色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第122回 昔々……70 1994年その4 なんと「東久留米駅行き」のバスが!

いよいよ先週から(東京地区)始まりました『四畳半神話大系』であります。みなさん、ご覧いただけましたでしょうか? 僕個人としては、一昨年の『墓場鬼太郎』以来のノイタミナ枠でありまして、あの『墓場鬼太郎』の時のような盛り上がりを期待しちゃってたりしています。
たぶん日頃アニメを観てくださってる、このWEBアニメスタイルの読者の方々は観てくださってるでしょうが、やはりさらに観ていただきたいのは、日頃あんまりアニメを観ない層の方々。この『四畳半神話大系』はそんな方々にこそぜひ観ていただきたい作品です。OLさんたちとかにもドンドン観ていただきたいですね。
ですので、コレをお読みの皆さんも、ひとつ「一般」の方々に向けて口コミ宣伝をドンドンお願いいたします! 視聴率云々というよりも、僕らが作ってるものを1人でも多くの人に観てもらいたい、と、想いはその一点であります。
というわけで、今週は第2話「映画サークル『みそぎ』」です。今週もヨロシク! 乞うご期待です!!

さてさて。
1994年3月14日、マニラ。キンキンに冷房の効いた空港ロビーから一歩出ると、そこはおびただしい数の人たちの聞き慣れない言葉の喧噪と、けたたましい車のクラクションの洪水と、冗談のような蒸し暑さでありました。
「う〜む、外国!」
荷物を満載したカートを押しつつしばし呆然。そんな僕を囲むように集まってくる現地の人たち。どうもタクシーの運転手さんのよう。容赦なく浴びせかけられる「Taxi」の単語に混ざって「シャチョーサン、タクシーハ?」。「!」現地の言葉タガログ語や英語に混じって、なんとまあ、超怪しいニホンゴです(笑)。ってか、誰がシャチョーサンだよ?(笑)
と、その時「あ〜、辻田さ〜ん! こっち〜!」という、今度はシッカリとした日本語の声。空港まで迎えにきてくれてた現地在駐の日本人スタッフ、祖谷さんと、EEI-TOEIのスタッフで日本にも長く研修で来てたパラブリカ氏でありました。再会の挨拶もそこそこに、車に乗り込んで大混雑の空港到着口を離れます。「どうですか? フィリピン(笑)」と祖谷さん。「どうっていうか、なんというか……」と僕。聞けば空港の到着出口はおおむねいつもあんな混み具合とのこと。ガンガンにエアコンの効いた車内で、ようやく僕の汗もおさまりました。
車はマニラの中心部を走り抜け、マニラ市に隣接するケソン市へ。そのウェスト・アヴェニュー沿いにEEI-TOEIのスタジオはありました。中心部の賑わいとはちょっと遠い感じの、割と住宅地っぽいウェスト・アヴェニュー。あ〜、ちょうど東京でいえば、銀座とか新宿を走り抜けて、挙げ句行き着いたら練馬区大泉、といった感じであります(笑)。やっぱりアニメスタジオはマニラでもおんなじようなところに作るのか、とヘンに納得。
スタジオは古めの平屋の建物でありました。なんていうか、工場ともちょっと違って、さらには近代的でもない。1軒の大きめな民家に併設した倉庫をその民家に増築改造してひっつけちゃったような、まああえていうなら「町工場」な印象でありました。門を入ってすぐに入り口があって、そこには拳銃を腰に携えたガードマンのおじさんが1人。東京から運んできたジュラルミンケースの大荷物を車から引っ張り出すと、迎えに出てきた現地のスタッフさんたちが運んでいってくれました。で、僕はもう1人の日本人スタッフの立仙さんと再会です。とりあえずお2人へのお土産を手渡したところで、再びパラブリカ登場。「ツジタサン(←ここはニホンゴ)、Now, we'll go to the hotel.」
慌ただしくまたも車へ。僕が宿泊するホテルへと連れていかれます。連れていかれたホテルはそこそこいい感じのホテルでありましたが、あ〜たぶん日本語はダメっぽいよなあ、という感じ。とにかくフロントにすら日本語話すスタッフがいないわけで、またちょっと緊張。たぶんほとんどの時間はスタジオにいるんだろうし、寝に帰るだけだから大丈夫大丈夫! と半ば自分に言い聞かす僕。ツインの部屋に通されて荷物を置いたら、またも車でスタジオへとんぼ返りです。

スタジオへの道すがら、沿道の様子と行き交う車の流れをずっとながめておりました。商店や建物にはそこかしこに日本やアメリカの企業名の看板や、日本製品の看板宣伝が掲げられておりました。な〜んとなく聞いてはいたけど、実際に目の当たりにすると不思議な気持ちです。これ日本語表記だったら、一瞬、日本? と錯覚するんじゃないかなあ?
道行く車もほとんど日本車で、時たま韓国製とか米国製とか。こっちの人の「脚」であるジプニーと呼ばれる乗り合いのミニバス、っていうか、屋根つき小トラックみたいなヤツもずいぶん走ってます。で、もうね、驚いたのが路線バス。なんとまあ日本の路線バスが走ってました。日本製のバス、ってことじゃないんですよ。日本のバス、なわけ。「東久留米駅行き」とか表示のまんまの西武バスとかが走ってるわけですよ。
日本の対東南アジア向け支援のひとつなのか、実は、日本で古くなった中古のバスがこの国に運ばれて、そしてバリバリ現役で走ってるのでありました。日本とフィリピンとでは当然車線が左右違うわけで、で、どうしてるかというと、いきなりドアと運転席を左右付け替えちゃってるんですね。はめ殺しになって開かなくなったドアのガラスに「自動扉」の文字がそのまま残ってたり……。なんていうか、これにはね、なんともカルチャーショックでありました。こんなことになってるとは、日本じゃあんまりそういう話、報道とかされてなかったですからね。
で、そんなマニラの光景を眺めつつ、不思議な気持ちになりました。今日僕が運んできた『DRAGON BALL』も『セーラームーン』も、こういうところで日本のアニメが塗られてるんだよなあ、作られてるんだよなあ、と。
そんな風に僕が想いを巡らせてる間に車はスタジオに到着です。さあ、ようやくグルッとスタジオの見学。現地のスタッフたちとの初ご対面になるのでありました。

第123回へつづく

(10.04.27)