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第89回 「海モモ」プロット募集
基本的に『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の2作目――俗にいう「海モモ」――で描きたかった事は、1980年代の夢や希望が1990年代になると、どんな風に変わってきたかだった。
以前も書いたが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の1作目は、僕が高校時代ごろに考えた「フィナリナーサから来た少年」が、基本ベースになり、高校時代に作ったエピソードが、かなり紛れ込んでいる。
僕の高校時代といえば1960年代後半だから、それ以降1980年代まで僕の感じた時代性が、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の1作目――俗にいう「空モモ」――に、僕本人も知らず知らずのうちににじみ出ている気がする。
ところで、「空モモ」エピソード群の多くの根っこになっているのは、世界の昔話やお伽話や言い伝えである。
現代に残る昔話やお伽話や言い伝えは、長い時代生き残っただけに普遍性があるとも言える。
この普遍性を僕は大事にしたかった。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』1作目のエピソード群の多くは、普遍性を持つ事によって、その後、半世紀経っても古くならないものである事を、僕は狙いたかったのだ。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』1作目の作品群を書いてくれた、当時はまだ若かった脚本家の方達は、その要求によく応えてくれたと思う。
この脚本家の人達についてさらに付け加えて言うなら、脚本を書くという仕事以外に、いろいろな事に興味範囲が広く、本人が意識しているかどうかは別にして、1980年代の時代に対して感度を持っている人達だった。
黙っていても、書いたものに1980年代の時代をどこかに匂わせていた。
どの時代にも通用する普遍性も持っていながら、1980年代の時代性をも内側に秘めている作品が『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の第1作目――「空モモ」――だったと思う。
それに対して「海モモ」も、1990年代の時代性を持ちつつ、どの時代にも通用する普遍性がなければ、存在価値がない。
時代的にはバブル崩壊の時期であり、その世相が「海モモ」の脚本に反映しないはずはない……と、僕は考えた。
そして、若い脚本家の方達に現代(1990年代)の夢や希望を語ってほしかったのである。
だが現実には、「海モモ」の少なくとも始めの頃は、1990年代の空気を感じさせるものは、ほとんどなかった。
脚本の世界に閉じこもり、社会に窓を開けていない脚本家が多かったとしかいいようがない。
知り合いといえば業界の人が多く、世間の動向にあまり関心を持たない、風通しのあまりよくない若手シナリオライターが多かった気がする。
魔女っ子物といえば、今まで見たアニメの魔女っ子ものしか自分の引き出しにない。
だから、その人達が書く脚本は、特に『魔法のプリンセス ミンキーモモ』である必要がなく、他の魔女っ子ものでやってもかまわないエピソードが多かった。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、確かに魔女っ子物の範疇に入るだろう。
だからといって、どこの魔女っ子ものでも通用するエピソードでは困るのだ。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は『魔法のプリンセス ミンキーモモ』らしくなければならない。
「海モモ」は、中盤から社会性を帯びたエピソードが増えてくるが、それは、1990年代の世相と向き合ったテーマを、僕から提示していたからだ。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』2作目、65話分のエピソードはすでにあったが、まだ、僕は物足りないものを感じていた。
1990年代の夢と希望についてのエピソードは、これだけでいいのか?
まだ他に、1990年代だからこその夢や希望はないのか?
脚本家群の中から、そんなエピソードが出てくる期待はあまりなかった。
このままでは、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の1作目――「空モモ」――1980年代の夢と希望を書いた僕が、10年後の1990年代の夢と希望を語っているから「海モモ」の内容が「最近の若い者は……」と、説教しているように見えるかもしれない不安が残った。
どこかに、1990年代の夢と希望を語れる人がいるかもしれない。
それが、『ミンキーモモ』のプロット募集につながった。
雑誌「アニメージュ」の紙面をお借りして、広く一般から……といっても「アニメージュ」だから読者はアニメファンに限られるだろうが……ミンキーモモのエピソードのあらすじを募集したのだ。
募集しても、「ろくなエピソードは来ないだろうし手間ひまがかかるだけだ」と忠告してくださる方もいた。
それでもいいと、僕は思っていた。
少なくとも、1990年代のアニメファン一般の夢と希望に対する考えを、垣間見る事はできる。
バブルが崩壊した時代、「アニメージュ」の読者である若い人達の夢や希望に対する感じ方はどうなっているのだろう。
それを知るだけでも、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という作品にとっては悪い事ではないだろうと思った。
この募集は、「アニメージュ」編集部だけでなく、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の関係者の様々な方達にご苦労をかけた。
いまさらだが、感謝の言葉を繰り返したいと思う。
募集の反響はかなり大きく、山のような数のプロット(あらすじ)が集まった。
そのプロットを『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本のレギュラーになっていた面出さんと北条さんが下読みをして、箸にも棒にもかからないプロットと、すでに脚本ができている作品や脚本執筆中の作品と似たプロットを選別した。
例えば、人魚姫が登場するプロットだけでも数本あったが、すでに人魚にまつわるエピソードは制作中だった。
そのエピソードが放映された時に、「自分が応募したプロットをパクられた」と、応募者から抗議が来ると困るので、いちいち「あなたのアイデアは、すでに脚本化されてるので使えません」という主旨のメモを添えて、その脚本を応募者の方達に送ったりもした。
考える事は誰でも同じなのかも知れないが、似たようなアイデアが多いのはいささか驚いた。
そのほとんどが魔法ものによくあるアイデアだった。
面出さんと北条さんには、いろいろな人のプロット……つまりアイデア……を読む事は勉強になると言って下読みをやってもらったが、目新しい物がほとんどなく気の毒だった。
僕は、2人が選別し残ったプロットをじっくりと読んだが、突き抜けたアイデアのものはほとんどなかった。
みんな同じTVを見て、同じアニメを見て、同じような育ち方をしてきたからだろうか、アイデアどころか感性まで画一化しているように思えた。
文章としてはよく書けているものもあったが、アイデアがありふれていた。
日常生活の機微をうまく書いたプロットもあったが、あまりに話に動きがなくて、アニメになりそうもなかった。
登場人物の細かい心理を描くのは、生身の人間を写す実写ならともかく、登場人物の細かい表情を描くのが苦手なアニメでは、到底不可能に思えた。
ともかく、選考は大変だった。
「ろくなエピソードは来ないだろうし手間ひまがかかるだけだ」
ある人から言われた忠告が頭をぐるぐる駆け回った。
しかし、募集した以上は、脚本化できるプロットを見つけたかった。
やがて、制作スケジュール上でも、ぎりぎりの時間が近づいていた。
その時間までに作品を決めないと、せっかく募集したのにアニメ化ができなくなってしまう。
ようやく最後まで残ったのは10本ほどあった。
どれも、一長一短があった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
あなたが脚本をまだ数本しか書いていない新人なら、脚本を書く事よりつらいのは、本読みという会議だと思う。
アニメ制作会社のプロデューサーや監督、シリーズ構成のいる番組ではシリーズ構成、TV局のプロデューサーやスポンサーまで出席する事もある。
最近は、本読みに出席するスタッフの数はどんどん増えていく傾向があるらしい。
基本的に個人の作業のはずだった脚本執筆が、まるで個人作業から集団作業になったように、あなたの脚本をめぐって、ああでもないこうでもないと、いろいろな意見や注文が出てくる。
その意見や注文が、的を射ている場合はまだしも、脚本を読んだ単なる感想や思いつきが、意見や注文として出てくる時もある。
慣れてくると気にならなくなるが、新人の頃は、自分の脚本をとやかく言われると頭に血が上って訳が分からなくなる時がある。
自分がどんな脚本を書いたのかさえ分からなくなる時もある。
僕もそんな立場になった事があるからよく分かるが、そんな時は自分自身が自分の脚本に対して判断不能になっている場合が多い。
浴びせられる意見や注文をなんか変だなと思いながらも、まだ新人だから、逆らうわけにもいかない。
逆らう事すらできないほど、頭に血が上っている場合が多い。
もっとも、ベテランでも、本読みで出された意見に逆らう人はあんまりいないようだ。
逆らうと、使いづらい脚本家だと思われ、次の仕事が来なくなる事があるからだろう。
だからといって、本読みで出た様々な意見や注文を、「はい、はい」と言っていいなりに直すのはけっしてよい結果にはならない。
脚本は流れがあるから、言われた部分を直せば、全体が変わってくる。
意見や注文をつける人達も、脚本全体から見てそれを言っているのかどうか分からない時がある。
もしかしたらその場の思いつきの時もあるのだ。
そんな意見や注文に、脚本が左右されるのは困りものである。
たまに、「言われたとおり直します」と言って、本読みで指摘されたところしか直してこない脚本家がいるが、そんな脚本はぎくしゃくして、直す前の脚本よりひどくなっている場合が多い。
あなたの脚本に浴びせられた意見や注文を、冷やした頭で考える時間が必要である。
言われた意見や注文に「はい、直します」という前に、吟味する時間をもらうようにしよう。
「今のご意見を、脚本全体から見て考えてみます」
と、言って、一端保留にして、気持ちが落ち着いてから考え直してみよう。
本読みで出た意見や注文を、その場でいいなりに承諾しない事である。
いったん「直します」と言ってしまって、後で「やっぱり、直しません」では、それこそ角がたつ。
つづく
■第90回へ続く
(07.02.28)
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