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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第83回 それからの『アイドル天使ようこそようこ』

 『アイドル天使ようこそようこ』の最終回の原稿を書き終えて、さして日にちが経たないうちに僕は退院した。
 脚本はアニメ制作の入り口である。
 退院しても制作は続いていたし、アフレコも終わっていなかった。
 余談だか、世の中のバブルも、終焉に近づいていた。
 当時、バブルという言葉が流行して、その恩恵や悲惨を被った人は多かったらしいが、仕事と病院が交錯していた僕は、バブルの内容をほとんど知らない。
 だから僕は、様々な病院のいろいろな内情はくわしいほうだと思うが、バブルがアニメ界にどのような影響を与えたかを語る資格はない。
 その頃の世情から、自ら望んで隔離されたようなものだった。
 情報は、たまに見る病院のテレビのニュースぐらいで、そのテレビで盛んに放送されていた中東戦争が、ひとつの区切りが見えていた頃だったのを憶えているくらいだ。
 『アイドル天使ようこそようこ』という作品が、バブル時代の全盛とその衰退を反映したアニメだという声もあるらしいが、僕自身は、ほとんどそれを意識したつもりはない。
 ただ、当時の現実の渋谷をモデルにして、既成のアニメ脚本家ではない方達にかなりの数のシナリオを書いてもらったから、僕が手直ししたとはいえ、その時代性が他のアニメよりは色濃く出ているかもしれない。
 その『アイドル天使ようこそようこ』が、ちょっと変わった層の間で人気が出ている事を知ったのは、最終話のアフレコが近づいた頃だった。この作品の制作にも関わっていた南極二郎氏(ペンネーム)……実は佐藤徹氏。葦プロダクションの社長の名前が本名と同じ佐藤氏だったので、区別するために当時は佐藤Bさんとも呼ばれていた……が、パソコン通信で、『アイドル天使ようこそようこ』の会議室が、盛り上がっているというのだ。
 その頃、僕はパソコン通信のことも扱い方もよく知らなかったので、佐藤氏から『魔法のプリンセス ミンキーモモ』などの会議室の内容をフロッピーに入れてもらい、読むには読んでいた。
 続いて、同人誌の世界でも『アイドル天使ようこそようこ』が、話題になっている事も聞いた。
 SF作家の山本弘氏……「と学会」会長……の作った同人誌も読ませてもらった。
 大変な労作で感心した。
 その他の方の同人誌もいろいろ読んだ。
 つまり、『アイドル天使ようこそようこ』は、表向きは全然駄目だが、カルトな世界で評判になっているというのである。
 最終回放映後も、その世界での人気は持続するどころか、さらに盛り上がっていったようだ。
 僕は、自分の関わった作品のファンについては『戦国魔神ゴーショーグン』や『魔法のプリンセス ミンキーモモ』でその存在を充分認識はしていたが、脚本を書く上で意識したことはなかった。
 もともと僕自身が書くこと自体が好きではなく、作りたいもの、興味をひくものしか脚本や小説に関わりたくなかった。
 つまり、やりたいものをやれればいいので、商売としての書くことはどうでもよかったのである。
 お金を得るためなら他に方法はあると思っていたし、ファンの存在はありがたいと正直思うが「お客様は神様です」と誰かが言ったほど、視聴者を気にしてもいなかった。
 だから当時はやりたいものしかやらなかったし、お声をかけていただいても、自分なりに丁寧にお断りしていた。
 ただ、そんな態度が相手にどう思われていたかは知らない。
 なぜなら、一度お断りしたところから、その後、他の作品の脚本依頼が来たことは、ほとんどないからだ。
 それでもいいと当時は思っていた。
 なにしろ『アイドル天使ようこそようこ』の数年前は、脚本を書くのを止めようと思った事もあった僕である。
 気の進まないものをやるのは、精神衛生上からも、体の健康上からしてもよくない。
 僕の性格自体は、相当アバウトだと思うが、脚本に対しては結構、神経質かもしれない。
 書くことが嫌いだから、かえって神経質になるのだろう。
 だから、書きたくないものを書くぐらいなら、別の仕事をすればいいという気持ちで、書くという仕事に向き合っていた。
 現在のように家族もいて、書くこと以外、他の仕事をする気力も体力もない歳になっては、そうも言っていられないのがいささか情けないが、今でも、やりたくないものはやらないという気分が湧き上がってきて、その処理に戸惑う時がある。
 面倒くさいから止めちゃえ……という気持ちが襲ってくるのが怖い。
 今の僕が書くことを止めたら、家族や僕の老後は風前の灯だ。
 書きたいもの、作りたいものが、まだいくつもあるので、それが完成するまではねばって今の仕事を続けて行くつもりだ。
 昔の、書くことへのわがままさと鼻息の荒さを、懐かしく思う時もある。
 そんな訳で……って、どんな訳だかよく分からないが、『アイドル天使ようこそようこ』のカルト的な人気は、やりたいことをやった後のおまけのようなもので、最初は多少、他人事のように眺めていた。
 そんなカルト人気が、あれよあれよという間に大きくなっていった。
 ついには、『アイドル天使ようこそようこ』をレーザーディスク(LD)にしようという署名運動まで始まった。
 業者としては、全話のLDセットを7万円で買う人が3千人集まったら作るということだった。
 15年以上昔のことである。
 今の貨幣価値でどのくらいかはしらないが、そんな値段で買う人がいるとは、原案構成脚本の僕でも思わなかった。
 第一、『アイドル天使ようこそようこ』のビデオは、ほとんど売れなかったはずである。
 ところがファンの盛り上がりはそんな値段を気にせず、注文が集まってしまったのだ。
 これには、僕も驚いた。
 『アイドル天使ようこそようこ』にそんな魅力があったのかどうか、ビデオで見直してみた。
 この作品を作るには、多くの人が苦労もしたし工夫もした。
 それに関しては、僕も自信がある。
 しかし、放映後にこれだけ盛り上がるほど魅力があるかどうかについては、作り手としては、よく分からなかった。
 ただただ、呆気にとられるだけである。
 しかし、それから10年ほど後、生まれた娘が4歳になった時、わが家ではアニメを解禁にした。
 勿論、作品を選んで見せたが、僕の関係した作品の中で娘が夢中になって「もっと見せて……」と、せがんだのは『魔法のプリンセス ミンキーモモ』でも『ポケットモンスター』でもなかった。
 何と『アイドル天使ようこそようこ』だったのである。
 実をいえば、僕としては、この作品をスポンサーや制作者の目指す子供向けだけに作った訳ではなかった。
 青年や大人……つまり、大人なはずの僕も楽しめる作品にしたかった。
 そんなアニメを喜んでいる4歳の娘を見て、『アイドル天使ようこそようこ』に、年齢差を越えた魅力があるんだ……と、感慨深かった。
 ちなみに、僕は署名運動もしなければ、LDの注文もしなかった。
 ファンがやってしまったのである。
 家にあったLDセットは、発売後にいただいたもので、今は小田原図書館にある。
 『アイドル天使ようこそようこ』のLDセットは、中古市場で12万以上で買い取られ、いくらで売られたのかは知らない。
 それから6年後に値段の安いDVDのセットが出るまで、中古市場の値段は落ちなかった。
 渋谷を舞台にした作品なのに、ないものはないと豪語する渋谷のTUTAYAにレンタルがないのは、妙な気もするが、そもそもレンタル用のビデオがないとのことだそうである。
 さらに『アイドル天使ようこそようこ』の一部のファンのお祭りは、LDセットだけでは、終わらなかった。
 なんと、渋谷駅前のハチ公から見えるビルの壁面ビジョン……当時、渋谷駅前にはひとつしかなかったと思う……を借りて、1時間の上映会を開いてしまったのである。
 渋谷駅前の壁面ビジョンのレンタル料がいくらしたのか、今でも僕は怖くて聞けない。
 上映されたうちの1本、渋谷で開かれたF1グランプリの脚本を書いた佐藤茂氏と、ハチ公前で待ち合わせをして上映されたエピソードを見て、記念写真を撮った。
 それには、壁面ビジョンに上映された『ようこ』と、その当時の僕が、ピントもぴったりで写っている。
 今や、その写真は『アイドル天使ようこそようこ』の思い出とともに、僕の家宝のようなものである。
 渋谷のハチ公の前には、行き交う人と待ち合わせの人が大勢いた。
 その内の何人が、この企画に参同したファンかどうか、僕は知らない。
 その場にいた多くの人が、見上げる巨大な壁面ビジョンに何が写っていたか知らなかったと思う。
 しかし、その時まさに、小さなテレビの中の架空の渋谷でしか動いていなかった『アイドル天使ようこそようこ』が、現実の渋谷で歌い動いていたのだ。
 それは、ファンというものの凄さに驚いたと同時に、『アイドル天使ようこそようこ』という作品が作られてよかったと、心底、僕が思った1時間でもあった。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 自分の作ったキャラクターに自然に動いてもらうと、不思議なことに、いつの間にか、無理をしなくてもクライマックスと終わりがやってくる。
 キャラクター達の気持ちが高鳴り、クライマックスを作ってくれるのである。
 そして、キャラクターの気持ちが、静まった時が、終わりである。
 あなたは、キャラクターの置かれた状況と事件を考えればいい。
 しっかりしたキャラクター像があなたの中にあれば、キャラクターが勝手に動いてくれる。
 なぜ、そうなるのか?
 今まで沢山見たであろう映画の構成の感覚があなたの身についていて、わざわざ構成を意識しなくても、あなたの身についた構成にそってキャラクターが動いてくれるのである。
 不思議だが、本当にそうなる。
 だから、できるだけいっぱい映画を観ておけと、僕はくどいほど言い続けていたのだ。
 だが、自分の作ったキャラクターを、今まで見た映画やアニメに登場するキャラクターから引用するのは避けた方がいい。
 出来のいい映画やアニメのキャラクターは、その映画のためにある状況や事件の中で、自然に動いていて完成してしまっている。
 あなたの作った状況や事件の中では、必ずしも自然に動いてくれるとは限らない。
 同じロボットものでも、『ガンダム』に出てきたキャラクターが、『エヴァンゲリオン』の世界で、自然に動けるわけがないのである。
 キャラクターは、できる限り、あなた独自のものでなければならない。
 すでに他の人の作品に出てきて完成されたキャラクターは、あなたの世界のキャラクターにはならない。
 上手くいっても、二番煎じである。
 ヒットした作品があると、必ずと言っていいほど、似たようなキャラクターの出る作品が次々と作られるが、そのヒット作を作品的に越えることはまずない。
 その理由のひとつは、キャラクターが自然に動かないからだと思う。
 あなたのものでない他の人の作品のキャラクターを使うのは、やめるべきだ。
 では、どこから自分独自のキャラクターを見つけるか?
 あなたのキャラクターのモデルは、あなたがよく知っている実在の人達がいい。
 日常、いろいろな人とつきあって、あなたの持ち札のキャラクターを、あなたの引き出しの中に持っておくのだ。
 これも、僕がくどいほど言い続けたことである。
 あなたの見たその人、感じたその人、あなたのフィルターを通した実在の人物は、他の人が同一人物を見て感じた人とは、必ず違うはずである。
 そこに、あなたのオリジナルなキャラクターがいるのだ。

   つづく
 


■第84回へ続く

(07.01.17)

 
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