うとおりになるだけである。
玩具とリンクしている歌手がこのまま売れなければ、そのうち突然の打ち切りもあるかもしれない。
僕としても、今までにない……新しいとは言えないまでも……変わったアニメを作りたいという気持ちを途中であきらめたくはない。
どうすべきか、ずいぶん悩んだ。
その時には、すでに途中のエピソードをのぞいて、ラストの2話は、頭の中でできていた。
そのラストには、どうしてもサキが必要だった。
シリーズの途中で、サキが主役になるエピソード、世界的に高名な演出家のミュージカルにサキが挑戦する、34、35話に相当する「わたしのジュリエット」の前後編も、半年がかりでほぼ完成しかかっていた。
その他にも、脚本とは全く関わりのない戸澤幸子さん……この人は本職はアクセサリーのデザイナーだが、週何回か人工透析を受けなければならない体調で、半日近くじっと動けない状態の中で『アイドル天使ようこそようこ』の話を考えてくれていた……から、渋谷の猫になり切った少女のエピソード、36話に相当する「猫子ちゃんのユウウツ」が届いていた。
さらに、ちょうどそのころ仕事を休んで世界一周をしていた声優の小山茉美さんからも、ニューヨークからプロットが届いてきた。
小山茉美さんに声をかけたのは、声優としての実力もあるが、当時、小山茉美さんが書いたエッセイが、なかなかよかったからだ。
小山茉美さんには、声優界の裏話風のエピソードを書いてもらおうと思っていたのだが、外国へ行ったと聞いて、脚本はあきらめていた。
それが、いきなりニューヨークからである。
しかも内容は、声優のエピソードではなく、環境破壊の話だった。
ニューヨークの連絡先に電話したが、小山茉美さんが書きたいものが環境破壊の問題であるのなら、それもいいだろうと考え直した。
このエピソードは、多少クリスマス用の話に書き直し、38話に相当する「地球の酸素がなくなる日」という題名で作品化された。
その他にも、『ミンキーモモ』の感想文で面白かった柏木京子さんの書いたエピソード……40話に相当する「レッツシングwithバード」も形になりかかっていた。
その頃になると、締め切りなしで実写畑の人達に頼んだエピソードも、でき上がりだした。
どれもこれも、少なくとも1ヶ月以上、ものによっては半年近くかかっていた。
これらの作品の修正と電話による脚本の打ち合わせでくたくたになり、次第に飲む酒の量も増えていった。
体はぼろぼろである。
もう、「サキを消す……」などという事は、考えるのも嫌になっていた。
だが、スポンサーや製作サイドと「本読み」をすれば、必ず「サキ暗殺指令」が問題になるだろう。
おまけに前回にも書いた大人の女性、大人のエピソードともいえる久美子の扱いも、問題になるはずだ。
それどころか、苦情を言う気になれば、ほとんどのエピソードが対象になるだろう。
それだけ、風変わりなエピソードが多いのだ。
まともなストーリーがないといった方がいい。
どうすればいいか……
疲れた頭で考えたのは、とんでもない結論だった。
制作前の、脚本の打ち合わせをなくせばいいのだ。
常に脚本がぎりぎりにでき上がり、すぐに絵コンテに入らなければ、放映に間に合わない状態にすればいいのである。
つまり、原案・シリーズ構成が入院してしまい、本読みができなければいいのである。
入院をすれば、お互い連絡もとりづらくなる。
打ち合わせは、僕が監督のアミノ氏と、直接電話をすればいい。
ちょうど、僕の体も悲鳴を上げ始めている。
番組は放映を始めており、シリーズ構成を変えるのは面倒な事が多い。
しかも、僕自身は、入院しても脚本は完成させると言い続けている。
入院しちゃえ……ついでに、酒を止められれば、体のためにも、『アイドル天使ようこそようこ』の脚本の訂正や執筆にも、都合がいい。
僕はそう決めて、病院を探した。
前の病院は、東京に近すぎて気がめいるし、再入院ともなると原稿を書く事が許されなくなる可能性もあった。
酒が止められないという事は、アルコール依存症の疑いも自覚していた。
知人の医者にも相談した。
その医者の判断では、僕はアルコール依存症……いわゆるアル中……には見えないし、依存症特有の禁断症状もない……アルコールの禁断症状には、様々な症例があり、とてもここでは語り切れないので省略するが、興味のある方や、自分に依存症の疑いがあるとお思いの方は、専門書を読むか、早めに病院に行った方がいい。
手遅れになると、治癒が難しいし、死に至る病気でもある。
ところで、その医者によると、酒を止めて、通いの病院で点滴をして自宅療養でも治るから、無理に入院する必要はないのではないか、という意見だったが、僕はどうしても入院すべきだと思った。
結局、入院するなら……という事で、最適の病院を教えてもらった。
その病院は、医者の了解が得られれば原稿が書けて、しかも、『アイドル天使ようこそようこ』と同時に、僕は海を素材にした小説も書いていたから、小田原のように海が近く、開放的で、禁酒もできる病院、日本で一番の(もしかしたら世界一かもしれない)アルコール依存症の治療病院で、三浦半島の久里浜というところにあった。
僕は1人で、その病院に行って「入院させてくれ」と頼んだ。
だが、「自分からアル中だと言ってくる人は珍しい。1人でここに来るぐらいなら、自分で治せ」と一度は追い返された。
そこで僕は、翌日、ウイスキーのボトル1本を飲んで、ぐでんぐでんに酔い、母にタクシーに乗せられて、久里浜に行った。
その様子を見て、さすがにその病院も、入院を許してくれた。
それから、『アイドル天使ようこそようこ』の最終話まで、その病院の中で書き続けた。
点滴しながらのワープロ打ちが本領を発揮したが、このいささか常軌を逸した入院は、様々な人に迷惑をかけたし、自分にもいろいろな影響をもたらした。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
脚本家には、オリジナリティが不可欠である。
これは僕の持論であるし、多くの先輩脚本家がおっしゃっている事でもある。
オリジナル作品の書けないシナリオライターは、本当の脚本家ではないという意見もある。
僕も、そう思う時がある。
しかし、オリジナリティとは何だ……という疑問が残る。
人間は、生まれた時から、様々なものに影響を受けている。
その影響から免れる事のできる人などいない。
昔、見た映画、芝居、絵画、彫刻、聞いた音楽、演奏、読んだ本、そして、今まで生きてきた上での経験や体験……全てが、あなたという人間の形成に影響している。
だから、今の作家にオリジナリティなどない。
すべて、過去の何かに影響を受け剽窃したものを、自分のものとして勘違いしているだけだ、と言い切る人もいる。
今の脚本家の書く作品は、どんなにオリジナリティを主張しても、何かの真似にすぎない、と言う人もいる。
確かに、そのとおりかもしれない。
しかし、人はそれぞれ違う。
だれ1人同じ人はいない。
1冊の本を1000人が読めば、1000人の読み方、感じ方がある。
その読み方、感じ方が、それぞれのオリジナリティだと思う。
自分なりの読み方、ものの見方、感じ方が、自分でもどうしようもなく前面に出てきてしまう人が、オリジナリティのある……またはオリジナリティの豊かな人なのだと思う。
問題は、真似をしているのを自覚して、もしくは原作をそのまま書き写して、自分は脚本を書いていると思っている人である。
こういう人は、ちょっと違うんじゃないかと、僕は思う。
もう、ここまでこのコラムを読まれている方は、何本かの脚本を書いている人だと思う。
そうでない人は、もう一度、ざっとでいいから、コラムを読み返してほしい。
すでに何本もの脚本を書いた人にとって必要なのは、おそらく脚本の技術論だと思う。
この先は、僕の勝手な脚本技術論的なものを書くつもりだから、皆さんの間では、異論、反論、批判がいっぱい出るだろうと思う。
だけれども、これから先は、首藤流えーだば創作法だと割り切って、笑って読んでほしい。
つづく
■第81回へ続く
(06.12.20)
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編集・著作:
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