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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第97回 「海モモ」での実験3

 実験というほど、大袈裟ではないが、 海モモと空モモとが共演するエピソード「モモとモモ」も、僕の内心ではかなりひやひやした作品だった。
 初代の空モモと2代目ともいえる海モモの演技が余りにも似ていると、海モモ編が、空モモの続編ではなく、空モモの真似をしたリメイクに過ぎないと思われる危険があると感じたのだ。
 だが、それは杞憂だった。
 結果は、空モモの声を演じた小山茉美さんと、海モモを演じていた林原めぐみさんの声が似ているようで、はっきりとした個性の違いが分かった。
 しかも、2人がからむ場面では、長くやっている漫才コンビのように息があっている。
 それぞれ、女性アニメ声優として人気のトップを長くキープしていた時期があるだけの才能を再認識させられた。
 小山茉美さんはその時はすでにベテランであり、林原めぐみさんは声優としても歌手としても上昇途中だったが、「モモとモモ」の共演で、海モモと空モモの立ち位置が同じようでいて違うこと……それは、80年代の「夢」と90年代の「夢」の違い……を、はっきり表現してくれていた。
 僕としては、その時点で考えていた「海モモ」の最終回の最も重要なシーン……海モモが「夢」がほとんど消えた地球から去るべきか残るべきか悩んだ時、空モモがさりげなく助言する2人の会話場面。このシーンを書くべきかどうか、その頃は迷っていた……が、この2人で必ずうまくいくと確信できた「モモとモモ」の共演だった。
 余談だが、最終回のアフレコの後の打ち上げパーティで、小山茉美さんと林原めぐみさんが、つまり、2人のモモが並んで座って、声優論らしきものをにこやかに話しているのが印象的だった。
 「モモとモモ」での共演の時に、僕が感じたのは、そのエピソードと最終回だけの共演だけでは、もったいないということだった。
 他にも、2人が共演できるエピソードは作れないだろうか……その気持は、監督の湯山氏も同じだったようだ。
 ちょうど、挿入歌の新作CDの企画も持ち上がっていた。
 それなら、ミュージカルでやってみよう。
 小山茉美さんは、空モモの主題歌や挿入歌も唄っているから、林原めぐみさんとのデュエットもいけるはずである。
 で、海モモのBGMを素材にして2人が唄う「モモとモモ」という歌を作ってしまった。
 ミュージカル風のアニメを、僕はちょくちょく書いていたし、『ミンキーモモ』の直前のシリーズ、アミノテツロ氏が監督した『アイドル天使 ようこそようこ』は、毎回、主にBGMに歌詞をつけて、登場人物達に無理矢理のように歌わせていた作品だった。
 だが、今回の「海モモ」のエピソードは、空モモも登場する、最初からミュージカルを意識した作品である。
 作詞が好きな監督の湯山氏も、モモのお供の歌う「三匹のうた」を書いた。
 問題は、空モモが不自然でなく登場して、しかも『ミンキーモモ』全体のテーマである「夢」にマッチしたストーリーを作ることだった。
 自分でも不思議なのだが、そのストーリーは、「モモとモモ」のアフレコを観ている時に、あっという間にできてしまっていた。
 「空モモ」編のモモとフェナリナーサの伝説……裏設定では第10話「眠らせて お願い!」のエピソードで登場したベストセラー作家ジャネットの書いたファンタジー小説……を映画化しようとするプロデューサーの話である。
 映画プロデューサーの名はウォルター・ズデニック。
 どうでもいいような事だが、この名は誰でも知っているだろうウォルト・ディズニーと、「風と共に去りぬ」のカリスマ的プロデューサーとして有名な、デヴィッド・O・セルズニックの合成した名である。
 その映画に出てくるモモ役のオーディションで、空モモと海モモのふたりが選ばれる。
 その映画完成は、プロデューサー・ズデニックの長年の夢だったが、様々な障害があって、なかなか実現しない。
 ついには、手持ちの8ミリカメラで、撮影するはめになる。
 僕の関係するアニメシリーズで、映画を作るという話は、古くは『ダッシュ勝平』という作品から『ポケモン』まで、必ずと言っていいほど出てくる、僕の定番エピソードである。
 僕の趣味としか言いようがない。
 ともかく、映画製作の過程が、僕には面白くて仕方がないのである。
 スタッフからは、「またかよ」と言われるかもしれないが、好きなのだかどうしようもない……と、弁解にもならないいいわけをするしかない。
 ところで、このモモのエピソードが作られた1990年代、8ミリカメラは、すでに骨董品に近く、アニメスタッフも実物を見た人がいなかった。
 仕方がないので、家の物置きの中から、僕が子供の頃に父の使っていた、ホコリのかぶった8ミリカメラを見つけ出して、それをモデルにして絵を描いてもらった。
 したがって、「海モモ」のミュージカル編「夢に唄えば」「夢の彼方に」2部作に出てくる8ミリカメラは、僕の家にあるカメラそっくりで、そのエピソードを見るたびに、なんだかうれしくなってくる。
 そんな私的な事はともかくとして、このエピソードは『モモ』シリーズの中で、『モモ』の映画を作る話を入れ、しかもミュージカルにするという、いわば自家パロディなのだが、それでいながら、お笑いでなく「夢」と「挫折」を真面目に描くという、今思えば、ひどく面倒くさい事をした作品だった。
 スタッフ、キャストともども、こんな手間のかかる作品は……少なくとも僕は、2度としないと思う。
 この2部作の脚本は、北条千夏さんとの共作なのだが、タイトルは、並べるのが面倒くさいので、「夢に唄えば」の脚本は北条名にし、「夢の彼方に」を首藤名にした。「夢の彼方に」は、「空モモ」に出てきたシーンが再現される部分が多いが、そのためか、「空モモ」で活躍したわたなべひろし氏が、絵コンテ、演出、作監を1人でやっている。
 『ミンキーモモ』の場合、絵コンテ、演出を同じ人がやる事は多いが、作監まで同じ人というのは珍しい。
 この作品で唄われる歌の一部は、声優さんたちの参考用に、僕達が唄ったカセットテープを聞いてもらったが、小山茉美さんからは、「このテープを聞くと自分が音痴になっちゃいそう」と冷たく言われたほど、素晴らしい出来だったらしい。
 このミュージカルのエピソードは、空モモと海モモ……つまりは小山茉美さんと林原めぐみさんを共演させようという、スタッフや僕の趣味的な部分から始まったもので、実験と呼べるような作品ではないかもしれない。
 しかし、その他のエピソードでは、外見はやわらかいが当時としてはかなり危ない社会性のあるテーマを意識的に放り込もうとした。
 1990年代の「夢」を語るのに、どうしてもやっておきたいテーマが、いくつもあったのである。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 前回までは、どんな事をしてででも、脚本家は自分のオリジナリティを守ったシナリオを書くべきであるという視点から書いてきたが、現実はそうでもないようである。
 そもそも、脚本家になろうとする人の意識が違ってきている。
 特に最近は、脚本家になる事を、どこかに就職するように考えている人が多い気がする。
 自分が書きたいものを書くというより、職業としての脚本家になりたい人……つまり、お金を稼ぐ脚本家になりたい人がやたらいるのである。
 言い方を変えれば、それがプロの脚本家になるということらしい。
 だとしたら、下手なオリジナリティなど邪魔である。
 そこそこシナリオらしいものが書けて、いろいろなところから注文がくる脚本書きになればいい。
 そのためには、まず、業界に知り合いを作ることである。
 アニメに限らず、いろいろなところにシナリオ学校らしきものが林立しているが、脚本家に必要な技術的な事など、どんな人でも1日あれば憶えられる。
 シナリオ学校で、教わる事などほとんどないのである。
 したがって、シナリオ学校を出たからといって、脚本家になれるわけではない。
 どこの学校を出たからといって、会社勤めなら学歴が通用する事もあるだろうが、脚本家では学歴はまず通用しない。
 昔は、見込みのありそうな生徒を業界に紹介してくれる先生(現役の脚本家)もごくわずかだがいたが、こんなに学校が多く教師が多いと、そんな先生を見つけるのはほとんど不可能である。
 良心的な学校では、脚本は、自分の描きたいものを視聴者に対して書くものではなく、プロデューサーやスポンサーや、実写の場合、人気俳優のために書くものである……と、はっきり言ってくれるそうである。
 プロデューサーに関して言えば、値段が安く作れる作品の脚本が、なによりいい脚本である。だから、なにより安く作れる脚本を書け……。
 実写なら人気俳優がやりたがるような脚本を書け……。
 そんな身も蓋もない事を、まっさきに教えてくれる先生のいる学校が、良心的なシナリオ学校らしい。
 アニメの場合、何より大事なのはプロデューサーに会う事だ。
 まず業界に飛び込んで、いろいろなプロデューサーと知り合って、その人の言うなりになって気に入られ、その人をきっかけに、だんだん業界のつきあいを広げていく。
 そして、脚本でお金を稼げるようにする。
 そのためには、俺はこういうものが書きたい……という気持を消しておくしかない。
 書きたい気持を隠すのではなく消すのである。
 書きたいという気持を隠していたのでは、ストレスが溜まってしまう。
 書きたいものが書けない。
 このストレスは、かなり大きい。
 溜まりすぎると売れっ子の人でも、精神病になるか自殺に追い込まれる場合もある。
 だから、自分のオリジナリティなど、忘れるか消してしまうのである。
 そして、愛想よく業界とつき合って、プロデューサーの喜ぶ脚本を書き続ければ、プロとして長生きができる。
 そういう脚本家の生き方を否定はできない。
 むしろ、尊敬する。
 これは、一見、自由なものが書けそうな小説やエッセイやコラムでも同じ事で、余程の大御所でない限り、出版社の編集者の意見を無視はできない。
 何事も商売なんだから仕方がない。
 ところで、僕は……といえば、一応プロの脚本家ということになっている。
 いつの間にか、ベテランとまで言われている。
 しかし、いつも、そう言われると首をひねる。
 本当に僕はプロなのか? ベテランなのか……。
 好き勝手な事しか書いてこなかったのに……僕はいつまで経っても素人気分なのである。
 時々反省はする。
 もちろん、気分の乗らないものを書く状況がないわけではない。
 が、そうなると悩んでしまって、悩んだ果てに病気になってしまう。
 体が壊れてしまうのである。
 過去の入院数も自慢ではないが人並みではない。
 だから、僕はやたら病院や病気に詳しい脚本家として、一部の人には知られている。
 職業としての脚本家になりたい人には、正直に言っておくけれど、余程の幸運があって、やっと人並みの暮らしができるお金が稼げる。
 出版不況の小説家よりはましかもしれないが、脚本家の原稿料は安い。
 アニメは、特に安い。
 銀行がお金を貸してくれる信用度は、上位が医者や弁護士として、かなり売れっ子の脚本家でも、キャバレーの店長より低いそうである。
 キャバレーの店長の信用度が低いのは、しょっちゅう店を変わる人が多いから、あてにならないという事らしい。
 脚本家が職業だとしたら、そんな職業に、あなたはそれでもなりたいですか?

   つづく
 


■第98回へ続く

(07.05.02)

 
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