色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第92回 昔々……(55) 『Coo』浅瀬をどうする? 光のゆらゆら

つらつらと思い出話を続けております『Coo 遠い海から来たクー』、実はこの作品、いまだDVDになっておりません。発売当時、全盛期だったレーザーディスク(!)とビデオ(VHS)が出たのですが、いまだDVD化には至っておりません。

で、こうして書き綴ってる思い出話でありますが、時には本編画面を確認しなきゃならない時もあります。我が家には、一応、ふる〜いLDプレーヤーがあるんですが、確認が必要なたびにいちいちレーザーディスク観るっていうのも面倒。しかも、自宅以外で原稿書くことの方が多い僕です。

「こいつはひとつ、DVDに焼くか?」ということに。

LDプレーヤーとHD-DVDデッキを接続してダビングしてみました。それはもうふる〜いLDプレーヤーなので、当然アナログ接続です。一応、なんとかダビングはできたんですが、あ〜、ノイズが……色味が……。ふる〜いLDプレーヤーのせいのようです。もうかれこれ20年モノだものなあ……。

そのデータを日頃持ち歩いているノートPCに入れまして、時々本編の画面を確認しつつ原稿書いてます。で、ついつい観入っちゃって、結局全部観ちゃうのです(笑)。

いやあ、いいですよこの映画、良くできてる(笑)。

ああ、なんとかDVDで再販されないですかねえ?

誰かのところに陳情に行けばいいのかなあ? う〜む。

さてさて。

『Coo 遠い海から来たクー』、水中のテストラッシュ、浅瀬をイルカたちが泳いでるカットを観ながら、監督と作監が口を開きました。「ひとつ、どうも足りないねぇ」。

それはなにかと言うと「光のゆらゆら」でありました。

日中の海や川で波や川の流れで水が動いてる時、水面の凹凸がレンズのような効果を作って水底に網状の光が映ります。深いところまでは届かないのですが、浅瀬の海底や浅瀬を泳いでるイルカたちの身体にも、その「光のゆらゆら」は映り込むハズです。

「やっぱり欲しいねぇ」と今沢監督。

では、ということで、比較的水面に近い水中を泳いでるものについては、この「ゆらゆら」付けましょう、ということになりました。イルカの上側の身体の表面に「ゆらゆら」用の「あみあみ」の作画を追加しました。

さて、じゃ、これをどうするか? 基になる作画はできた。でも、これを画面にどうやってうまく出せるのか?

いくつかの方法がありました。まずひとつは、彩色時にこの作画を合成してそれらしい「光当たってるっぽい色」で塗る。ふたつめは、この「あみあみ」を別セル素材として白とかで彩色しておいて、それを撮影時に多重露出の露出オーバーで明るく飛んだ色味になるように撮影する(スーパー)、みっつめはこの作画から透過光マスクを作成、透過光を乗せて文字どおり光を載せる、などなど。

まず、彩色で、っていう方法は「どうしても『あみあみ模様のイルカ』が泳いでるように見えちゃう」ってことで却下。ふたつめの撮影でスーパーさせるっていう方法も、結局のところ彩色で塗っちゃうのとあんまり差がなく、しかも思うようにうまく明暗と色味をコントロールできず、で却下。

みっつめの透過光を乗せる、という方法は、そもそもの「光のゆらゆら」をそのまんま乗せる手法なわけで、乗せる透過光の光もいろんな透過素材が使えて、テストを見た感じ、結構いい線いってる感じではありました。

ところが、です。

海の水自体、透明感重視なので、すっぽり何にもないように(海水すらないように)見えるような透明感を求めているのですが、それでも海面を見下ろす俯瞰なアングル時には、海面がちゃんとそこに存在してることが分かるように、海面に光の照り返しを透過光で乗せていたのでした。ちゃんと海面が分からないと、カットつなぎによってはイマイチおかしなことに(間違ったカットに)見られちゃいそうだったのです。

この「海面の照り返し光」と「光のゆらゆら」がぶつかってしまいました。「光のゆらゆら」はあくまでもその海面の下、ゆるく淡くあるもの。それがやはりビミョウに主張しちゃって、残念ながらなんともゴチャゴチャしてわかりにくい画面になってしまったのです。

「じゃあさ、仕方ない、カゲにしちゃおうか?」

いままで「光のゆらゆら」で明るく「あみあみ模様」を画面に出せるように苦心していたのですが、発想を逆転、「あみあみ模様」自体を光ではなく影として使ってみよう、ということになったのです。それで今度は「あみあみ」を黒で彩色。半露出用のマスクをして使用しました。

で、テスト撮影。

正直言って本来のリアルな見え方とは違ってしまっているのですが、なんとなくフンイキは伝わるし、なにより水中のキャラの芝居が引き立って見えるような。

「これで行こうかね」と監督が決定しました。ちなみに海底の「あみあみ」は「ケース・バイ・ケース」ということにして、基本なくても可、ということに。

今でなら、またいろんな方法手法でリアルな浅瀬の海中が表現できるかもしれませんし、当時でももっと突き詰めていけば、もっともっとリアルな浅瀬の描写ができたのかもしれません。でも、思うに、リアルにしすぎちゃうのも、何ともこの作品の目指すところとは違っちゃうんじゃないのかな? と。監督以下メインスタッフは、みんな、なんとなくそんな気持ちを共有していたような気がします。

■第93回へ続く

(09.06.11)