色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第17回 昔々……(12) 「あたたたたたたた……」「ぶしゅっ!ひでぶっ!」

先日ネットで注文したCD『未来少年コナン総音楽集』が届きました。

で、仕事手伝ってもらってるAさんに「『コナン』の音楽集いいよぉ!」って言ったら、なんか怪訝そうな顔で……。

「え〜? 辻田さん『コナン』とか聴くんですかあ? っていうかあ、観てるんですか?『コナン』?」 「え? 『観てる』んじゃなく『観てた』なんだけど……」 「ん? ん?」

彼女が指してた『コナン』は『名探偵コナン』だったのでした! ちなみに彼女の生まれは1982年。ああ、あなたの生まれる前のアニメだったのね『未来少年コナン』って(笑)。『コナン』でほんのりジェネレーション・ギャップだったりします(苦笑)。

さてさて。

劇場用作品『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争』で幕を開けた1986年ですが(実は東映アニメーションのWEBサイトの『作品ラインナップ』では、公開日が1985年3月15日となってますが、これは1986年の間違い)、その制作期間とほぼ同じ頃、東映動画ではもうひとつ大きな劇場作品が動いてました。そのタイトルは『世紀末救世主伝説 北斗の拳』。「週刊少年ジャンプ」で連載され、前年秋からTVアニメーションも放送が始まり、かなりの人気を博していた同作品の劇場用新作です。

監督/芦田豊雄、演出/梅澤淳稔、キャラクターデザイン・作画監督/須田正巳、美術監督/田中資幸。色指定は、TVシリーズの色を担当していた藤瀬氏とヘルプに塚田氏(『SLAM DUNK』『ONE PIECE』)が参加。このTP上がりの検査の手伝いに、僕だけではなく、当時の東映動画の検査のメンバーはみんな手伝いに駆り出されていました。

以前も書いたとおり、この頃は劇場作品のセル上がりの仕上げ検査は、自分の作品、仕事の手の空いた人が手伝いに入る、というシステム。さらに、編集前やダビング前の撮影の追い込み時には、課長の指示のもと、自分の仕事をストップしても優先的にセル上がりの検査を手伝うことになってました。

劇場版『鬼太郎』を持ってた僕も、否応なく手伝いに参加。というか、『鬼太郎』は非常にきっちりスケジュールどおりに作業が進んで、実は前年の暮れにはほぼ完成してたのでした。

この『北斗の拳』、TVシリーズの制作の仕上げ作業においていろいろ問題がありました。ずいぶん前に書きましたが、当時の東映動画の作品は「影なし」作品が主流であったのですが、この『北斗の拳』は作品の性質上、どうしても「1号影」「2号影」「BL影」そして「ハイライト」までつくというシロモノ。仕上げ単価はそのままで作業量だけ増え、しかもスケジュールもない、という状況で仕上プロダクションが敬遠してたのです。

で、その劇場版ですから、当然TV以上の作画密度になります。

「内蔵や脳漿が飛び散るというTVでは描けない描写に挑む」というのが、この劇場版の「売り」のひとつになっていたのです。ですので、作画は腸のひだのひとつひとつまでより細かく大胆に描き、色指定は図鑑とか見ながら細かく色指定をし、それを塗るのですから、仕上げ作業はさらに手がかかるようになります。しかも仕上げは国内のプロダクションよりも海外出しの方がずっと多い。どうしても粗さが目立ちます。よってセル上がりの検査もリテイク処理もメチャクチャ時間がかかったのです。

来る日も来る日も血の飛び散りと格闘する日々(笑)。いくら厳しくチェックしてもリテイクは出ます。しかも今のようにデジタルではないので、時間かけて撮影して、現像所で現像して、試写室でスタッフみんなでラッシュフィルムで見て、で、見つかっちゃう「色パカ」のリテイク。試写室になんとも言えない嫌あ〜な空気が流れるものです(苦笑)。

なかなか減らないリテイクに、ある時、制作担当のK氏が試写室で立ち上がり言い放ちました。

「いいかっ! 『パカパカッ』ってのはリテイクだけど、『パカッ』ってのはOKだからな! いいかっ! 1回『パカッ』ってのはOKにするからなっ!」

僕ら仕上検査はさらにプレッシャーですよ(苦笑)。でも、とにかく「パカッ」ってそうなところは、黒のマジック(仕上げ御用達の『ぺんてるなまえペン』)片手に片っ端から黒く塗りつぶしまくったのでした(笑)。これも「BL影」が多かった『北斗の拳』だったからOKだったワザですね。

そんなこんなでなんとか完成。当時ではギリギリの公開2週前に、東映撮影所の試写室でスタッフ初号が行われました。ところが、初号を観て僕ら検査の面々はガッカリ。どうやら映倫のための「自主規制」だとかで、スプラッタなシーンをすべて「ビデオ処理」と称して上からつぶされちゃったのです。あんなに大変だったリアルなピンク色の腸が飛び散るカットも、血しぶきと一緒に脳漿まき散らすカットもみんな、見事にシルエット調に……。う〜む。

ちなみに、今ではこんな風に「ひでぶっ!」なカットはモロに出しちゃうと、[PG-12]とか[PG-15]とか、当時よりも規制は断然厳しくなってるので、子供たちが劇場に見に来られなくなるので、興行的にもっとまずくなっちゃうのですがね。

先日実家の本棚から『劇場版・北斗の拳フィルムBook』(上・下)を発掘! ひさびさにマジマジと見入っちゃいましたが、いまこうしてあらためて見ると、やっぱり当時の東映の絵の具だといろいろ限界がありありですね(苦笑)。

そう言えば、ビデオ発売されたとき、確か社内販売で買った記憶が……。誰かに貸してそれっきりな気が……。心当たりのある方はご連絡ください!(笑)

当時のことで忘れられないのが、『北斗の拳』の編集前の追い込みで手伝い招集がかかって夜中みんなで作業してところ、聴いてた「とんねるずのオールナイト・ニッポン」で流れたニュース速報。それはスペースシャトルのチャレンジャー号が爆発事故を起こしたその報でした。1月28日深夜のことでした。

■第18回へ続く

(07.06.05)