色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第2回 昔々あるところに……(1)

あっという間に1月も半分来ちゃいましたね。年末年始、いろいろ見たい映画もあったんですが、結局「犬神家の一族」くらいしか見に行けませんでした(泣)。あとはDVDレンタルで頑張ろうかと(苦笑)。

さてさて。

第1回を受けて「さらに踏み込んで……」と思ったんですが、その前に少し(?)昔話をさせてください。

僕がアニメーションの世界へ足を踏み入れたのは、かれこれもう20数年前のこと。大学中退して、それまでバイトしてた池袋の小さな仕上プロダクションにそのまま就職(?)をしました。そこで普通に彩色の仕事。20数年前ですから、当然アニメセルに絵の具の世界です。正直言ってあんまり手は早くなかったですが、それでも月に1000枚くらいは塗ってたかな? 小さな会社ですから、彩色だけじゃなく、トレスマシン(カーボン転写でセルに動画の線を転写する機械)を担当したりとか、外注スタッフへカット届けたりとか、絵の具の在庫管理とか、いろいろやりました。

その会社はとっても小さな会社だったのですが、それでも品質にはこだわって頑張っていました。トレスや彩色の技術的なことはもとより、いろんな物事の仕組み、社会人としてのあり方まで、ありとあらゆることを学びました。大変なことも多かったけど、楽しい職場でした。なにより自分もアニメ作ってるんだという気持ちを持てたのが嬉しかったです。

ところがその年の暮れ、僕はある大病をして右半身不随になりました。その後リハビリでほぼ正常な機能を取り戻したのですが、どうしても右手に障害が残ってしまいました。で、左利きになったのです。でも、さすがに左では以前のようには仕事ができません。それで、管理・進行業務とセル検査が中心になりました。それと少しずつ色指定のまねごとも始めることになります。

その会社は東映動画(現・東映アニメーション)の下請けが中心で、『Dr.スランプ』や『愛してナイト』など、TVシリーズを話数単位でグロス受注していました。当時の東映動画の仕上外注プロダクションには、鈴木動画企画、タカプロ、新栄プロ、協栄プロ、スタジオクロッカス、スタジオピーコックなどなどがあり、それぞれ1ないし2ラインのTVシリーズ作品をローテーションでグロス受注していました。

今では色指定といえば、作監済みの原画に色指定して動仕発注(動画〜仕上まで一貫作業)が主流ですが、当時はすべて動画まで終了したカットを仕上で受けて作業していました。なので、東映動画にカットを受け取りに行くと、1話分約300カットが全部そろって棚に置いてある、なんてこともよくありました。当然、編集アフレコ時には全カット本撮済みです。動撮(!)なんて出そうモノなら始末書もの、という時代です。すごいでしょ?(笑) アフレコ時レイアウト撮ばっかり、みたいな昨今の状況とはまるで雲泥の差でした。

で、それらは基本的には東映動画社内の色指定さん(当時は[検査]と呼ばれてました)が目を通して指定が入ってくるのですが、その場限りの小道具とかは[おまかせ]扱いで色指定が入らないままカットが流れてきたりしてました。そんなモノたちの色指定をちょこちょことさせてもらってたのが、僕の色指定の始まりです。

それと、東映動画作品だけではなかなかやっていけません。なので、他社作品もいろいろ受けていきます。タツノコプロ、マッドハウス、葦プロ、要プロ、スタジオディーン、キティフィルム……。当然、東映動画の劇場作品もやりました。劇場用作品が単価的にもよかったのと、劇場作品のエンドクレジットにプロダクションの名前が載るのは、何より業界内向けに宣伝になります。

で、こちらのスケジュールの状況を見て受けるのですが、毎回ドキドキしていました。劇場作品は、作画も色も、TVとはまるでグレードが違ってたからです。特にキャラクターの色指定の色遣い、細かい指定。塗り上がったときの美しさ(笑)。いつしか「色指定かあ。あ、なんか、こういう世界、いいかも!」とあこがれ始めます。

そして、まあ、いろいろあったのですが(苦笑)、1984年2月、東映動画に入ることになりました。僕が22歳の早春のことでした。

■第3回へ続く

(07.01.16)