web animation magazine WEBアニメスタイル

 

『時をかける少女』応援企画

[再録]特集「アニメの技術を考える」
クリエイター 創作の秘密 細田守インタビュー


 西暦2000年の現在、最も進んだアニメーションを作っているのは、彼なのではないだろうか。劇場『デジモンアドベンチャー』第1作、第2作を観ると、そう思える。彼の作品は技術的にも優れており、クオリティも高い。だがそれだけではない。ドラマやテーマを、あるいは作り込みや画面の緻密さもすらも、映画の要素として割り切り、使い切っているクールな感覚が、素晴らしいのだ。その感覚こそが、彼の作品が現代的である理由なのだろう。

取材/小黒祐一郎
構成/小川びい・小黒祐一郎
2000年7月2日


小黒 先に自分の感想から話していいかな。細田さんの『ぼくらのウォーゲーム!』は大変に面白かった。ここ数年のアニメの中で、一番面白かったと言っていいと思う。話も面白いし、技術的にも興味深かった。
細田 ありがとうございます。
小黒 お話、レイアウト、動き、カッティングと、全ての点においてレベルが高いんだけど、何より感心したのは、技術の高さそのものよりも、技術を使い切っていた事なんだよね。いかにも「最先端アニメ」という感じがした。
細田 そういう風に小黒さんが感じたのは、多分、『ぼくらのウォーゲーム!』が、第1作と違って、はっきりとしたストーリーがあったからじゃないでしょうかね。と言うのも、第1作は20分もない短編だったので、思い切って「物語」は捨てるという作り方にしたのに対して、今回は40分あれば、取り敢えず何かのお話はできるだろう、というところから始まっていますから。必然的に、1カット毎の表現を大事にしていくというよりは、流れの中で見せていくという形になったんです。
小黒 ああ、そういう意味では、第1作のほうがマニア好みかもしれないね。あっちは技術の高さそのものを楽しむみたいなところがあったから。
細田 そうかもしれませんね。アニメフェアでは、毎回、観客の満足度調査というのをやっているんですが、第1作は、同時上映の『遊☆戯☆王』に、満足度ではかなわなかった。だから、第2作はみんなに、「満足した」と思ってもらいたかったんです。とにかく小中学生達に満足してもらおう、と。そこで、自分の持ち味も考えて、まずは笑ってもらおうと思ったんですね。笑かすことができれば満足度も上がるだろう、と。……なんて言うと、そんなのアニメフェアなんだから、当たり前の事だろうと言われるかもしれませんが(苦笑)。その辺りは、随分気を遣いました。
小黒 その割にはインターネット世界を舞台にした、ちょっと難しい話だったけど(笑)。
細田 それは「デジモン」ですからね。コンピュータの話にしようというのも、最初からひとつの案としてありました。で、「コンピュータの話題ならば、2000年問題というのがあるから、きっかけはそれでいいんじゃないの」とプロデューサーの関(弘美)さんが言い出して(注1)、あっさり決まったんです。企画が始まったころは、2000年問題は、まだそんなに話題にはなっていなかったんだけど、子供だって単語ぐらいは聞いた事があるだろうと思ったんですよ。難しくコンピュータクライシスを語ろう、というつもりは全然なくて、あくまで、デジモンのゲームやアニメの世界と、子供達が住んでいる日常がつながっている、という事が感じられればそれで良かったんです。
小黒 ああ、なるほどね。
細田 そもそも、僕も、関さんも、脚本の吉田(玲子)さんも、全然コンピュータには詳しくないですから(注2)
小黒 そうなんだ。
細田 僕なんてマックユーザーだから、ウィンドウズの事なんて全然知らないし(笑)。でも、そういう詳しくない3人だからこそ、逆にコンピュータを知らない子供が見ても分かるような視点から扱えるんじゃないだろうか、という目論見もあったんです。
小黒 先に細かい事を確認しておくよ。劇中に登場した災害伝言ダイヤルって実際にあるの?
細田 ありますよ。去年(1999年)も製作中にICOの臨界事故があったでしょう。あの時に活躍して、それで実感がもてたんです。あれは、下調べでNTTに取材に行った時にもらった小冊子で知ったんですよ。
小黒 じゃあ、その取材の時に衛星携帯も知ったの?
細田 そうです。最初はデジヴァイスの力で連絡がとれる、とか、いい加減な展開も考えたんだけど(笑)、コンテの段階で、これではあまりにご都合主義で、危機感が盛り上がらないだろう、と思って、それに対する解決策として衛星携帯を見つけたんです。NTTの人からも「これなら大丈夫ですね」って、言ってもらえましたし。
小黒 ああ、NTTにも相談したんだ。
細田 ええ。
小黒 映画に出てくるメールソフトはオリジナルなの?
細田 オリジナルです。元々はBIGLOBEにオリジナルのメールソフトがあって、それを使えないかと話していたんですよ。でも、それは表示される顔の面積が小さくて画面映えがしないんで、相談の上で、ああいう形にさせてもらいました。
小黒 あのメールソフトの描写は、今回の見所のひとつだったよね。英語で来たメールが瞬時に日本語に翻訳されるじゃない。あの描写はイケてたね。
細田 あれは翻訳サーバーを通しているか、もしくは翻訳ソフトが常に走っているという解釈ですね。
小黒 あの描写の凄いところはさ、英語が日本語に変わる事を、1秒に満たない一瞬だけ見せて、これは翻訳しているんです、って説明して。後は全て日本語表示で通しちゃうでしょう。
細田 あれで説明終わり、ってね(笑)。まあ翻訳しているところを繰り返し見せてもしょうがないから。そういうところは曖昧にしておくと、コンピュータに詳しくない僕等が見ても、納得できない部分だから。もっとも、本当に詳しい人から見れば、きっと嘘だらけに見えるでしょうけど。
小黒 それで言えば、分からなかったのが、敵デジモンのアドレスにメールを送るという展開。一体、デジモンのアドレスって何なの?
細田 あははは(笑)。それを言えば、今回の敵デジモンというのは、そもそも何かっていうのもあるんですけど。一応、僕としては、ルート権限を支配しちゃうようなウィルスソフトみたいな存在だろう、と思ってるんです。サーバーに侵入しては勝手に自分のアドレスを作ってしまうようなね。
小黒 クライマックスで、メールはサーバーそのものの処理に影響するから、敵デジモンだけでなく、みんな一緒に遅くなるのでは?
細田 ええ、実はそうなんですよ(笑)。転送処理があるから、太一達のデジモンも遅くなるはずなんです。まあ、敵デジモンはホセ・メンドーサみたいなヤツだったんだと解釈しています。
小黒 『あしたのジョー』のホセ(笑)。
細田 そう。強いんだけど、実は打たれ弱かった! というね(笑)。
小黒 処理能力が低いんだ。メモリーが小さいのね(笑)。
細田 そうそう。
小黒 ところで、『ぼくらのウォーゲーム!』では取材にはどれくらい行ったの?
細田 島根は行きましたね。あとは……NTTぐらいかな?(注3)
小黒 じゃあ、実は1作目の方が取材した成果を使っている場面は多いんだ。
細田 そうですね。1作目は丸ごと光が丘が舞台ですから。と言うより、正確に言えば、1作目は近くて取材に行きやすいという理由で、舞台を光が丘にしたんです。スタジオから近いですからね。作画監督の山下(高明)さん(注4)なんかは、レイアウト作業の時には、車で毎晩のように行ってました。写真も、もの凄く撮りましたし。
小黒 撮った写真って、実際にレイアウトにも使ってるの。
細田 使ってますよ。勿論、希望どおりのレイアウトでは撮影できない事もあるんで、その場合は、勿論描いてもらってます。
小黒 第1作では、実際に写真をレイアウトに使ったカットは、どのくらいなの。
細田 全体の1/5ぐらいかな。前半はほとんど部屋の中ですから。主に写真を使ったのは、日大病院周辺や大通りあたりですね。
小黒 じゃあ、『ぼくらのウォーゲーム!』の方が、想像で描いたレイアウトが多いんだ。
細田 大半は想像ですね。なにしろ、主人公が一歩も家から出ない話なんで(笑)。
小黒 太一の家の中は想像なんだ。
細田 そうです。本当の部屋はあんなに広くない、と思いますよ。
小黒 本当の部屋って?
細田 お台場にあるマンションの部屋の事ですよ。
小黒 ああ、舞台になったマンションも実在するんだ。ロケハンしてるんだ。
細田 ええ。玄関先までは行きましたから。
小黒 島根の床屋や電気屋もロケハンしてるの?
細田 ええ。あれは現実にある建物です。
小黒 床屋の中に妙な置物があるけど、ああいうのも実際にあったものなんだ。
細田 そのまんまですよ。
小黒 あ、そうなんだ。
細田 島根には、僕と美術監督の田村(せいき)さん(注5)の2人で行ったんですけど、シナリオの段階では、「公民館で開かれている老人向けのパソコン教室でパソコンを手に入れる」という展開だったんで、とにかく公民館を探したんですね。ところが、ロケハンした三刀屋町や木次町には、一目で公民館だとわかるような建物がなかなか建ってない。取材の時間も限られているし、どうしようかと思案しながら、あきらめて駅に戻る途中で発見したのが、あの床屋さん。田村さんが、「あ、これは!」と声をあげて車を止めさせたぐらい、風情のある床屋さんでね。
 正直言って、それまでは取材と言っても、映画の舞台に使えるようなムードのものはなくて、実りの少ないものだったんですね。ところが、見つけた床屋さんというのが、これがもう、大林宣彦映画のセットじゃないかと思うぐらい素晴らしくて(笑)。昔、大林監督のTVスペシャル作品で『麗猫伝説』というのがあるんですけど。
小黒 ああ、火曜サスペンス劇場だね。
細田 ええ。その冒頭に出てくる床屋さんの昔風のムードが凄く良かったんです。床屋が出てくる映画には、いい映画が多いんですよ(笑)。
 最初は「いい感じだから、どこかにチラっと使おう」というぐらいのつもりだったんです。でも、戻ってから改めて写真を見返してみると、やっぱり、島根ロケハンの中で、一番魅力的な空間がその床屋さんだったんですよ。それで、急遽、舞台を変更しました。そのシーンの原画を担当した小西(賢一)さんのレイアウトが、凄くいいんですよ。数少ない写真を組み合わせて広角のレイアウトを作ってくれたんですけど。
小黒 そこのレイアウトは、写真を参考にして描いたわけね。
細田 もう、見てきて描いたようなものになっててですね。実際、床屋の画面で、写真をレイアウトに使ったのは理容店のくるくる回る看板のUPと全景だけです。
小黒 言うまでもないけど、その床屋にはパソコンは無かったんだよね(笑)。
細田 勿論です(笑)。実際、その床屋のご主人もパソコンとは縁がなさそうなお年のいった人だったし。しかも、映画の中だと、入り口のすぐ脇っていう、不自然なところにパソコンがあるんだけど(笑)。ああいう田舎では床屋がみんなの寄り合いみたいな場所になるだろうから、そこにターミナルとしてパソコンが置いてあるんじゃないか、と勝手に解釈しました。
小黒 レイアウトの話で言うと、一番シビれたレイアウトは、電器屋の場面かな。室内から窓の外のバイクをとらえたカット。
細田 ああ、はい。
小黒 バイクと人間の間に箱が置いてあるんだけど、奥のバイクがセル描きで、手前に置いてある箱が背景描きなんだよね。ああいう取り合わせってなかなか無いよ。普通は全部セル描きにしちゃうか、逆だよね。
細田 あのお店も本当は別の系列なんだけど、全部NECにしたんですよ。
小黒 あれも実在するんだ。じゃあ、ヤマトの家もあるの?
細田 現実にあります。
小黒 室内もあんな感じなの?
細田 いや、室内は取材させてもらってないんです。実は室内は別にモデルがあって、僕が学生時代に泊まった岐阜県白川郷の民宿がああいう感じだったんです。取材地を白川郷にしようかと思った事もあったけど、観光地だからパソコンはいくらでもありそうなんで、やめたんですよ。
小黒 舞台を島根に設定した理由というのは。
細田 これは、島根の方には申し訳ないけど、パソコンを探すのに苦労しそうな場所という事ですね。
小黒 細田さんは、自分の作品以外で、そうしたロケハン主義のアニメって見たことある?
細田 『海がきこえる』とか『パトレイバー2』なんかそうでしょう?
小黒 まあ、そうだよね。でも、それ以外はあまりないんじゃない。例えば、レイアウトに凝るアニメと言えば、宮崎駿のアニメだけど、宮崎さんはあまり現実の世界を舞台にしないじゃない。
細田 そうですね。それは特定された場所を舞台にしないからじゃないですか。僕がそういう事をやっているのは、光が丘なら光が丘、お台場ならお台場と、現実にある地名が出てくるからですよ。団地や田舎という漠然とした印象だけじゃなくて、光が丘や島根というイメージを含めて使いたいからです。
小黒 でも、他でもない島根という土地を選んだのは、結局、細田さんでしょう? 漠然とした田舎でも構わないと思うけどなあ。
細田 構わなくないですよ(笑)。例えば、東京を舞台にするとしたら、架空の東京は作れないでしょう。「東京」という記号を使う以上は、そのイメージをひっくるめて、映画の要素として使うわけだから。「島根」も同じ事です。
小黒 まあ、そういう事を当たり前として扱うのが、細田さんの現代性なのかもしれないね。
細田 それ程のものじゃないですよ。学生時代、8ミリビデオカメラで映画を撮っていたんですけど、その感覚の延長線上なんですよ。「ロケハン」というよりは「ロケ」のつもりです。だから、実際にヤマトとタケルという役者さんがいて、島根でロケできればそれが一番いいんですけどね。
 例えば、劇中に出てくるコンビニも、東映の近くのコンビニや、漠然としたコンビニというイメージではなくて、よく知っている自分の住まいの近くのコンビニを取材しているんです。
小黒 こういう話をしていると、細田さんの作品って、リアリズムが目的で作られているように思われるんだけど、そうじゃないんだよね。
細田 リアリズムそのものが目的化している人ってあまりいないんじゃないですか。やっぱり何かをやりたくて、そのために必要な要素としてのリアリズムなんでしょうから。
小黒 いや、リアリズムを高める事を目的にしている人もいるよ。リアルである事に喜びを見出している作品とか。それも、素晴らしい事だとは思うし、そういう作品も魅力的だと思う。ただ、細田さんはリアリズムを手法として使っている印象が強いな。リアルに描く事に執着が無い。
細田 リアルに対するフェティシズムは無いですねえ。僕の場合、漠然とした「田舎」じゃなく、何県のどこそこ、っていうリアリズムにはこだわりたいけど、それはあくまで記号として伝えるためなんです。例えば、デジモン同士の戦いなんて、どこでやったっていいわけですよね。でも、どこかわからない場所でやるよりは、町中で戦った方が面白い。やっている事と場所の差が面白さを生み出すと思うんですよ。でも、どこでやれば面白いかみたいな事は、演出ならみんな考える事だと思いますよ。
小黒 なるほど、デジタルモンスターを戦わせて世界を守る、みたいなハイテクで壮大な話を、田舎の床屋でやるところが面白いわけね。
細田 そう。ハイテクな場所で戦うよりは、バルコニーに洗濯物が干してあって、横でお母さんがケーキを焼いているような場所で戦う方が面白いと思うんですよ。何たって主人公が、部屋から一歩も出ない映画ですから(笑)。
小黒 そういう意味で言うと、太一のマンションの室内のディテールは良かったよね。ベランダのサンダルとか。もの凄く、いい味出してた。
細田 そうそう(笑)。そういう日常感との差を出したかったんです。モニターをわざわざ床に置かせているのも、お母さんから見た時に子供が熱心にテレビゲームをやっているようにしか見えない風景を作りたかったからなんです。
小黒 太一は室内から出ていないという話が出たけれど、今回、室内劇にしたのはどうしてなの?
細田 それはプロット段階の話がからむんですけど。もともとプロットには候補が2案あって、没になったものは、沖縄まで旅をするというロードムービーだったんです。で、もう一方は、それと差別化しようとして、家の中でずっとパソコンをやってる話にしたんですね。そうしたら、そちらの方が圧倒的に上層部の受けがよかったんです。とにかく、家から一歩も出ない事については、徹底しましたよ。何しろ、あの映画の太一には靴を履いた姿の設定すら無い。
小黒 歩きすらほとんど無いよね。光太郎ですら、トイレに走ったり、衛星携帯を取りに行ったりするのに。
細田 光太郎は目的がはっきりしているから。だから、走らせるわけです。でも、太一は移動する事に目的が無いから走らせる必要がない。ヤマト達が町内を走り回っているのも、「何故走っているのか」を伝えたいから走らせるわけです。
 まあ、もうちょっと物語寄りの理由を言えば、ネット世界で友達(パートナーのデジモン)が戦っているのに、自分は自宅にいて一歩も動かない。この差を出したい、という意図もあったから。
小黒 ああ、なるほど。友達を戦わせて、太一達は楽している、と。
細田 そう。それでいいのか、自分は安全な場所にいる事に罪悪感はないのか、と主人公を追いつめたかった(笑)。『デジモン』もそうなんだけど、最近、「後方支援型」とでも言うような作品が多いですよね。そういう作品を見ると、何か違うんじゃないかと思います。仲間(デジモン)が身近で戦っているなら、主人公ももっと応援したり、走り回ったりしたらどうなんだ、と思うんですよ。
小黒 つまり、パソコンの中のデジモン達と現実の太一達とは随分距離があるように見えるけど、それは後方支援型の作品の、主人公と仲間との関係を明確にしたというわけなんだ。後方支援型の作品って、何となく一緒に戦っているように見えるけど、本当は友達だけを戦わせているという事ね。
細田 そう。それをはっきりさせるために、太一を一歩も部屋から出さなかった。
小黒 映画としての仕掛けであると同時にテーマにも関わっているわけなんだ。
細田 『ぼくらのウォーゲーム!』を作る時に、「今のアニメの主人公のあり方って、どこか客観的で、気持ちをひとつにしていないよね」という話を、僕と関さんと吉田さんの3人で、改めてしたんです。その距離の取り方がまた、現代性なのかもしれないとも思うから、肯定も否定もしないけれど、主人公とそのパートナー(デジモン)では明らかに立場が違う。であれば、逆にその立場の差が面白さに活かせるんじゃないか、と思ったんですね。立場の差が危機感を生む、とか。
小黒 距離感があるというのは楽なように思えて、実は辛いって事ね。おお、ようやくアニメ雑誌らしい取材になってきたなあ(笑)。
細田 ははは(笑)。
小黒 ここで、違う話に行っちゃっていいかな?
細田 どうぞ。
小黒 今回は、東映アニメーション初のフルデジタル劇場作品だったわけだよね。画面作りは、どういうプランで臨んだの?(注6)
細田 うーん、それについては、この作品自体が実験みたいなものでしたから。だから、フィルムレコーディングによって生じる色味にしろ、コマずれにしろ、フルデジタル映画の製作管理の方法にしろ、現場で常に試行錯誤しながら対処していかざるを得なかったんです。
小黒 『ぼくらのウォーゲーム!』ってキャラクターに影がついていないじゃない。あれは、フィルムレコーディングで色味がどう変わるかわからないという事があったからなのかな。
細田 いや、それは1作目からやっている事です。あれは、あくまで作画の手間を減らすためです。実は、1作目、2作目と影無しで行きたいと言いだしたのは、山下さんなんですよ。デッサン補足のための影はいらない、とね。僕はむしろ最初は抵抗したんです。「せめて夜は影をつけよう」「いや、駄目だ」なんて、ちょっと気まずくなりかけた事さえありました(笑)。
小黒 それは1作目の時ね。
細田 ええ。でも、山下さんの画力の高さがあれば、影無しでも十分に耐えられるだろうと考えて、納得したんです。
小黒 要するに、『デジモン』では、不必要な影や線を極力減らして、その分、形そのものや芝居そのものに力を入れよう、という事になったわけね。
細田 ええ。それに、影を減らすという事には、制作状況上のメリットもあるんです。いつも時間的にギリギリで作っているから、リテイク作業の時間が限られている。だから、リテイクをいかに減らすかが大事になってくるんです。そういう時、影が無くなれば、リテイク率も圧倒的に減るし、それがひいてはアフレコやダビング時の本撮率を高めて、音のクオリティも上がる事になる。本撮が多いということは、原撮が少ないわけだから、結果として、原撮費用が浮く事になる。その費用を、原画なり他の部分に回す事で、更にクオリティを上げる事ができる。山下さんの作業に時間を回せるし、巧い人に原画を頼めれば、それだけ山下さんの手をわずらわせるようなリテイクも減るんです。そういう読みもありました。
小黒 そうやって制作に踏み込んで考えているわけね。
細田 はい。僕の考える効果論やシステム論で、制作の方に動いてもらいました。TVシリーズの場合は大規模だから難しいかもしれませんが、劇場作品の場合は、1作1作毎ですから、作っているスタッフの考え方を制作状況のあり方にまで反映させやすいんです。
小黒 今の話を聞いて思ったけど、劇場版『デジモン』にかかっている手間や労力は、例えば80年代のOVAと比べて、そう大きく違わないのかもしれないね。ただ、力の配分が違っているんだろうな。以前なら、クライマックスシーンで3段影をつけるためにかかった労力が、全体のレイアウトを緻密にするための手間に替わっている。
細田 やっぱり、一部分だけ突出するんじゃなくて、作品全体を通していかにコントロールされているかとか、全体のクオリティをどれだけ上げられるかとかに労力を使いたいですよ。昔よくあった、一部の場面だけ突出して3段影が付くようなものは、作品全体からすればどんな意味があるんだろう、と思いますね。
小黒 でも、例えば、80年代のOVAで「クオリティが高い」というのは、そういう事だったわけだよね。凄く優秀なアニメーターがいて、その人がクライマックスを描いたから、クオリティが上がってます、みたいなね。
細田 結局、「クオリティが高い」というのはどういう事なのか、という話になるんでしょうね。作画的な面だけじゃなくて、演出的に、あるいは作品的にクオリティが高いって何だろうか、という事にね。やっぱり、全体を通した上でのクオリティが勝負だろう、と思うんですよ。TVシリーズならシリーズ通して、映画なら映画1本通して、どうやって全体のクオリティを上げていくか、が大事なわけでしょう。
 それはきっと、みなさん、それぞれの方法があると思いますよ。例えば佐藤順一さんって、自分で各話のコンテを描くわけでもなければ、チェックで大きく直すわけでもないのに、全体のクオリティが明らかに上がりますよね。
小黒 確かに、佐藤さんが参加するとクオリティが上がるねえ。
細田 佐藤さんの方法っていうのは、第1話とかで自ら提示するスタイルが、誰もが使いやすくて効果的な手法だという事です。しかも、それを強制するわけじゃなく、「楽で効果的だからやってみよう」と、スタッフが自然に思えるようなやり方をとっているから、ああなるわけでしょう。そこが凄い。佐藤さんがシリーズディレクターとして本当に優れている部分のひとつはそこじゃないかな。
小黒 で、細田さんも、トータルのクオリティが高い事を目指しているわけだよね。……と、言葉にすると、何だか当たり前の事だな(苦笑)。
細田 勿論そうです。だって、トータルのクオリティが高いという事は、すなわち作品のクオリティが高いという事ですから。ここは思うようにいかなかったけど、ここは高い、みたいな、ムラがあるクオリティのあり方を、誰だって、良しとはしていないでしょう?
小黒 でも、なかなかできるものではないよね。そんな中で、細田さんはある程度達成しているように見える。
細田 いや、まだできてはいないですよ。
小黒 でも、少なくとも、その目標を捨ててはいないよね。
細田 うーん……そうですね。達成しようとはしているでしょうね。そもそも、クオリティが低くてもいいようなカットなんて、絶対あり得ないはずなんですよ。
小黒 おお、さすが。
細田 特に、僕の場合、20分とか40分とか、内容に比べて尺が限られている仕事の場合が多いでしょう。そんな無駄なカットなんて作っている余裕があるわけがない。そんな事なんか一切やっていられないですよ。どれも捨てられないカットなんです。そもそも、演出家は誰でも、どうでもいいシーンなんか設計したいとは思っていないでしょう。
小黒 ところで、さっきの話では『ぼくらのウォーゲーム!』では、キャラクターの影を減らし、線もTVより減らして、その分の手間を芝居とレイアウトに持っていったわけだよね。という事は、レイアウトの重要性は、当然、大きいわけだよね。
細田 大きいですね。僕のコンテはFIXばかりだし、同ポも多いですから。(注7)
小黒 流PANはやらないしね。
細田 うん。5、6カット同ポなんて平気でやってますし。逆に言えば、同ポで5、6回繰り返し使えるようなカットを作れば、1カットのレイアウトに普通の5、6倍の時間をかけていいわけです。そうなれば、クオリティも5、6倍になる可能性がある。
小黒 それはコストパフォーマンス面から見た理論だよね。それ以外の理由ってあるの?
細田 そうだなあ……要するに、作品がしっかりしたレイアウトを求めている、って事じゃないかな。『ぼくらのウォーゲーム!』は、日常感と非日常感との対比という作りだから、必然的に日常生活は日常感に溢れている事が求められる。例えば、「太一がテーブルとソファの間にいる時に、その隙間はこれだけしかありません」というのをレイアウト的にしっかりと見せられれば、それだけ日常感を補強する事ができますから。
小黒 レイアウトに力を入れた作品と言えば、日常感では、かつての高畑・宮崎コンビの『ハイジ』、リアリズムでは押井守監督の『パトレイバー2』や『攻殻機動隊』が挙げられると思うんだ。でも、細田さんと山下さんの仕事って、それとはちょっと違った雰囲気がある。これは多分、半分は細田さんで、半分は山下さんの持ち味だと思うんだけど。それについてはどう思う?
細田 うーん。違っているとすれば、格好いい画面とか凄い画面を作ろうとはしていないところじゃないか、って思います。そういう事より、馬鹿馬鹿しさすらあるような、どこにでもある日常感を、一所懸命に出そうとしているから。山下さんも、僕と組む時は、それを意識的に出そうとして下さってるんじゃないですか。
 レイアウトチェックの時にも、TVの上の置物について2人で相当考えたりとか、この壁にカレンダーを置きましょう、とか、そういう事を熱心に話します。
小黒 ああ、カレンダーが多いね。
細田 多いんですよね(笑)。レイアウト的に煮詰まると「もうしょうがないから、カレンダー!」って事はある。迂闊なものを置くと、それだけで意味になっちゃうから。
小黒 それはやっぱり、空間を埋めたいからカレンダーを置くわけ?
細田 いや、埋めたいとは思わないんです。むしろ、レイアウト的な緩急のためかな。それにしたって、意味もなく密度を上げても仕方ないわけで。部屋の隅に観葉植物を置くのは簡単ですけど、それによってどういう意味が生じるか、何が表現できるのかっていう事は考えちゃいますよね。もっと別の物を置く事で、伝えたい事が、日常感なら日常感がより増すのではと考えてしまう。
小黒 で、それが、例のベランダのサンダルになるわけね。
細田 うん。でも、それはレイアウト論というよりは設定論ですよね。山下さんのレイアウトって、そうした設定的な部分が考え抜かれているんです。でも、失敗したところもありますね。太一の家って高級マンションのくせに、瞬間湯沸かし器がついているんです(笑)。あとで気が付いて山下さんと「あれは失敗だった」って反省しました。
小黒 ああ、そうか。あのマンションの感じなら、ユニットになってるはずだから、そんなのあるわけがない。
細田 そうなんですよ。あの台所は、光が丘のマンションからキッチン部分だけを移築しているようなものなんですけど(笑)。
小黒 瞬間湯沸かし器は、細田さん達の日常感覚がそのまま出ちゃったわけね。
細田 かと言って、瞬間湯沸かし器が無い日常感ってのも厳しいんですけどね。何とか日常感を出したくって、色々やったわけです。
 それで言うと、今回は、書斎が舞台だという事で、太一の父親がどういう人物なのかというのも、随分考えましたね。建築家だというんで、建築家の書斎を調べたけど、あまり日常感が感じられないんですよね。それで、仕事に関係する物を描くのはやめて、自転車こぎの健康器具や釣り竿やボクシンググローブといったスポーツ用品を置く事にしたんです。「太一の父親は、通販でスポーツ器具を買っては、三日坊主でやめるヤツ」と2人で決めたからなんですけど。それはすでに設定に踏み込んだ発想でしょう。
小黒 『ぼくらのウォーゲーム!』のレイアウトって、デザイン的なフェティシズムや緻密さも捨ててはいない。でも、『エヴァンゲリオン』みたいに、そうした気持ちの良さに執着する事はないね。気持ちのいいカットはあっても、流してしまって、執着しない。その感覚が非常に面白かったなあ。
細田 それは別に目的があって、カット単位に作られていないからですよ。「この娘のこの表情が」を観てもらおうとしているわけじゃなくて、「この娘が何をしているか」を観てもらおうとしているからでしょう。それは全体のバランスを先に考えているからですよ……って何度も同じ事を言ってしまいますね。当たり前の事だと思うんですけど。
小黒 細田さんは、キャラクターの気持ちとか、表情とか、芝居とか、個々のパーツへの執着が無いわけではないんだろうけど、執着そのものでは作らない。
細田 ああ、個々への執着は無いですね。あえて言えば、トータルなバランスに対する執着はあるかもしれない。
小黒 なるほど、そう来るか。変な話だけど、雑誌編集者の自分として目指したいのも、そこなんだよね。個々の記事のクオリティじゃなくて、クオリティの上にあるものに迫りたいんだよね。
細田 物作りとしては当たり前の事ですよね。ただ、全部のカットに執着してトータルバランスをとる方法もあるけど、そうはしませんね。必要十分な情報がそのカットにあればOKと思ってます。僕は、1カット1カットに含まれている情報をひとつひとつとりあげても、それが何か格別なものだとは思っていないんです。むしろ、その並び方とか、それぞれが集まる事で生み出される何かの方が余程大事だと思いますね。それを一言で言えば「対比」ということになるんですが。それは凄く考えます。だから、執着という表現は当たらないような気もするなあ。
小黒 理性的だねえ。
細田 そうやって構成を考えるのは、当然だと思いますよ。演出や作監っていうのは、内容や技術を含めて、トータルで見るのが仕事でしょう。
小黒 あくまで、技術は使ってこそ技術、という立場なんだ。
細田 そう気張って言うほどの事ではないですけどね(苦笑)。技術にばかり執着するのって、喩えるなら、アンプの良さを追求するあまり、音楽を聞く事がないがしろになってしまうオーディオマニアみたいなものでしょう。本当はいい音楽を聞く事が目的のはずなのに。そう言えば、僕個人はマニアックな気分や趣味ってほとんど無いですね。何かをコレクションするという事も無いし。オタク的感性はほとんど無い。
小黒 なるほどなあ。ところで、今回はフルデジタルであるのと同時に、3DCGを使う事も大前提だったわけだよね。
細田 ええ。CGなんか「いらない」とも思ったこともあったんですけど(苦笑)。CGを使うからにはCGを使う事の意味や切り口がなければならない。コンピュータの内部を舞台にした映画を参考にたくさん観たけど、単に電子回路に置き換えただけの映像が多くて、発想が貧困だなあと思いました。こんなふうにしちゃダメだなあと思って……。コンピュータの中を描くのに、コンピュータを使って作るCGの質感に頼ってはいけないと思ったんです。だから、全くの別の切り口で、逆にCGの質感表現は無くてもいい、と割り切ったんですね。
小黒 CGだから、やろうと思えば、いくらでも質感を上げる事ができるわけだけど。
細田 それは切り捨てました。色にしても何万色と使えるわけですけど、そうすると技術に呑まれちゃうと思うんですよ。だから、やる事を随分限定して、「ネットワークの世界=情報が記号化、抽象化された世界」というコンセプトを立てて、いかに省略化、デザイン化するか、という事だけ考えました。
小黒 細田さんは『999』とか『鬼太郎』といった3DCGの映画も何本か手がけているわけだよね。でも、今回、「フルデジタルだ」「3DCGだ」という作品なのに、3Dをあくまで美術的な部分に限定して使ったわけだよね。それも使っているのはネット世界だけで、それも美術背景は3Dで、キャラクターは全部手描きという手法にした。これはどういうわけ?
細田 うーん、それはやっぱり、3D映画を作ってきた反動というのもあるかもしれませんね。一方ではCGの映像そのものの技術を高めて見せていくようなやり方もあるんだけど、もう一方では別の方法もあるんじゃないだろうか。ある技術を使うにしても、映画のコンセプトによって、色々な見せ方があると思うんですよね。
 「リアルに、リアルに」と言う人が多いんですよね。ところが、その作品にとって、リアルという事が何の意味があるんだろうか、と考えてみると、意外に無かったりして。僕は、そういうのは嫌だな。「リアル」以外のコンセプトは無いんだろうか、と思うんです。
小黒 つまり、『ぼくらのウォーゲーム!』は、ネット世界がリアルじゃないところがポイントなんだ。
細田 そう。だから、設定を作る際の、コンセプトの立て方だと思うんです。今回の場合、特に日常と非日常の差を出したいわけだから、非日常の世界は、抽象空間で記号化された世界で、となるわけです。一方、ネット世界から逆算して、太一達の生活空間はリアルじゃなきゃいけない。どれもこれもリアルでと突き詰めるのではなく、並列した時に、どのくらい差が出せるかが大事なんです。
小黒 やっぱり、対比が大事という事だね。
細田 さっきも言ったように、僕は、リアルに対する執着では作っていないんですよ。だから、太一達の日常の場面だけをつなげたら、リアルを突き詰めたような作品に比べれば、それほどリアルには感じられないと思います。
小黒 なるほど、インターネット世界の描写があるから、あれだけリアル観が強いのか。
細田 僕のやり方は、そういう対比をいかに作るかなんですよ。どれだけ違う物を横に置いていけるかなんです。凄く真面目な瞬間と凄く馬鹿な瞬間がすぐ近くにあるから、それぞれが浮き立って見えるというようなね。1個1個のアイデアだけ抜き出せば、どこにでもあるようなものかもしれない。
小黒 『アッコちゃん[第3作]』のチカちゃんの回なんかは、それが顕著だよね。(注8)
細田 そうですね。
小黒 細田さん自身としては、今回の映画の手応えは、どうだったの。
細田 うーん、もうちょっと尺があれば、もっと色んなものを見せられたのにとは思います。……まあ、それはいつもの事なんですけど。
小黒 でも、あの詰め込まれている感じはいいと思うよ。
細田 各カットの尺はあれでいいとは思うんです。ただ、シナリオ上の構成の面で、後半にかけてのバランスがとれれば、もう少し良くなったんじゃないかな。
小黒 後半と言うと、後半をもっとたっぷりとるって事?
細田 そうです。サスペンスを盛り上げるために、色々アイデアはあったんですけど、尺の関係で絞らざるを得なかったんです。
小黒 ああ、後半のバトルをたっぷり見せよう、という事じゃないんだね。
細田 もっとあったらと一番思うのが、1回目のバトルが終わってから2回目のバトルが始まるまでの間の出来事ですね。あそこが結構短くなってしまって。本当は今の倍ぐらいの時間がなきゃいけないんです。1回目のバトルに負けてから、もっと、太一やヤマト達が苦労したり、ひどい目にあったりすると、2回目のバトルが更に効いてくるんです。でも、コンテの前半部分が上がった段階で、それは無理だって分かってしまったから。
小黒 最後のタイムサスペンスの部分では、表示される時間と実際の映画の時間とが、ほぼ同じになっているよね。最初からああするつもりだったわけ?
細田 と言うか、本当は、全編に渡って映画の中の時間の流れと、現実の時間の流れを同じにするつもりだったんです。もともとこの話は、「自宅に居ながらにして、強敵と戦って、世界を救う」みたいな事が、馬鹿馬鹿しくていいんじゃないか、っていう事が発端だったから。しかも、それを現実の時間の流れに即してやろう、つまり、1本丸々タイムサスペンスにしたかったんですよ。1時間ぐらいの尺があれば、それもできたんですけどね。
小黒 という事は、映画の中の時間って、1時間ぐらいの話だったの?
細田 そうです。
小黒 実際の映画だと、前半ちょっと飛ぶよね。
細田 だから、1時間あったら、刻一刻時計を見せていって、常にカウントダウンしている、みたいな事にしたかったんですけど。そこまでは徹底させられなかった。中原俊監督の『桜の園』が映画の中の時間と外の時間が同じという作りになっていて、それと同じようになるといいな、と思っていたんです。
小黒 時間もコントロールしたいわけだ。
細田 全てをコントロールしたいという欲望は確かにありますね。映画を全部把握して、それに対して必要なものだけで作りたいと思ってるのかも。
小黒 なるほどなあ。今までの話を聞くと、細田さんって、やっぱり緻密でリアルな人だと思うよ。
細田 今のところはそうかもしれないですね。
小黒 今後は、どういう方向で行きたいの?
細田 作品作りの条件が変わってくれば、当然変わってくる事ですからね。半分は環境に左右されるから。まあ、多分、トータルで見てどうか、みたいな作り方には変わりはないと思います。
 理想を言えば、これからはもっと、無駄な時間があったり、破綻したような映画を作ってみたいんですけどね。といっても単に破綻している事が魅力になっているようなものをね。どうしてもコントロールし切れないような部分というか、そういう理詰めじゃない部分があった方が、次の可能性につながると思うんです。
小黒 例えば、劇場版『銀河鉄道999』の最後のスペクタクルみたいな感じ?
細田 そうですね。あれは理詰めによる感動ではないですよね。極端な話、鉄郎とメーテルが走っているという事だけで、感動できる。逃げて走っているからじゃなくて、あの2人が手を繋いでいるから、わくわくするんですよね。そういう意味では、りん(たろう)さんの作品って、凄いと思います。ああいう風にならないと、120点以降の世界は見えてこないんじゃないかな。
小黒 今の作り方だと、100点まではいけるかもしれないけど……。
細田 150点や200点は無いだろうと思うんですよ。僕の今の理詰めの作り方は、低い点数をとらないためのやり方だから。そうじゃないやり方ができれば、15点の可能性もあるけど、200点の可能性もあると思うんですよ。でも、そこまで行くと、演出の指針が「作り手の気持ち」みたいなものになってくるんでしょうね。
小黒 あるいは「感性」とかね。実際には、細田さんも感性で仕事をしている部分も当然あるんだろうけどね。
細田 そりゃあ、そうですよ(苦笑)。だけど、それを殊更には尊重していません。自分の感性なんてあまりアテにしてないです(笑)。

[注1]関弘美は東映アニメーションのプロデューサー。代表作に『ママレード・ボーイ』『ひみつのアッコちゃん[第3作]』『おジャ魔女どれみ』等がある。

[注2]吉田玲子は『KAIKANフレーズ』などで知られる脚本家。細田守は『ひみつのアッコちゃん[第3作]』から吉田玲子と組む事が多く、細田作品には無くてはならない脚本家となっている。

[注3]『ぼくらのウォーゲーム!』は、敵デジモンが電話回線を伝って世界中のネットを荒らし回るというストーリー。さらに、主人公側は東京と島根に分かれているという設定である。

[注4]山下高明は、劇場版『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』で作画監督を務めているアニメーター。その素晴らしいレイアウトには、思わず息を飲む。他の代表作にOVA『Cring フリーマン5 戦場の鬼子母神』『Cring フリーマン完結編 無明流射』(作画監督)等がある。

[注5]田村せいきはアニメ工房婆婆羅所属の美術監督。代表作に、劇場版『金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー』がある。ディズニー作品にも多数参加。

[注6]『ぼくらのウォーゲーム!』は、東映アニメーションの劇場映画としては初のフルデジタル作品であった。デジタルで制作を進め、最終的にフィルムレコーダーを使って、フィルムの形で作品を仕上げる形であった。フィルムレコーディングは色の調整などまだまだ技術的に難しい点が多い。

[注7]FIXはカメラワークのないカットの事を指し、同ポはカメラポジションが同じカットを言う。この作品に限らず細田守作品は、FIXと同ポによって、独特の画面作りとテンポを生み出す手法を用いる作品が多い。

[注8]ここで話題になっているのは、『ひみつのアッコちゃん[第3作]』14話「チカ子の噂でワニワニ」の事。超高密度のレイアウトと緻密な作画の場面を要所要所に挟み込むことによって、他の場面との対比を強調し、大変コミカルな作品となっている。

※アニメスタイル第2号(BT/美術手帖増刊Vol.52 No.793、2000年8月31日発行、美術出版社)より再録
※掲載するにあたり、文字統一をはかるなど、原文にいくつかの修正を施した。

●関連記事
『時をかける少女』応援企画トップ
(各種関連記事へのリンクはこちらから)


●関連サイト
『時をかける少女』公式サイト
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/

『時をかける少女』公式ブログ
http://www.kadokawa.co.jp/blog/tokikake/



(06.07.10)

 
 
  ←BACK ↑PAGE TOP
 
   

編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.